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宇宙を目指し、医学部に迷い込んだ先に見た景色。

このnoteは、宇宙飛行士を目指し医学部に入学した筆者が、「宇宙医学」という分野に目覚めて学生コミュニティを創設するまでの記録です。

「宇宙医学とは何か」という話については、是非こちらをご覧ください。
また、このnoteは5つの連載記事のものを1つにまとめているため、長文となっています(所要時間:25分)。分節形式で読みたい方は、こちらをご覧ください。

1. 気づけば夢はそこに。


「医学部です。宇宙好きです」と自己紹介すると「え、なんで医学部に?」と100%聞かれる。このnoteのタイトルも「迷い込んだ」とつけている。しかしこれは、ちょっと誇張している。実は、小4の時には決心はついていたのだ。
元々ウルトラマンやバズライトイヤーに憧れていたのだが、小学校に上がるタイミングくらいで「どうやらこれは職業ではないらしい」ということに気づき、「宇宙飛行士なんて仕事があるのか。いいなあ」と思っていた。
そんな風にぼんやりと夢見ていたある日、学校の課題で「将来の夢について調べてみましょう」という”あるある”な課題が出された。帰宅して親にパソコンを貸してもらい「宇宙飛行士 なり方」で検索した僕は、JAXAのとある書類を拾った。
平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者 募集要項宇宙飛行士の募集案内である。その当時2008年2月は、宇宙飛行士選抜試験の10年ぶりの実施をJAXAが丁度発表していたタイミングだった。曰く、

(2) 大学(自然科学系※)卒業以上であること。
※)理学部、工学部、医学部、歯学部、薬学部、農学部等
(3) 自然科学系分野における研究、設計、開発、製造、運用等に3年以上の実務経験(平成20年6月20日現在)を有すること。
(なお、修士号取得者は1年、博士号取得者は3年の実務経験とみなします。)
(「平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者 募集要項」より)

どうやら、宇宙飛行士になるには「理系」じゃないといけないらしい。そして大学を卒業していきなり宇宙飛行士になるのは、どうやら無理らしい。
「アナタは『何者か』にまずなってから、宇宙に来てくださいね。」
JAXAはそう言っていたのだ。

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さて、では僕は「何者」になればよいのか。エンジニアになるか、パイロットになるか、はたまた科学者になるか。
実は、宇宙飛行士に求められるバックグラウンドは、宇宙開発のフェーズによって少しずつ異なる。有人宇宙開発が始まったときには、飛行士は全員、軍のパイロットから選ばれた。その後アポロ計画ではエンジニア地質学者が登場し、国際宇宙ステーションが出来てからはそこで実験を行うために材料科学やバイオなど、さまざまな分野の研究者も宇宙飛行士として採用されるようになった。つまり、時の政府の方針によって、自分の学問的バックグラウンドで飛行士になれるか否かは大きく左右され得るのだ。

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それでは困る。毎年首相が変わったって(当時はそういう時期だった)、僕は何としてでも宇宙に行きたいのだ。考えた末に小4のアタマでひねり出した答えが、医学だった。
宇宙飛行士は常にチームで行動する。超健康体の宇宙飛行士とて、人間の子。ちょっと無理をして体調を崩したり、重力の差に慣れずにどこかをぶつけたりすることくらいはあるだろう。そうなった時に、地上から医師を呼ぶわけにはいかない。だから、チームに医師がいるに越したことはない。ジェミニ宇宙船やアポロ宇宙船のように2人乗りの短期ミッションなら医師を連れて行っている余裕は無いだろうが、これからの宇宙開発はそれよりももう少し多い人数で長期間動くことになるだろう。そうなれば、ミッションの目的によらず常に医学は必要とされ続けるのではないか。
他にも、「宇宙飛行士志望者の中では、パイロットよりも医師の方が珍しくて競争優位なのではないか」というニッチ戦略や、「もし飛行士になれなかったとしたって、これほどやりがいのある仕事は無い」という純粋な気持ちもあったが、大部分の理由は、あくまでも「宇宙に行きたい」というモチベーションのもとでの作戦だった。

こうして、極めて打算的に僕は医学部進学を決意した。

2. 浪人中に見つけた光。

こうして「宇宙のために医学部へ」という目標を立てたは良いものの、中高は部活と学校行事に明け暮れて勉強という勉強をせず、あっさりと入試に落ちて浪人が決まった。
医学部に行ければどこでも、と思って医系の予備校に入ったのだが、ここが凄いところだった。

「母がガンで苦しんだ。自分はそれを根絶したい」「この難病を一生かけてでも治して見せる」「地方の集落に医療を届けたい」などなどなど、周りには想像を絶する純度で夢を語る同級生ばかり。そんな彼らからしてみれば、「宇宙に行きたいから」などというエゴを濃縮還元したような打算的理由など、到底受け付けられるものではないだろう。「そんな理由で聖職に就くな」「医者一人育てるのに幾らかかってると思ってるんだ」「医学は踏み台じゃない」彼らが発するであろう台詞は、容易に想像できた。
僕は本当のことを誰にも言えず、かと言って諦めることもできず、肩身を狭くして過ごしていた。

そんなある時、廊下ですれ違った友人たちの会話から「ロケット着陸したらしいよ」という衝撃的な文句が聞こえてきた。
そんなバカな。ロケットは使い捨てるもので、ちっぽけなカプセルを運ぶのに数百トンの燃料と精密な機体を一気に消費しなければならなくて、だから費用が莫大で、だから未だに「夢」のままで、だから僕の肩身がこんなに狭いんじゃないか。
気づいた時には友人の肩を掴み、「それマジで!?」と大声で叫んでいた。

イーロン・マスクという名前をご存知の方は多いだろう。「火星に人類を住まわせる」ことを本気で考え、常軌を逸したアプローチでロケットの値段を従来の3分の1にまで下げた革命児だ。しかしその価格破壊の鍵となる「ロケットの再着陸・再利用」には難航し、何度も失敗を重ねていた。それがようやく実を結んだのが、その日の打ち上げだったのだ。
これが世界に与えたインパクトはとてつもなかったが、その末端の末端の末端として、僕の宇宙好きがバレるというインパクト(?)をもたらした。

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とっさに「しまった」と後悔したが、時すでに遅し。腹を括って本当のことを打ち明けた。しかし友人たちの反応は意外なものだった。
「えー、宇宙興味あるの?面白そう、教えてよ!」
てっきり糾弾されるものとばかり思っておびえていた僕は、拍子抜けした。

その日の帰り道、安堵と困惑とを混ぜあわせながら歩いていると、次第に「これで良いのではないか?」という気持ちが湧いてきた。
とどのつまり僕が医学に取り組む理由は「宇宙で医師が必要とされるから」。もう少し言えば、「宇宙に行く人がいる。人がいる限りそこに医療が必要である」というロジックだ。でも少し考えてみよう。文中の「宇宙」を「地域」に変えてみると…?「地域医療に取り組みたい模範的学生」の作文になる。「離島」でも「山間部」でも「途上国」でも同様で、「必要とされたい」というエゴは皆一緒なのだ。つまり結局大事なのは後半部分、「人ある所、医あり」ということ。そこさえ見失っていなければ、あとは場所が違うだけ。宇宙だって、ただの「場所」でしかない。毎年医学部の門を叩く数千人の中に、一人くらい宇宙を向いている奴が混ざっていたっていいじゃないか。
「宇宙に人が行く限り、そこに医療が必要だ。僕はそれをやりたいんだ」
以来、相手の目を見て、胸を張って周囲に言えるようになった。

3. 汝、世界を広げたくば…

宇宙飛行士を目指して医学部に入学した僕にとって、次にやるべきことは明確だった。体力づくりのために武術系の部活に、英語力強化のためにディベートサークルに入ることを早々に決め、他のサークルには目もくれずに毎日足しげく通った。
が、半月ほどして、どちらもぱったりとやめてしまった。

つまらなかった訳ではない。高校まで10年間野球一筋だった僕にとっては武術もディベートも未知の領域で、毎日が発見だった。
忙しさに疲弊した訳でもない。授業とサークルとバイトとの兼ね合いを探りながらも、良いバランスで日々を過ごせていた。
ただ、あることに気づき、そのひっかかりを無視できなかったのだ。

「これ、高校と同じではないか?」

授業を受け、日々の練習に励み、同じ目標に向かって切磋琢磨する。絵に描いたような「青春」。でも、自分は高校と同じ「青春」を繰り返すために大学に来たのだろうか?

恥ずかしながら僕は、大学に入ったら劇的に世界が広がるものだと無邪気に思いこんでいた。いや、確かに広がってはいたのだ。全国からの同級生に、選択制の授業に、「サークル」という未体験の場所。だが、もっとこう、見たことも聞いたことも無い場所で、目を奪われるようなことが起きている場所が、大学だと思っていた。
当然ながら、黙って座っていれば勝手に世界が広がってくれる、なんてことはあり得ない。見たことの無いものに出会いたければ、自分がそこに足を運ぶしかない。とても単純な道理だった。

だが、一体何を目指して動けば良いのか?何を自分は見たいのか?そもそも一体自分は何者なのか?

今一度、自分のことを振り返る。宇宙飛行士になりたくて、医学部で、野球を10年間やっていて、自転車と登山が好きで、ピアノは少しばかりで…ふむ。登山。医学。宇宙。宇宙…医学。
それまで気づかなかったのがむしろ不思議に思われるだろうが、「宇宙医学」という分野の存在をひらめいたのはその時だった。

自分、これなんじゃないか?
10年にいっぺんの宇宙飛行士試験を待たなくとも、自分で組み合わせてしまえば良いのではないか?
そうすれば、宇宙に続く道は拓けるんじゃないか?

ひらめいたとは言っても、当然何も分からない。分からないものは仕方が無いので、ググるしかない。JAXAやら何やらのサイトを漁っていると、ある資料に行きついた。
宇宙で筋肉はどうなるのか?血液は?骨は?神経は?上も下も無い環境で、ぐっすり寝られるのか?極度のストレス環境で、飛行士はどうメンタルをコントロールするのか?あまりの面白さに瞬きもできず、スクロールする手は止まらなかった。宇宙医学を総合的に研究する一大プロジェクト「宇宙に生きる」のニュースレターであるそのPDFでは、全国津々浦々の大学の先生方の研究テーマが、次々と紹介されていた。
聞いたことも無いワクワクするテーマと、それをリードする先生方。初めて、「大学生の世界の広げ方」をした瞬間だった。

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人は視界が広がると、その「先」が気になってしまう生き物だ。研究の細部はどうなっているのか?使用する設備はどんなものなのか?そもそもなぜこの研究をやろうと思ったのか?溢れる疑問に対する答えは、残念ながらそこには無かった。
ならば、直接聞きに行くしかない。PDFに載っている先生方のうち関東圏の大学の先生の名前を片っ端から検索ボックスに放り込み、連絡先が見つかった先生にメールを出した。

「はじめまして、大学1年生です。突然なんですが、お邪魔しても良いですか?」

今思えば赤面するほどの無鉄砲さだった。躊躇はなかったが、送信ボタンを押す手は震えていた。
しかしこの未熟な、作法もへったくれも無い突然のメールに、先生方は快諾の返事を下さった。
Googleは僕らに色々な世界を見せてくれる。どんな扉の前にも、思いのままに連れて行ってくれる。だがその扉を前にして、開けるのは自分以外にいない。アラジンを魔法で王子様"アリ王子"の姿に変えたジーニーだって言っていた。「"アリ王子"がジャスミンの前に君を連れて行く。でも、彼女の心をつかむのはアラジン、君だ」

2時間の訪問は、一瞬で終わったように感じた。宇宙で人体がいかに影響を受けるか、そしてそれでもなおバランスを保とうとする機構のいかにたくましいことか。いかに宇宙医学が可能性に溢れていて、それでいて誰も取り組んでいない分野であるか。
大学のどんな講義よりも面白い話を独り占めするという、こんな贅沢が許されて良いのだろうかと思った。そして何より、研究について語る先生の目の輝きは、僕に自信と確信をくれた。未来はこの道にあると。

4. 「プロジェクト化する」ことのうまみに気づく。

訪問を終えて一か月ほど経った時、ある先生から連絡が来た。

「今度『宇宙に生きる』プロジェクトの若手合宿がある。良ければウチのメンバーという体で参加してみるか?」

聞けば全国の若手メンバーが一同に会するクローズドな合宿だそうで、色々な先生方にお話を聞ける、またとない場である。二つ返事で参加を決めた。

しかし、ここで大問題に直面する。参加するは良いものの、先生方と何をどう話せばよいのか?
世の中には誰とでもすぐに打ち解けて何時間でも話せて仲良くなれるタイプの人もいるが、残念ながら僕は雑談が恐ろしく下手で、何かしらネタが無いと話せない人間だった。
そういう人間が「コネクション」なるものを作ろうと思ったら、選択肢は一つしかない。「ネタ」を作ること、「話すべき何か」を持っていることだ。それは例えば自分にしかないコンテンツでも良いが、それもまたハードルが高い。

考えた末に思いついたのは、「記事を書くために取材している」という「ネタ」だった。こちらから提供できるものが何もない学生にとっては、「こういうことをやっているんですが、お話よろしいでしょうか?」というフックの作り方は非常に有用だ。
運のいいことに、所属団体のBizjapanで「マイナビのサイトに団体として記事を連載する」案件が動いていたので、そこに便乗して投稿枠をもらった。他のメンバーが韓国の若者離れインドネシアから日本への留学といったテーマを並べる中に一人「宇宙医学」をぶっこむのはあまりに浮きすぎる気もしたが、そういった異物をむしろ歓迎する文化が根付いているのがBizjapanだったので、そのまま強行することにした。

作戦は見事に成功し、当日は本当に良い話を聞くことができたのだが、その他にも思わぬ嬉しいことがついてきた。
まず、自分で分かりやすい記事にしなければならないため、聞いた話の理解度・定着度が圧倒的に上がる。
そして、先生方に覚えてもらえる。「記事を書きたいのですが」などと自ら言ってくる学生は珍しいので印象に残るし、その後も「記事の件で」という名目でメールを何往復かできる。
さらに、他の人に見せることのできる自分の「成果」ができる。この時に書いた記事は、「宇宙医学」というワードの検索結果トップページに載るまでになった。そしてそれを読んで興味を持ち、連絡してきてくれた人までいた。

これらはどれも、物事を勝手に自分で「プロジェクト化」すること、即ち何かしらの形でアウトプットを出すことによって生じた副産物である。はっきり言って、良いことしかない。
こうして「プロジェクト化」のうまみに気づいた僕は、「見ているだけは嫌だ。宇宙医学で自分でも何かやりたい」と強く思うようになった。

5. 課題は現場にある。

「何かやりたい」と思ったところで、「はい、これが『何か』だよ!」とドラえもんが出してくれる訳は勿論なく、自分で見つけなければならない。早速自分で案を出してBizjapanの仲間に見せに行ったのだが、どれも反応は微妙。懲りずに第二弾、第三弾で挑戦しても、パッとせず。「ダメなのか俺は?」と頭を抱える僕に、一人が言った。

「何に困ってる誰の役に立ちたいのさ、お前は?」

そうか、だからダメだったのか。アントレプレナーシップ(Bizjapanのモットーだ)に於いて一番大切な部分をすっかり忘れてしまっていたことに気づいた。
その視点で記憶を辿れば、答はすぐに見いだせた。先述の「宇宙に生きる」の若手合宿中にとある先生がぼやいた一言だ。

「学生にはもっと来て欲しいんだけど、接点が無いんだよね」

大学の先生がまさか、と思う方もいるだろうが、年々タイトさを増す医学部のカリキュラムでは宇宙医学などという極マイナー分野を扱う余裕などなく、そもそも宇宙医学をやっている研究室は何かしら地上の医学もテーマに含めて研究をしている所が殆ど。学生に宇宙の側面が知れることはあまり多くない。そしてちょっと話を聞いただけでは全体像が掴みづらいので、殆どまともに認知されていないと言って良いかも知れない。
他方、これまでの日本の宇宙医学を牽引されてきた先生方が第一線を退かれ、そのナレッジが引き継がれていないといったことも起きている。
日本の宇宙医学会の将来に響く課題があり、実際に困っている先生が目の前にいる。そして、「対学生」の仕事をするのに一番勝手が良いのは、勿論学生だ。
これはもう、自分がやるしかないじゃないか。

もし先ほどの合宿に行っていなかったとしたら、この先生の声を聞くことは出来ていなかった。課題も見つけられず、「やること」も決められていなかっただろう。現場に足を運んで見出した「ミッション」だった。

6. 「これじゃない」に正直になる。

見つけた課題を解決するにはどうすれば良いのか、僕は思案した。

まず決めたのは、「Space Geekを作るのはやめよう」ということだった。Space Geek、つまり宇宙オタクというのは、ここでは「僕は/私は宇宙に絶対行くんだ!宇宙医学で身を立てるんだ!」と固く決心し、それに向かって邁進する人のことを指す。僕自身がまさにそれに当たるわけだが、こんな人間が大多数な訳ではないということも勿論承知している。
第一、宇宙医学というのは歴史の浅い黎明期の学問で、体系化されている訳では決してない。だからキャリアの初めから宇宙医学の道で歩んできた人というのは一人もおらず、皆何かしら地上の医学の専門性を持った上で、それを宇宙に応用しているのだ。

なので、今僕がリーチしようとしている学生たちが、もし本当に宇宙医学の道を拓いていくとしたら、それはだいぶ先のことになる。
医師は勉強と成長を求められる、責任の思い職業だが、一方で臨床業務にはルーティンワーク的側面があるのも否めないと聞く。25歳で医師免許を取り、30歳で専門医資格を取り、10年研鑽を積んで一人前になった40歳前後に、「あれ、このまま80歳までこれをやり続けるのか、自分?」という疑問が浮かぶ医師は少なくないという。ならば、その時に「宇宙医学」という一見突拍子もない発想が思い浮かぶ医師が居ても良いのではないか?そして、そういう人が少しでも増えるためには、20年後までも残る記憶を、学生時代に持ってもらうのが一番良いのではないか?

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ゴールは決まった。「20年後まで残る記憶を提供すること」だ。そのためにどうするか、僕はさらに考えた。

講演はダメだ。それじゃ大学の眠い授業と一緒じゃないか。スライドとマイクだけでは、先生方の魅力はとうてい伝わらない。彼らの現場に学生が足を運び、そのリアルを生で感じなければ。
大人数でもダメだ。人数が増えれば増えるほど、聞き手の注意力は薄れ、やりとりは一方的になる。今まで真面目一筋で勉強に打ち込んできた日本の医学生なら尚更。第一線で活躍する先生との密な対話こそが学びなのであり、より記憶に残るものになるはずだ。

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1日だけでもダメだ。宇宙医学という分野には、内科的側面や外科的側面、精神的側面や生理学的側面など様々なものが内包されており、運動器、循環器、呼吸器、消化器、前提系など人体のあらゆるシステムの変化が関係してくる。言うなれば「地上医学」と同じレイヤーにあるのが、宇宙医学なのだ。1日どこかに行くだけでは、そんなあまりに複合的な分野の、一側面だけを見て分かった気にさせてしまうだけだ。
研究について話すだけでもダメだ。彼らがこれまでやってきたこと、今取り組んでいることはネットや学会誌を見ればすぐ分かる。折角会って多忙な彼らの時間を割いてもらうなら、「会ってこそ聞ける話」を聞かなければ。話を聞いた学生が、「もしかしたら自分も」と思えるような、そんな話を引き出さなくては。
ただ行って終わり、でもダメだ。何も記憶に残らない、ただの楽しい遠足になる。数学の勉強に問題演習が必須なように、人間の脳はアウトプットを出した時に初めて学習するようにできている。将来まで記憶に残る体験にするには、アウトプットの機会は外せない。

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こうして出来上がったのが、「宇宙医学スタディツアー」だった。3日間程度の連続した日程を組み、日ごとに違う先生を訪問する。一度に訪問できるのは10人までで、必ずどこか2日間以上に参加しなければならない。訪問では研究内容についてのお話を伺った後に、人類の宇宙進出の未来についてのディスカッションをしたり、先生方がどのようにして今の道に至ったのかのお話を聞いたりする。そして、最後には普段は見ることのできない研究室の機材や施設を見学させてもらったり、場合によっては実験の一部を体験させてもらったりする。そして訪問後には、実際に先生から見聞きした話に自分の考察を加え、報告書を作成したりプレゼン発表会を開いたりする。

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練りに練った自信の構成で営業をかけ、有難いことに訪問先はトントン拍子で決まっていったのだが、ひとつ不安材料があった。マーケティングだ。
初回はスモールスタートということで、ターゲットは医学生に絞ってLINEグループづたいの広報戦略をとったのだが、そもそも「宇宙医学に皆興味を持つのか?」という初歩的な調査をスキップしていた。マーケットリサーチをせずに企画を立案するなど、普通に考えれば言語道断だろう。素人ながらにウェブサイトも作ったが、本当にこれで効果が上がるか、申込者が来るかどうか、正直不安しかなかった。

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しかし、実際に広報を初めて見ると、申込が殺到し、すぐに満員に。予想外の展開に驚いたが、そもそも医学生とて一人の理系学生。宇宙という分野には、誰しも一度は憧れや興味を抱いたことがあったのだろう。足りなかったのは、眠っていた宇宙への興味をくすぐり出すキッカケだけだったのだ。

ツアーは無事に終了した。幸いだったのは、参加者と訪問先の双方から、「こんなプログラムは初めてだ」「是非継続して欲しい」と絶賛していただいたことだった。実際にやってみるまで分からなかったが、実は医学生と研究者のニーズを、ともに満たすプログラムになっていたのだった。これを皮切りに、今でもツアーは継続している。
出来上がったものを見ると、もしかしたら僕は、数か月前に僕が経験した出来事をそのまま追体験してもらいたかったのかも知れない、とも思う。未知なる領域に目を見開き、胸を高鳴らせた時の、あの体験を。
そう考えると、重要なのは、「こういうものを作りたい」というビジョンを持ち、その細部に至るまで「これは違う、こっちだ」という気持ちに正直になったことだったのかもしれない。それが人を惹きつけるものを作り、世にまだない小さなものを生み出すことに繋がったのだろう。

7. アウトプットが、チャンスを呼び込む。

「大きな夢を持ちなさい」としばしば大人は言うが、その理由の一つとしては、夢が努力の原動力となり、成長の源となるということがあるだろう。宇宙飛行士という夢は、まさに多くのものを僕にくれた。募集要項に「心身ともに健康な成人を採用する」とあればスポーツを頑張り、「選抜にあたってはリーダーシップを重視する」とあれば部活や行事でまとめ役を担った。そうした一連の影響の中でもとりわけ大きかったのは、海外志向だ。

自前の宇宙船を持たないJAXAの有人ミッションは、必然的に全て国際協力ミッションになる。宇宙飛行士は、英語を不自由なく使うのは勿論のこと、互いの文化や習慣の違いを尊重しあいながら、ストレスのかかる極限環境下で仕事をしなければならない。僕は自ずから、英語を一所懸命勉強し、機会さえあれば海外に行きたがるようになった。

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宇宙医学という分野に目覚めてから、その志向性はさらに強まった。なにぶん未開拓領域の多い分野なので、(他のどの分野でもそうであるように)情報の量では英語が圧倒的だった。加えて、有人宇宙プログラムはアメリカとロシアの2強が引っ張る分野だ。日本で活躍される先生方にお会いし、プロジェクトを行う中で、「もっと視野を広げたい、世界を見たい」という気持ちは強まる一方だった。

そんな折、記事執筆の際にお世話になったJAXAのとある先生から連絡が入った。

「今度、アメリカの宇宙医学の学会がダラスである。良かったら参加するか?」

Aerospace Medical Association、通称AsMAと呼ばれるその学会は、アメリカの国内学会でありながら、航空宇宙医学関係の重要人物が世界から集まる場として、事実上最大のハブとなっている。5日間の学会のプログラムは、見るだけでワクワクするようなテーマで溢れていた。最前線の現場を見たい、そこの人や思いを知りたい。行かないという選択肢は無かった。必修の授業をサボり、一人ダラスに特攻した。

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実際に参加してみて痛感したのは、米国の人材層の分厚さだった。まず、学会参加者の約半数は軍関係者で、NASAのフライトサージャンとして勤務している人にも、空軍や海軍出身の医師は少なくなかった。そして、民間の宇宙旅行会社の医療担当もいたのだが、彼らは多くが元NASAフライトサージャンだった。これは推測でしかないが、アメリカではこうした官・民・軍の3者を跨いだ人材流動のエコシステムが形成されているのだろう。質が担保されたゆるぎない人材プールとして軍があり、その中で仕事ぶりを認められたフライトサージャンは希望すればNASAに転向するパスがあり、そしてNASAで存分に活躍した人はリタイア後にも民間ベンチャーでさらにバリバリ働く、という流れだ。無論これはあくまでアメリカの話であり、平和憲法のもとに宇宙開発と軍事研究とを切り離して進めてきた日本に於いて、それを真似すればよいという事は断じてない。ただ、航空宇宙医学という分野に於いて、人材の質と数の差は、思っていたよりも遥かに圧倒的だった。

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ダラスからの帰国後しばらくして、とある友人から

「宇宙関係の国際学会にJAXAが行かせてくれるらしい」という話を聞いた。

「国際学会」というのは、International Astronautic Congress、通称IACと呼ばれるカンファレンスで、AsMAが「宇宙医学の全てが集まるハブ」だとしたら、IACは「宇宙開発の全てが集まるハブ」だ。ビジネスカンファレンスとアカデミックカンファレンスを足して2で割らないくらいの超大規模なもので、NASAの長官もイーロンマスクも宇宙飛行士も来る。5日間で6000人が訪れ、300のセッションが開かれ、2500を超すプレゼンテーションが行われる。そんなカンファレンスに、実はJAXAが毎年学生を10人ほど選抜し、派遣しているのだ。その年の会場はブレーメン。5日間の学会期間を含む、10日間の滞在だった。

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世界の宇宙開発の潮流を肌で感じることができ、宇宙を目指して世界中から集まった学生と出会い、語ることが出来る。行かない理由はなかった。しかし、院生を主な対象としたプログラムなのだろう。応募には指導教員の推薦状と、研究内容の紹介が必要だった。特定の先生に師事している訳でもなければ研究もしていない僕のような人間は、明らかに想定されていなかっただろう。だが、このチャンスを逃す訳にはいかない。大学事務局に直談判して(会ったことも無い)学部長からの推薦をもらい、自分の唯一の「実績」である宇宙医学スタディツアーのことを、さもスゴいことであるかのように盛りに盛って書いた。
いくらなんでもこんなハッタリはJAXAには通用するまいと半分諦めていたが、フタを開けてみたらまさかの選考通過。千載一遇のチャンスを、モノにすることができたのだ。

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ブレーメンの10日間で得た学びは、数えきれない。
小型衛星/ロケットビジネスが淘汰のフェーズに入っていること。世界が今再び月を目指し、官民が全力をあげていること。
ロシアが次第に凋落する一方で、中国のプレゼンスが僕たちの想像以上に上がってきていること。ヨーロッパの宇宙開発が、EUの「ヒトの移動」を基盤とした学術的人材流動に支えられていること。インドの野心的な学生たちが、自国に収まる気は毛頭なく、チャンスを求めて世界中に飛び出していること。ニュージーランドノルウェーなど、新たなプレイヤーが次々と参入してきていること。2年後にIACをホストするUAEが、巨額のオイルマネーを宇宙開発につぎ込む気でいること。

そして、宇宙を目指す学生が世界中から集まっても、医学生は僕一人だったこと。

人生で最も濃密な10日間だったと言って良いだろう。まだまだ語りつくせない学びと、世界中の同志を手に入れることができた。

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さて、これら2つの経験に共通することは、一体なんだろうか?「世界を見てきたこと」というのがストレートな答えだろう。では、そのチャンスはどうやって手に入れたか?といえば…そう、どちらも初めに自分のプロジェクトがあったのだ。宇宙医学の記事を書き、JAXAの先生にチェックをもらっていなければ、AsMAを紹介してもらえなかった。スタディツアーをやっていなければ、「研究内容」欄に1文字も書けず、ブレーメンには行けなかった。どちらも、チャンスを活かして出したアウトプットが、次のチャンスを呼び込んできた結果実現したことだったのだ。

「アウトプット」と書くと何だかスゴそうだが、何も大層なことでなくても、例えば「周囲にSpeak Outする」ことも立派なアウトプットだ。
大学の授業で、自分の好きなTEDトークについてプレゼンするというものがあった。僕は当然ながら宇宙にまつわるTEDトークばかり話していた。するとクラスメイトからは「宇宙野郎」と認知され、そのうちの一人の紹介で、宇宙スタートアップの社長に会わせてもらうことができた。
また別の時には、僕が宇宙関係の記事ばかりFacebookで投稿するのを見ていた同級生から、「変な事やってる奴」と認知され、G20の若手版オフィシャル企画に呼ばれるという珍事も起きた。

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自分の好きなこと、やりたいことは大声で周りに言う。そして、それに行動を伴わせる。すると不思議なことに、色々な機会が集まってくるようになる。チャンスとアウトプットのサイクルが、だんだんと回り始めていた。

8. プラットフォームを卒業するということ。

スタディツアーのプロジェクトが無事に成功を納め、次のツアーの準備にとりかかっていたころ、僕はあるモヤモヤを抱えていた。

Bizjapanというプラットフォームは、ユニークな興味関心を持つ学生のたまり場だ。留学生による地方創生や、障碍者との共生、インドネシア、ウェルビーイング、データサイエンス、ドライフルーツによるフードロス削減などなど、皆それぞれに強い軸を持っている。これはとても素晴らしいことだが、同時に問題も生じる。誰かが始めたプロジェクトを、誰も「引き継ぐ」ことが出来ないのだ。過去にも大きなプロジェクトが後輩の手に引き継がれようとしたことはあったが、彼らには彼らのライフミッションがあり、それと折り合いをつけながら別の人が立ち上げたプロジェクトのミッションを実践していくというのは難しい。

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僕の始めた宇宙医学のプロジェクトも、まさに同じ状況に直面しようとしていた。宇宙開発の国際会議でさえ医学生が1人しか居なかったくらいなのだから、「たまたま入学時点で宇宙医学に関心を持っている学生がいて、その人がたまたまBizjapanの門を叩いてくれて、さらにはプロジェクトまで回してくれる」などということは、100年待っても起き得ないだろう。
しかし、「宇宙医学の受け皿を作る」というミッションはまだ始まったばかりで、僕一人では大きくしていくのは限界がある。僕は頭を抱えた。

そんな頃、とある宇宙医学研究者の先生からこんな連絡をいただいた。
「君と同じように宇宙医学に早くから関心を持っている学生が大阪にいる。近々用事で東京に来るそうだから、是非会ってもらえないか」
そして、こんな言葉が続いた。
「2人が出会えば、面白いタッグになる」

一体どんな人なのだろうと恐る恐る会いに行ったが、話し始めて数分もしないうちに、僕はこの出会いに心から感謝していた。全く同じ問題意識に共鳴し、同じ方向を向いている仲間を見つけることができたのだ。宇宙医学のことや、その現状について一通り語った後、彼女はとあるLINEグループを見せてくれた。「Space Medicine」というシンプルな名前のつけられたそのグループには、10人ほどのメンバーがいた。「宇宙医学に少しでも興味のある人を、とりあえず集めているの。ここからどうするかはあまり考えていないんだけれどね」と彼女が笑って話すのを聞いた時、僕は「これだ!」と内心で叫んだ。

そもそも考えてみれば、Bizjapanはプラットフォームである。であるならば、入ってくるもの、生まれるものと同様に、出ていくものがあって当然ではないか?プラットフォームという言葉は「土台」という意味を持つが、それはBizjapanの場合「プロジェクトを生むための土台」であり、「プロジェクトを走らせ続けるための土台」ではない。つまり、「プラットフォームの力を借りなくても自立できるプロジェクトは、巣立っていくのが望ましい」ということになる。

この点に気づくと、「引き継ぐ」という発想そのものが間違っていたことにも気が付く。持続できそうなプロジェクトは、後輩に押し付けるのではなく外に出してプラットフォーム内に余白を作り、新たなプロジェクトを生むための素地とするべきなのだ。

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進むべき道は見えた。プロジェクトをBizjapanから卒業させ、先述のLINEグループを母体とした別団体として独立させる。そして、スタディツアーという「活動の中身」を移植し、そこからさらに他の活動も展開していく。宇宙医学に関心を持つあらゆる学生のための受け皿となり、アカデミアの先生方との架け橋となる。

こうして、Space Medicine Japan Youth Communityが立上げられた。かつては10人だったLINEグループの人数は200人を超え、現在は医学生を中心に、スタディツアーの運営や実施だけでなく、講演会の開催学会での発表Facebookでの情報発信や宇宙医療ハッカソンの開催など、活発に動いている。

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ようやく時間が今に追いついたので、この記事はここで終わる。
自分の思いに素直になり、様々なチャンスに恵まれながら、それを逃さずに活かしてきたことで、道は少しずつ拓けてきた。
一方で、宇宙飛行士だけを見ていた入学前と比べると、自分が何者になるのかについては、さっぱり分からなくなってしまった。それだけ多くの可能性に目を開いたからだ。ただ一つ、「医学から宇宙開発に貢献する」ということだけは、変わらずに目指し続けるはずだ。

物語はまだ、始まったばかりだ。
(完)

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