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一週遅れの映画評:『ヴァチカンのエクソシスト』祓えないのは保身か、疑心か。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ヴァチカンのエクソシスト』です。

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 面白かったか、面白くなかったかで言えば、それなりに面白かったんですよ。ただちょっと看過できないポイントがあるって言うか……うーん、普段から私が「そういうのはどうかと思う」ってことに抵触しちゃってるんですよねぇ。
 
 まぁ順番にいきましょう。主人公はローマ教皇から直接任命されたヴァチカンのチーフ・エクソシストであるガブリエーレ。彼にある少年の悪魔祓いが依頼される。スペインの今は打ち捨てられた修道院、そこに眠る悪魔と恐るべき真実とは……? ってお話なのね。
それで過去にもエクソシストあるいは悪魔祓いを取り扱った映画っていくつもあるんだけど、概ねそのルールって共通しているわけですよ。だってちゃんと教会には「エクソシスト」を養成するカリキュラムが現実にあるわけで、それに則ってるわけだから当然ちゃあ当然なんだけど。
 勝利条件は「憑りついた悪魔を追い出すこと」で、そのためには「悪魔の名前を聞き出す」必要がある。一方で悪魔側は超常現象を起こして恐怖を煽ったり、神父の過去をほじくり返して精神を衰弱させようとしてくる。この過去を暴く能力がめちゃくちゃ厄介で、強い悪魔ほど知識が豊富で神父の過去も知っている。だからトラウマとか、ずっと心に残る後悔とかをピンポイントに責めてくるわけ。
 それに抵抗する手段は2つあって、1つは「無視」。悪魔の言葉に耳を傾けず、一方的に祈りの言葉を繰り返す。もう一つは「懺悔」で、ちゃんと告解して神に祈ることでその罪は赦されるわけだから、悪魔の攻撃に対して「でも神は赦してるから」で防御ができるようになる。
 
 その応酬というか攻防がめっちゃ面白いんだけど、ちょっと見ながら「これ、インターネットだな」って思っちゃったのよ。というかある種の炎上というか。
こうさ、いまのネットって誰かが何かをやらかすと、ひったすら過去の言動とかを探られまくるじゃない? あいつこんなこと言ってたぞ! とかこんな写真出てきた! とか。で、それに対抗する方法が「無視」か「先回りして謝っておく」というのは、確かに有効な手段で、まさかキリスト教の悪魔祓いがそのままインターネット炎上の対策になるなんて……! やっぱエクソシストは万能だぜ!

 ……とはならないんですけどねw 作中でも「98%は心か体のトラブルで、本当にエクソシストの力が必要なのは2%程度だ」って主人公が言ってるわけですよ。それどころか、きちんと相談者を見て適切な医者を紹介することで評価を受けている面もあるように描かれていて、そういった真面目に「現代のエクソシスト」を見せているところも好感が持てるんですよね。まぁただ2%って、日本人の死因だと腎不全が2%ぐらいなので「あれ……? 結構あるんじゃないか?」みたいな空気は、私の中にちょっとあるw ちょっとだけね。
 あと主人公がキュートというかチャーミングというか、「悪魔は冗談を嫌う」ってセリフが出てくるんだけど、悪魔っていう暗黒に対抗するのに明るく楽しいジョークっていうのが重要で。向こうは過去を暴いてシリアスな話に持ち込みたいのに、そこを冗談で受け流されたら責めようがないから、確かに有効な手段になるわけですよ。
そこに説得力を与えているのがカブリエーレのお茶目さで。そういう雰囲気を例えば移動手段とか(ベスパですよ、ベスパ!)、ちょっとした軽口とかで演出してるのがめちゃくちゃ良いところですね。

 それでね、こっから作品の核心部分になるんですが。
 少年に憑りついたいた悪魔は、過去にもとある人物に憑りついていたことが判明するのですが。それがなんと15世紀に高名なエクソシストとして活躍していた神父なのね。その人はここに悪魔祓いに来て、逆に支配されてしまった。
 15世紀、スペイン、キリスト教。とくればあれですよね、そう「まさかのときの、スペイン宗教裁判!」こと「異端審問」ですよ。一説によれば2000人近い無罪のユダヤ人が火刑にされたという、キリスト教の後ろ暗い黒歴史のひとつである事件。要はその背景には悪魔に憑りつかれた高名な神父がいた、という展開になる。
 そして悪魔は少年から主人公のガブリエーレに憑りついて、再びあの悲劇を繰り返そうと目論んでいる……というのが真相、って話になるのね。
 
 たださぁ、私は「真のオタクなら犯罪はしない」みたな言葉が大っ嫌いなですよ。まぁいまのは例えだけどさ、要は自分の持っている属性を良いものだとしたいばかりに、悪いことをした人間をその属性から強制的に切り離すというか。「真の○○」って概念を無理矢理ブチ込むことで、都合のいい解釈を繰り出す愚かさが許せないんですけど。
 この話ってちょっとそれに近いんですよね。「真のキリスト教徒ならあんなことはしない、実は悪魔のせいだったんだ!」って話になってしまうじゃない? いや、そこで当然「力及ばず、悪魔に憑りつかれた懺悔」はあったり、あとは全然別の部分でヴァチカンの問題に言及してたりで、教会の悪い部分に向き合おうとはしている感じはある。あるんだけど、やっぱ「過去の悲劇は悪魔のせいで、教会は悪くないよね? ね?」みたいな圧をどうしても感じてしまって、そこは正直どうかと思いましたね。
 
 いやまぁ、これがその宗教から遠い人間の「わかってない」見解なんだろうけどさ。うーん、もうちょっとその点には気を使ってシナリオを作って欲しかったかな。面白かっただけに残念な気分になっちゃいました。

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 次回は『おそ松さん~魂のたこ焼きパーティーと伝説のお泊り会~』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの20分ぐらいからです。


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