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スペースふうとはくばく 2


 日本で初めて、リユース食器のレンタル事業を手がけたNPO法人『スペースふう』。約20年前、食品メーカー『株式会社はくばく』の長澤利久社長との出会いから、強力なサポートを得て、順調なスタートをきることができた。

スペースふうとはくばく 1 

 その後のスペースふうとはくばくの実践からは、企業とNPO法人のパートナーシップの理想的なあり方の萌芽が見られる。

リユース食器デビュー

 スペースふうの理事長の永井寛子とメンバーたちは、リユース食器のデビューの場は地元の祭『甲州ますほまつり』にしよう、と当初から決めていた。それというのも、「この地元の祭で出される使い捨て容器のごみの山を何とかしたい」という思いが、スペースふうの原点だったからだ。

「おいしいものをたくさん食べて、大量のごみを捨てる、という日本のイベントのあり方を、まずは、自分たちの地元から変えていこう!」

 この祭の目玉は、巨大な釜で煮込む3000食のほうとうで、はくばくが麺を提供している。

「はくばくの麺をスペースふうのリユース食器で提供できるようになったら、すばらしい一歩になるに違いない」

 だから、まっさきに、どんぶりの金型と3000個のどんぶりを作った。

 そして、2002年秋、スペースふうのリユース食器の第1号デビューと同時に、3000個の使い捨て容器のごみが消えた。日本のイベント風景を変える第一歩であった。


 とはいえ、これはあくまでも実験的な試みだった。中古の乾燥機こそ購入したが、洗浄は依然としてリサイクルショップの片隅の流しで手洗いしている状況で、事業として本格的に稼働していくには、食器の種類や個数を増やし、洗浄機を購入し、洗浄室や検品室への改修工事……と、かなりの設備投資が必要になる。ざっと1200万円。

 これだけの大きな金額となると、金融機関からの借り入れを考えざるを得なくなったが、財力のない女性たちにとって、1200万円もの借金を背負うということは、とてつもなく大きな不安を伴う問題だった。何度も話し合いを重ね、それぞれに家族とも話し合い、ようやく借り入れを決断。10人全員そろっての覚悟だった。

 ところが、事はそう簡単には進まない。当時の社会は、今ほどNPOの存在意義が浸透しておらず、しかも融資先は主婦たち10人。熱意だけは溢れんばかりにあっても、綿密な事業計画があるわけでもない。「よほど信頼できる連帯保証人がいなければ、スペースふうへの融資はむずかしい」と言われてしまった。

 この窮状を救ったのも、やはり長澤社長であった。永井が相談を持ち掛けると、その場で連帯保証人を引き受け、となれば、金融機関も二つ返事で融資を約束した。

「連帯保証人を引き受ける、ということがどれほど大きなことか、本当にわかっているのか……ってくらいに素人の集団でしたよね」

と、メンバーのひとりは振り返る。

どんぶりM2

甲州ますほまつり、第1号のリユースどんぶり


経済産業省『環境コミュニティビジネス・モデル事業』

 スペースふうが1200万円の借り入れを決意した背景には、もうひとつ、大きな後押しとなるサポートがあった。

 経済産業省が2003年に新しく創成した『環境コミュニティビジネス・モデル事業』という助成制度がある。

 当時、環境問題について危機感をもつ人々が増え、持続可能な社会を目指して環境コミュニティビジネスの波が起こりつつあった。経済産業省は、企業の力に加えて行政や市民との協働が欠かせないと考え、環境コミュニティビジネスの中でも、企業とNPO、市民が協力して、環境に配慮した「まちづくり」を行っている事業を支援しようとしたのだ。

「これこそスペースふうのために設けられたような助成事業じゃないか! ぜひ申請しなさい!」

 長澤社長は、この制度について知るや否や、またもやスペースふうの背中を強く押した。

 さらに、申請後には、選考過程で2度にわたって経済産業省まで足を運び、居並ぶ審査員を前に、『スペースふうの活動は、これからの地域にとっても、日本社会にとっても、とても重要な活動で、自社が支援するだけの価値があると考えている』ということを熱心に語ってくれた。

 その甲斐もあって、スペースふうは、応募総数220件のなかから9件のモデル事業として選ばれ、550万円の事業資金を手にすることができた。これが1200万円の借り入れを決断させた、もうひとつの理由であった。

全国フォーラム開催

 この資金を活用して、翌年2月に『第1回全国リユース食器フォーラム inますほ』が開催された。

「ここ山梨から全国に向けて、リユース食器を通じて、『脱! 使い捨て食器』を発信したい!」

「全国で、持続可能な社会を実現するために行動している人が、同じ思いを持った人たちと繋がれる場をつくりたい!」

 自分たちの事業は、まだ、どんぶり3000個の実験が終わった段階であり、本格的な稼働には至ってないにもかかわらず、永井たちは、全国規模で同じ意識をもった人々との繋がりをつくりあげようとしていた。

 全国各地から環境問題に取り組んでいる市民団体や行政関係者の申し込みがあり、結果的に総勢350人と大きなイベントとなった。

「増穂町は、交通の便もよくない小さな町。ここに全国から350人もの人々が集まるというのはすごいことなんです。遠方からの参加者も大勢いて、彼らは宿泊することになるので、昼間のイベントとは別に、『夜なべ談義』と銘打って、夜遅くまでリユース食器の未来について語り合う場も設けました」

 これほど大がかりなイベントとなれば、スペースふうだけでは手が回らないのは明らかだった。そこで、行政に全面的な協力を仰ぐと、増穂町が共催を引き受けてくれ、山梨県からも職員が派遣された。

 長澤社長もパネルディスカッションに登壇し、企業がスペースふうの活動を支援する意義について熱弁を奮った。

 こうして実現した全国フォーラムは、行政と企業とNPOが協力して取り組む環境コミュニティビジネスのひとつの実践として、大きな成果をあげ、翌年からも各地で続いていくこととなる。

 ここで、この経済産業省の助成制度がスペースふうを後押したのは、550万円の助成金という経済的なサポートだけではない。リユース食器のレンタル事業には大きな意義があり、多額の借り入れをしてでも実現するべき事業であるという確信と、そして、全国各地の仲間や行政、企業とつながりながら、全国規模で事業を進めていく勇気や展望を与えてくれたのである。

全国フォーラム画像

はくばくとCSR

 こうして、長澤社長の力強い支援のもと、順調なスタートをきったスペースふうだが、長澤社長は彼女たちの抱える問題点に気づいていた。

「本格的にこの事業を進めていくには、経営面のノウハウが足りない」

 そこで、社長は、はくばくの経理担当者をスペースふうに送り込み、帳簿の付け方やキャッシュ・フローの読み方など経理の基本を教え、さらには社長も交えた定期的な経営戦略会議が開かれた。

「経営について何もわからない私たちにとって、このサポートはものすごく大きかった。今月は売上がよかったですね、この閑散期はなんとかならないですかね、と、ひとつひとつ一緒に考えてくれて、じつに温かい会社だなと思いました」

と、スペースふうの経理担当のメンバーは語る。

 こうした経営面でのサポートのおかげで、2002年秋に3000個のどんぶりからスタートしたスペースふうのリユース食器は、順調にその数を増やし、ピーク時には約20万個の在庫数を抱えるまでになった。現在はコロナ禍などもあって少し減らしたが、それでも約16万個と、リユース食器の業界でも圧倒的な数を誇っている。

「本気で環境問題に取り組む高い志と、リユース食器でごみを減らすことへの熱意はすばらしく、『甲州ますほまつり』でのデビューや全国フォーラムを実現させた行動力にも驚いた。ただ、経営においては素人である彼女たちを支えるグループが必要だった。スペースふうが独り立ちするまで見届けることが、我々の使命だと思いました」

 2008年7月、日本経団連が主催したシンポジウムの場で、長澤社長はそう述べている。

 ちょうど、このころ、日本の経済界でもCSR(企業の社会的責任)についての考えが深まりつつあった。それまでの日本では、企業が発展することが社会のためになる、と捉えられがちであったけれども、2000年代に入ると、企業が環境や福祉にかかわる団体を支援することが、企業自体の価値を高めるのだということが認知されつつあった。

 こうした流れのなかで、経団連は、はくばくとスペースふうに注目し、シンポジウムの分科会を依頼した。はくばくが、スペースふうに対して、単に資金提供するだけにとどまらず、経営についても一緒に考えてきたことは、日本の経済界においては、じつに先進的な事例であったのだ。

 この日、ふたりは『企業とNPOの協働によるCSR』という分科会を受け持ち、『企業の社長』×『NPOの理事長』として、経済界の人びとに向けて、両者のこれまでの軌跡について事例報告を行った。

 永井にとっても、環境問題やNPO関連の場での報告ではなく、経済界の人びとを対象に企業のCSRに関して報告するというのは、大変貴重な経験であった。

はくばく社長と

(ライティング・島田環)




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