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一週遅れの映画評:『HIGH&LOW THE WORST X』そして繰り返すX(クロス)ポイント。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『HIGH&LOW THE WORST X』です。

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 今週の映画評……行くぞ!てめぇらぁ!
 ということで『HIGH&LOW THE WORST X』ですよ、オラァ!
 
 いや~やっぱ面白いね『ハイロー』シリーズは。一応映画になった作品は全部見てるはずなんだけど、どれも「面白かった~」って記憶しかないもの。で、やっぱこのシリーズを語る上でアクションは絶対無視できないんですけど、特に今回はそれが作品自体のテーマと噛み合っていて、実に素晴らしかったです。
 
 えっとね瀬ノ門工業高校の公平をトップとした3つの高校からなる連合があって、そいつらが主人公である楓士雄が頭張ってる鬼邪高校を支配しようと目論んでいるわけですよ。それでその三校連合の公平ってのが、金と力でとにかく誰よりも上の立場になりたくて仕方ないわけ。「他の人間は全部オレの駒だ!」って感じで。
 そうやって誰かを支配するために動く公平と、それに抵抗する楓士雄との抗争になるんだけど。要は「上下関係しか無い」と考えてる相手に対して、ポスターのコピーにもあるように「上も下もない」っていう対抗軸を持ち出すわけですよね、主人公は。
 
 これがまず抗争の図式にあらわれるんですよ。三校連合は公平が力で無理やりにまとめ上げていて、つまり公平っていう絶対的な「上」とそれに従う「下」って構造がある、一方で楓士雄はなんとなく鬼邪高の頭になってはいるけど、それはゆるくまとまっているだけでそこまで明確な上下ってのは無い。さらにその抗争で味方に加わる鳳仙学園は前作(『HIGH&LOW THE WORST』)で戦ったのちに和解した相手で、力関係としてはほぼ五分五分といった関係なんですよ。
 でね楓士雄は鳳仙に対して抗争の前日に「力を貸して欲しい」って頭を下げにいくんですが、鳳仙のいまの代表は「自分たちも三校連合に恨みがある」と共闘を承諾するんです。つまり「力を借りる/貸す」って上下じゃなくて「目的が一致している」という対等な関係だと言うんですよ。
 
 で、で、まずそういったアングルがあった上で。今回は最終決戦の舞台が学校で、しかも最後は体育館の中で殴り合って決着するんですよ。『ハイロー』シリーズって戦いの舞台が外だったり廃工場だったりで、スタンドつまり立った状態での戦いが多かったんですけど、今回の体育館って場所はいままでの戦場に比べて床がキレイなんですよ。
 そこで繰り広げられるケンカが、実際かなり地面に這いつくばるっていうかグラウンド状態でのやり取りがめちゃくちゃ多いんです。これはね主人公・楓士雄の背が低いことも関係しているとは思うんですけど、スタンド状態だと体格差がアクションに「上下」の概念を生むわけですよね。背の高いほうは上から下に殴りかかるし、背の低い方は下から上への向きに攻撃することになる。
 だけどグラウンドの戦いだと「上下」は無いわけですよ、床に転がってるわけですから。それってまさに「上も下もない」わけで、作品のテーマをアクションにまで浸透させているのがマジで良いんですよ。そういうお話とアクションがガチっと噛み合ってることにまず感動してしまう。
 その上、そのアクションシーンが面白いんですよ!動きにアイデアがあって「こんなことするんだ!」って驚きと、それを実現してる身体に興奮としてしまう。作品テーマとアクションのコンセプトを共通させよう、ってなったときにある程度アクションそれ自体の良さって削られがちだと思うんですけど、それがまったく無いの。これはねぇ本当にすごいことですよ。
 
 あとはそうね、鬼邪高も外敵に対してゆるやかにまとまっていて、鳳仙学園とか鈴蘭男子高校の一部が味方してくれる展開になる。こうバラバラだった奴らが一か所にグワーっと集まってくるのって、やっぱテンション上がるわけですけど、そこには一抹のさみしさがあるわけですよ。それはこの作品タイトルが「X(クロス)」だからで。
 つまりここでひとつに集まった彼らなんだけど、それはたまたま今ここが「クロス」するポイントだっただけで、恐らくはすぐにみんな離れてバラバラになってしまうんだろうなぁ……ってことが容易に想像できるわけですよ。「ああ、ここにあるのは一瞬の輝きなのかも」という感じで。
 
 だけどそれを払拭してくれるのが、今回の敵役である公平で。彼に付き従うNo.2の亮は、幼いころ公平に助けられてそれで「仲間」になるんですよね。だけで成長するうちに公平は「自分以外は手下だ」って考えになってしまう。ここで行われてるのって「クロス」ポイントが過去にあって、いまはもう離れてしまったという楓士雄たちの先取じゃないですか。
 だけど公平は鬼邪高に負けて、その上で再起しようとする。その時、負けた自分にまだ着いてきてくれる亮を再び「仲間」として捉えなおすことができる。分かたれたふたりが、もう一度「クロス」するわけですよ。それって鬼邪高、鳳仙、鈴蘭がそれぞれに離れていくけども、それでもまたひとつになれる可能性を、離れていくことを先取りした公平たちがさらに先取りしてみせるっていう構造になっていて、ここがねぇ不良の青春ものとしての完成度をガツンと上げていてすごく良いんです。
 
 そしてその焦点、人々が何を指針にしてそこに集うか?ってところを「テッペン」と表現している。上も下もない平面のなかで、それでも目指すべき中心として、求心力と強さをもった「テッペン」を目指す!というのが、楓士雄の天真爛漫な気質とカリスマ性を示していて、そういうところも本当に上手い作品だな。と思いました。
 
 いやー、ほんと『ハイロー』シリーズは邦画のアクション映画として確実に最高峰なのは間違いないし、海外作品と比べてもまったく遜色無いですからね。そんなものを現在進行形で見れるってことが、私はとても嬉しい。

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 次回は『雨を告げる漂流団地』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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