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一週遅れの映画評:『「はたらく細胞!!」最強の敵、再び。体の中は“腸”大騒ぎ!』特別じゃない、でも真摯で真面目なあなたのために。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『「はたらく細胞!!」最強の敵、再び。体の中は“腸”大騒ぎ!』です。

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 なんて「真面目」な作品なのだろう、という強い印象を受けた。
 その真面目さには二つあって、ひとつはテレビ放送版からあるもので、もうひとつはこの劇場版で感じたものである。
 
 まずはテレビ版からあるのは、人体の生理に対する姿勢。体の機能と病気に対しては様々な言説が世に飛び交っている、それは当然なものから複雑なものまで、正確なものから未だ解明されていないものまで、中には当然眉にツバを付けて聞かなければならない怪しげなものもある。
 この『はたらく細胞』はそういった意味で非常に難しい表現を求められたり、場合によっては大炎上しかねない部分に足を踏み入れかねない。そういった中で「ここまでは正確な知識である」という表現と、「ここからは擬人化ファンタジーである」という表現の切り分けを、誤解が生まれないようとても気を使って作られている。
 
 こういった題材を選ぶ上でそれは当たり前といえば当たり前の態度ではあるが、それを繊細な注意を保ったまま完遂するのは意外に難しい。フィクションだからお話だからといった言い訳に甘んじることなく、正しくあろう誠実に伝えようとする芯の部分は持ちながらも、「でもこれは作品として嘘がいるのだ」という物語の要請に対して「嘘が嘘だとわかる」ように気を使って作られている。
 
 例えばテレビ版でクライマックス辺りに選ばれた「がん細胞と、それに対して人体はどう反応しているか」というストーリーや、今回の劇場版で中心に据えられたとある菌類の挙動に対しては、正直非常に扱いが難しい分野だ。
 その全ては不明であり、人類の知見によって判明していることはあまりにも少ない。なのに世間ではデマレベルのニセ化学が大手を振って横行している。そこから適切に距離を取りりつつ、わかっていることを提示しながら、物語として必要な嘘をそれとわかるように配置する手腕は感嘆に値すると言っていい。
 
 それに加えて今回の劇場版で感じたはテレビ版でメインに据えられていた赤血球の存在はかなり後退しており、もう一人の主人公格である白血球(好中球)の存在も決して軸にはいない。
 では誰が(何が)物語の中心にいるのか?
 
 咽頭細胞である。
 
 口と食道の中間にある場所、咽頭。そこのイチ細胞がこの劇場版においては主人公になっているのである。
 
 確かに人体にとって大事な構成要素ではあるものの、赤血球や白血球、キラー細胞に血小板ちゃんといったわかりやすい役割や能力を持っているわけではない。いわゆるモブであり、その他大勢の一人(一つ)である「ただの細胞」が主人公なのだ。
 
 だが考えてみれば人体を構成しているほとんどはこの「ただの細胞」なのだ。確かに目立つ役割も職能もない彼(ら)こそが、「私」を形作る大部分なのである。
 それを主人公に据える、単純な認知度やキャッチーさでは避けてしまう選択をしたというところに「これは特別な物語でもなんでもない、今あなたの体で起きている日常なのだ」という強い意志をもった「真面目」さを深く感じた。
 
 それはテレビ版で作り上げた信頼、「ただの細胞でも面白いものが作れる」「正しいことをやる」この二つが両立できていなければ成しえないことである。でもそれはやっぱり特別ではなく、すべきことを丁寧にやり遂げたことによる結果であり、それはまさしく『はたらく細胞』という作品そのものが持つ意味やメッセージと重なっているのだ。
 
 そこから少しだけ見えてくるのは、なぜ『はたらく細胞』という作品が世間で愛されているかだ。もちろん丁寧な作りや、情報に対する真摯さ、可愛かったりカッコよかったりするキャラクター……そういった要素も当然ある。
 だがそれと同じくらい「ただの細胞(名もなきあなた)も大事な一つ(一人)」という部分。その他大勢に埋没して、アイデンティティを失いそうな私たちに(まるで赤血球が酸素を運んでくるように!)届けられるメッセージ、それが自分の体の中で日々起こっているのと同じく、社会の中で日々生きる私たちの心に響いたのではないだろうか?
 
 といった感じで真面目な作品にふさわしい、私の中では割と真面目な感想でした。

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 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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