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世界観を問う44問(のうち前半22問)に回答してみた。(ENTP)

SGです。以下の記事にあった44問に回答してみました。このような問に答えていくのは初めてなので、楽しかったです。なお、長くなって疲れてきたので今回は前半22問で1記事とします。後半も遠からぬうちにやります。

問1.<科学>

科学に何を期待しますか?あるいは、何も期待しませんか?科学によって人類が発展したり謎が解明されることを望みますか?もしくは、科学の進歩が人類に不幸をもたらすだろうと考えますか?

自然科学について考えるなら、より多くの人が幸せに生きられるような技術的発展には大いに期待がある。また、未だわからない領域について科学的枠組みで知見が得られることは楽しみだと思う。個人的には、意識が生じる理由が理論的に説明できたらいいなと思っている。もちろんすべての根本がわかるということは不完全性定理を鑑みても不可能だということは前提で。

科学はそれ自体が悪を為すことはなくても、人間はかなり愚かであるから科学の進歩が将来的に不幸をもたらすリスクはかなり高いと思う。ただ、すべての人間が自由に研究をすることが理想であると考えるので、そのリスクを科学を制限することによって低減しようとするのは個人的には受け入れにくく、規制は熟議の上必要最低限にすべきだと思う。

問2.<年齢>

何かを始める時、何かをやめる時、人と人が友愛を築く時、同盟を結ぶ時、人が人に指示をする時、人が人を師と仰ぐ時、人が人を蔑む時に、年齢はどれほど関係すると考えますか?あるいは、関係しないと考えますか?

まず、年齢というものを重視する価値観の相手となら必然的に関係するだろう。ただ、少なくとも成人している人間同士は対等に付き合うべきだという感覚はある。成人といったのは例えば、幼児と大人がいくら友愛や同盟を築くといっても現実的には大人の側が責任を負ったうえでの関係性だからだ。

成人同士についていえば、対等に付き合うという前提の中でさらに関係性を深める際には、年齢よりも人生経験やそれによって形成された人格がものを言ってくると思う。そのうえで、一般的には年齢が上の方が経験値が高くなりやすいので一定程度年下が年上をリスペクトすることが多いと思うが、それがすべての判断基準ではない。ただ、全く無関係とはいえないだろう。

問3.<故郷・出自>

生まれ故郷を捨て去ることにためらいはありますか?愛国心や地元愛といった感覚は持っているでしょうか。また、その人の出自(○○生まれ、××育ちなど)を何かの判断材料にすることはありますか?

引っ越しを何度か経験しているので生まれ故郷という感覚は希薄だ。ただ、海外で一生過ごすとなると日本が恋しくなるとは思うのでためらいがないと言ったらウソになる。ただし、国という単位での議論をするとかなり大きな話になり多くのものを含むのでそれを全て愛する愛国心を持ち合わせるかというとおそらくない。地元愛レベルの、過ごした地域を懐かしむ感覚ならある。

出自については、その人の価値観の形成の土台になりやすいので、例えばマナーなどの点で多少意識することはあるかもしれない。ただし、あまり考えすぎないようにした方が無用な偏見を生まないと思っている。それにより差別をするようなことは間違ってもあってはならない。出自は自分で選ぶことができないのだから。

問4.<定量的な評価>

統計やテストの点数、知能検査のスコアなど、数値による評価は信頼足り得るものだと思いますか?また、そういった数的感覚には長けている方ですか?

数値の算出方法によるだろう。例えば、最後の問題だけできたら100点のようなテストなら数値により評価されていても信頼できるはずがない。また、例えば受験対策の模試などはかなりよく設計されているが、それでも出た問題やアルバイトの採点者により大きく成績が変わることがある。したがって、どのように得られた数値かに注意すべきだと思う。そのうえで、単に主観的に評価するよりは正当性が高いことが多いだろうとも思う。

数的感覚については、経験的にわかってくる部分もあるとは思う。自分自身が特に長けているとは思わないが、テレビショッピングなどの怪しげな効果喧伝広告のサイズ感のおかしいグラフなどはごまかされないつもりだ。

問5.<マネーウォーズ>

今後食べるに困らないだけの大金を手に入れた場合、それを元手に何か挑戦しようと思いますか?それとも悠々自適に余生を過ごしますか?また、投資や株などのマネーゲームに関心はありますか?

おそらく退屈なので何かはすると思う。まずは自分の煩悩を満たすと思うが、結局のところは飽きると思う。基本は本を読んだり軽い運動したりと悠々自適で、たまに冒険とかに出てみたくなる気がする。もしくは、またマネーゲームとしてより、自分が頑張ってほしい人に投資したくなると思う。

マネーゲームという意味では、わざわざ大金を持っているのにそれをギャンブルするリスクは負いたくないのであまり手を出さない気がする。それなら、そこまで金のかからない普通のゲームをする。

問6.<目が醒めているとき>

目が醒めているとき、意識は常にハッキリしていますか?「気が付いたら○○していた」とか「何をしようとしたか忘れた」ということはありますか?或いは、白昼夢を見たりしますか?

これは認知心理学ではアクションスリップと呼ばれる現象だ。私自身はしょっちゅう起こす。気が付いたら~ということばかりだ。基本的に計画性がなく行き当たりばったりなところが多い。気が付くと楽な方に流れがちである。高校の時など通学にバスや電車を使っていたのに、家から出たと思ったら学校の門の前だった、なんてことがちょくちょくあった。頭の中でいろいろ空想(妄想?)していたら自動運転のようになっている。

白昼無は見たことがないが、明晰夢を見ようと努力していた時がある。かなり見れるようになって楽しんでいた。Altered States of Consciousness = 変性意識状態はかなり自己探求したし、その感覚は大好き。

問7.<四季>

季節の移り変わりに楽しみや美しさや情緒を感じたりしますか?

私の周りの人は、「○○の花が~」のように楽しんでいるようだが、まったく興味もないし、覚えもしないタイプだ。幼少期から公園が好きで親しんでいるはずだが、そういう興味はないのだ。その代わり、体感は好きだ。特に冬の朝のパリッとした寒さの感覚は絶品だ。夏の終わりのセミの鳴き声には哀愁を感じる。重度の花粉症患者として春の花粉は情緒も減ったくれもないが、春って感じはある。秋はやっぱり暗くなるのが早くて、何か言いようのない寂しさを感じるときもある。意外と季節に心揺さぶられている自覚はある方だと思う。

問8.<殺意>

到底自分が納得できるものではない理不尽な理由で、ある人物から侵襲的な行為を受けた時、その人物を殺したらいいと考えたりしますか?

実は殺意がわくという感覚が分からない。もちろん、関わりたくないと思うことはあるかもしれないが、どうしてそれが相手の命につながるのかわからないということ。逆にそう思う人がいるのがかなり恐怖に感じる。命というのは人権の根本で、どんなにひどい奴でも生きる権利はある。

その代わり、どうしようもなく気に食わない人に対して、自分が圧倒的実力を見せつけて、ボコボコに(比喩的)にやられて悔しがっているのを妄想したことは正直ある。快感。

問9.<縁起や神事>

良い意味でも悪い意味でも信じているジンクスはありますか?また、先行きが見えない展開になったとき、願掛けや神頼み、占いをしたりしますか?

そんな非科学的なものは信じない。過去は離れていくだけ、起きたことに縛られるジンクスを信じるくらいなら、未来への縁起に働きかけたい。最終的に働きかけるのは自分の心であるべきだと思う。すべてのことは自分の心から始まるのだから。

一方で、非科学的でも信じられる人がいるならばその人がジンクスなり願掛けなり占いなりで未来に働きかけていけるならそれは機能として全然良いのではないかと思う。ただし、悪徳な人に悪用されないように細心の注意を要するが。

問10.<趣味>

活力が湧くほどの趣味を持っていますか?持っていないとしたら、欲しいと思いますか?或いは、無趣味でも問題ないと思いますか?

趣味は自分が好きなことなのだから、やりたくてやるという意味で活力がわかないことは定義上ないのではないかと思う。どんなことも最初は活力が大きいが、いずれ少し飽きてくて弱まってくる。それでもふとやりたくなって続くことが本当に自分に合った趣味なのだろう。自分が一つのことを深く深く突き詰めるタイプでないからかもしれないが。

無趣味そのものは全く問題ないと思う。無趣味であるとしても、生きてる間何かをしているわけで、ボーっとしているならそれが趣味なのだと思う。その時に、ほんの少しでもそんな自分が嫌だと思うなら、そのとき無趣味という趣味を止めるべきだと思う。

問11.<嘘>

自覚的に嘘をつくことはありますか?あるとしたらそれはどのような理由、どのような状況で嘘をつきますか?

逆につかない人はいないと思うし、自覚的につくことは十分あると思う。つかない人は自分以上に社会性がないのでかなりやばいのではないかとさえ思う。例えば目上の人からいらないものをもらったとして、お礼は言わなければならないと思うが、それは嘘といえば嘘になるからだ。

人間関係を円滑にし、相手との関係を壊さないかむしろ良くする嘘、特に心の内など、証明しようのない嘘ならつくことは問題ないと思う。

問12.<謙虚であること>

あなたは謙虚ですか?謙虚であることは必要でしょうか?

謙虚に見える振る舞いをすることが重要な場面はあると思う。ただし、心から謙虚であることが良いかどうかは疑問が残るし、自分は謙虚ではないと思う。

例えば、謙虚に見せた方が、相手との関係性上、お互いの利益になるのならば謙虚にすべきだろう。無用な心理的反発を引き起こさない方がよいのだから。ただし、自身を過小評価してセルフエフィカシーを下げるようなことは不必要どころか人生に悪影響だと考える。理想は、自分も相手も能力を発揮できるコレクティブエフィカシーであり、コレクティブエフィケーシャスな関係を作るうえでは謙虚にふるまうべき時もある。

問13.<ファッション>

寒さをしのいだり、局部を隠したり、社会的な記号(制服)としての役割以上の意味がファッションにはあると思いますか?違う表現で言えば、装飾を施したファッションをしますか?平たく言えば、お洒落をしますか?するとすればそれは何故ですか?

全体としての組み合わせ的な意味でのファッションは私は意味がないと思っているし、1mmも興味がない。それは人間の本質と全く無関係だと思っている(過激派)。むしろそういうもので人を無意識的にもジャッジしてしまうことが悪だと思っており、自分も含めどうしても外見に目が行ってしまう人間に業を感じる。そんなんだから騙されるんだよ、という気持ちだ。ただ、こんな人は少数派だと思っているし、こだわりたい人はご勝手にという感じだ。

そのうえで、自分のこだわりという意味で特殊なアイテムを持っている人には興味がわく。例えば、宇宙開発が好きだからNASAのシャツを着ている人など見るといいなあと思うなど。あと、自分が好きな人がその人の好きなファッションができて喜んでいるなら、嬉しいのは当然。

問14.<性愛>

恋愛対象としている性を崇めたりしますか?また、その性から何らかの施しを受けることによって、自分が抱えている問題が解決することを期待していたりしますか?

※性的志向をヘテロとして、男性だったら「女性は素晴らしい!」という考えを持ってるか、女性だったら「白馬の王子様が~」みたいな考えがあるか。 恋愛にロマンスを求めるか、その相手の性を特別なものとして見ているか、そう言い換えてもいいです(複数の方からわからないと言われたので補足)。

女性について出産ができるというのは自分に絶対経験ができないことであるがゆえに、その点での神秘的な感動は否定できない。ただし、ロマンス的な特別性を性別に求めるということはあまりない気がする。身近に妹がいるせいなのかもしれない。

また、自分の抱えている問題が解決するか否かは基本的に運+自分次第であり、恋愛は逃避になるとしても、解決に貢献することは考えにくい気がする。もちろん、コーチのような存在によって自己変革し問題解決が行えることも考えうるが、それは恋愛対象の性とは無関係であると思う。

問15.<意見形成>

例えば「宇宙人は存在するか?」というテーマのディベートにおいて、たとえあなたが強く宇宙人の存在を信じる立場であったとしても、存在しない立場に立って意見を形成することはできますか?

当然可能だ。この世はすべて本質的に絶対的なものなどない。これが不完全性定理であり、全知全能は存在しないということだ。したがってすべてのものごとは多面的に見ることが可能であり、異なる立場をとり得る。ディベートというのは定義上、自分という実存の価値観を主張する場ではなく、ある立場において主張を構成して、その主張の論理性で相手を上回ることを目指すのであり、もし宇宙人が存在しないと主張するのであれば、そのための論拠を最大限収集して論理を組み立てることになるだろう。

宇宙人に限らず、たとえ倫理的によろしくない立場だろうがなんだろうが、その立場で主張しろと言われたらできるのが当然だと思うし、そうできない理由が自分にはない。というかむしろ、そういう立場で論理的に相手に対抗できるのは楽しみでさえある。

問16.<サバイバル>

公的機関の援助を受けたり貨幣でアウトソーシングするのではなしに、自力で生存を獲得する術を持っていますか?狩りをしたり野菜を育てたり、安寧の宿を確保することなど。野生の世界で生きていく自信はありますか?

全く持っていないし野生では生きられない。現代社会のシステムの中で生存している我々はそもそもサバイバル能力を鍛えずに来ているし、その中でも特にそういうスキルはない不器用人間だと思っている。高校時代山岳部に所属していたが、道案内からテント設営、食事作りも含めて他の部員に頼りっきりだった。

私がそういう状況で生き残るには、サバイバルが得意な友人をなんとしてもつくり、理論的な面でできる限り貢献するなどして助けてもらうことしかできないと思う。

問17.<夢(睡眠時)>

眠っているときに見る夢に何か特別なメッセージがあると思いますか?

メッセージはない。睡眠時の夢は外部から与えられるものではなく、自分の脳内情報処理であり過去に得たイメージの再構成でしかない。もちろん、その時の自分の気分や抑圧しているイメージが現れることはあるだろうが、それが特別なメッセージであることはないと思う。自分は高所恐怖症だからか、一週間に一回くらいの頻度で高い所から落ちて死ぬ夢を見るが現実に落ちたことは幸いにしてない。

問18.<暴力・猟奇的な表現>

殴る蹴るなどの暴力や拷問、出産や流血、内臓が露わになるなどのシーンを観ることで気分が悪くなったりしますか?或いは逆に興味があったり、興奮を覚える方ですか?

意思に反して行われる上記の出来事は気分が悪くなるし、好んで見る気持ちがわからない。あまり長くコメントもしたくない。ただし、手加減したうえでの合意のあるSM等についてはその限りでないし、その意味でプロレスも嫌いではない。

問19.<歴史改変>

現在、或いは未来のために、過去に起こった出来事をなかったことにしたり、修正を加えるのは許されることだと思いますか?

許されないと思う。何が何に影響するかはわからないし、不幸なことを修正したがためにもっと不幸なことが起こる可能性がある。もしかしたら、今生きている人が消えてしまうかもしれない。人間は基本、実現しなかった可能性を過大評価しすぎるバイアスを持っているので修正はろくなことにならないと思う。

問20.<個人と集団>

個人プレイとチームプレイ、自分がより輝くのはどちらの方ですか?また、全体論における「ある系全体はそれの部分の算術的総和以上のものである」という考えには首肯しますか?

条件付きで、チームプレイだと思う。個人プレイだとどうしても、自分の苦手なところが足を引っ張る。それぞれの人がそれぞれの得意なことに集中したときの方が、結果的に自分も輝くし、もちろん部分の算術的総和よりもよいアウトプットが可能だと思う。

条件付きといったのは、やる内容が自分の得意なことにかなり絞られている場合はその限りでないからだ。その場合は個人プレイの方が輝ける可能性がある。ただ、多くの物事は広がりがあっていろいろな行為が必要になるので、そのときには間違いなくコレクティブエフィカシーをもってやっていくことが自分を含めた皆が輝くことにつながる。

問21.<食事>

食事に生命活動の維持以上の意味を見出していますか?例えば、それを一つ飲むだけで空腹も栄養も満たせる完全栄養食のカプセルが発明された場合、今後の人生はそれを飲み続けるだけでいいと考えますか?

少なくとも人と共にする食事については生命活動の維持以上の意味がある。特に仲を深めるためには、ラポールの形成を考える必要があるが、ラポールは臨場感の高さにより生まれやすくなる。生命に必要であるからこそ食事は臨場感が高く、共に食事をすることが本能レベルでの結びつきを可能にし、結果的にラポール形成につながりやすい。自分ひとりで食べるときには正直カプセルでも構わないが、誰かと食べることで関係性を築くことも必要なのでそれだけでよいとは思わない。

問22.<他人に期待すること>

他人に期待はした方がいいと思いますか?それともしない方がいいと思いますか?

願望は捨ててはならないが、期待はそこまでしない方がよいと思う。自分ひとりで為し得ることには限界がある。その意味で、他人に願望を持つことは必要な場面もある。
ただし、現実的に相手が自分の思うように動くことはないのであって、期待してもだいたい無駄だ。そこで落ち込むようなことは損なので期待はしない方が良いだろう。願望は理想を描くうえで重要であり、生きる活力になる。叶わないことがほぼ決まっていても思い描くことは大事だと思う。他人との関係性は予想外のことをもたらし得るしそれが関わる動機になる。何の願望すら持たなかったら、他人と関わらない自己完結の世界に生きる方が良いことになるが、それは正しいとは思えない。










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