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何かをやめることについて

僕が奈良県の曽爾村で立ち上げたいと考えているのは、断食ができるリトリート民泊です。来てくれた人に、僕は食以外の日常の習慣も見直すお手伝いもできればなと考えています。なので、今日は何かをやめることについても考えてみようと思います。


最近読んだ本


ちょうど最近読んで面白かったのはこの本。

「平均的な人間の人生って、何週間でしょうか?」というような問いから始まるこの本は、効率化を目指した先には不幸な人生しかないというスタンスで、どのようにして有限な自分の時間を生きるのかについて書かれた本でした。目次を見るだけで、巷に溢れる効率化の本とは異なる毛色の本ということがわかります。どう詰め込むのかではなく、どう詰め込まないかという目線は少し新鮮でした。

PART 1 現実を直視する 第1章 なぜ、いつも時間に追われるのか
第2章 効率化ツールが逆効果になる理由
第3章 「時間がある」という前提を疑う
第4章 可能性を狭めると、自由になれる
第5章 注意力を自分の手に取り戻す
第6章 本当の敵は自分の内側にいる

PART 2 幻想を手放す 第7章 時間と戦っても勝ち目はない
第8章 人生には「今」しか存在しない
第9章 失われた余暇を取り戻す
第10章 忙しさへの依存を手放す
第11章 留まることで見えてくるもの
第12章 時間をシェアすると豊かになれる
第13章 ちっぽけな自分を受け入れる
第14章 暗闇のなかで一歩を踏みだす

エピローグ 僕たちに希望は必要ない
付録 有限性を受け入れるための10のツール

『限りある時間の使い方』目次

ちなみに、平均的な人間は「4000週間」生きるそうです。

習慣を増やしたり、やめたりすることについて

多くの人は、新たな習慣を身に付けようと頑張ることが多いです。しかし、新たな習慣を始めるためには、大抵の場合、何かをやめたり時間を減らしたりする必要があります。しかし、逆に言うと、何かの習慣を止めたところで、自由な時間は思ったより増えず、自分にとって好ましくない他の習慣が増えるということもよくあります。

例えば、惰性的に飲むお酒をやめたとしても、他の有効なことに使える時間が絶対に増えるというわけではありません。それどころか、携帯電話を触るだけの時間が増えることもあります。何かを止めることで有効な時間が増える可能性はあるものの、必ずしもそうとは限りません。何かを止める時には、他の習慣の「増殖性」を考慮する必要が十分にあります。

多くの人ががやめたいと思っていることについて、いくつか挙げてみましょう。みんながやめたい/かける時間を減らしたいと良く言うことといえば、以下のようなことでしょうか。

  • スナック菓子などを含めた間食

  • スマートフォンを触る時間

  • テレビ

  • お酒

  • タバコ

  • 無駄な会議

いっぱい羅列しようとしてみましたが、寝起きの頭ではあまり上手くポンポン出てこなかったので、カテゴリー分けをして考えてみましょう。

①体に摂取するものについて

食事、タバコ、お酒、お菓子などが一般的でしょうか。人によって幅がありますが、農薬や合成肥料を使ったものを食べないことや、動物性タンパク質を取らないことなどもありますね。

②情報摂取

次は、一般的にデジタルデトックスと呼ばれることが多い、情報の摂取を止めること。スマートフォンやPCを触る時間を減らすことなどが該当します。具体的にはゲームやSNSのチェック、メールやメッセージアプリの確認などが含まれます。

上記の情報取得について、この前本で読んでなるほどと思ったのが、SNSやメールのチェックは、スロットマシンをした時と同じ脳の働きを起こすということ。

スマートフォンやPCは、触るたびに新しい情報が来る可能性が高いです。しかし、メールボックスを開いたからといって、SNSアプリを立ち上げたからといって、新しい情報がやって来ない可能性も十分にあります。その不確定性が人をさらに引き込んでしまうということらしいです。

③浪費

また、不必要なお金の使い方も挙げられます。値段にかかわらず、自分にとって本当に必要でないものを買ってしまったり、不必要に高級なお店にお金を使ったりすることがあります。新たな趣味の物や楽器なども該当します。

他にもカテゴリーある気がするので、一度AIに聞いてみましょう。

まあそうだよな、と思う結果が出力された

僕のカテゴリー分けは大きく何かを見逃しているということはなさそうな感じなので、一旦このことへの思考はここまでにしておきましょう。AI便利だな。というか記事を書く前に先に使うべきなんでしょうね。

なんで何かをやめたいの?

みんなが辞めたいと思うことは、本質的には自分が必要ないと思っていることなんだと思います。自分の本当のしたいことや欲しいものにフォーカスするために、不要なものを排除したいという思想が根底にあるのでしょう。

しかし、自分に本当に必要なものを見極めることは難しいですよね。なぜなら、自分の生活は自分にとって当たり前のものであり、それを見つめ直すことはハードルが高いからです。日常では、周囲の人たちや人間関係の中でいろいろな話をすることで、自分にとって必要でないことに気づくことがありますが、逆に周囲の人たちの話を聞いて、これを手に入れないと、これをしないとと思うこともあります。そういった副作用もあります。

習慣を見直したいなら遠距離移動かリトリートがおすすめ

自分が持つ習慣を、本当に必要なものと不必要なものに仕分けるために私が最も良いと考えていることは、遠い距離の旅行です。

ただの移動でも、仕事の出張でも構いません。遠い場所に行くことや、断食や他のリトリート施設に行くことは、自分の日常の当たり前だったものや習慣が他の国や文化圏では全く通用しないことを知る良い方法です。

これは文化的な理由や地理的な理由による場合もありますが、その抜け殻のような状態でも、自分の持っている習慣が人間として本質的に必要ではないことに気づきやすいです。異文化に触れることで、自分自身が何が本当に良いのかを見つけることができます。

海外で自分探しの旅をしている人を馬鹿にする人もいますが、それは「自分探し」という言葉が悪いのだと思っています。どこに行こうが、自分は自分がいる場所にしかいません。ただ、移動を多くすることで、自分にとって不必要なものを捨てやすくなるのだと僕は考えています。

物理的にも、精神的にも、移動が多いと不要だと思う事柄が自ずと見えてきます。繰り返していくうちに、自分にとって譲れないと思うものが明確に現れるでしょう。不必要な荷物や精神的な鎧や思い込みを捨てた状態は、本当の自分だと言えるのではないでしょうか。それが自分探しと呼ばれる所以だと思います。私は自分探しの旅に行くことは「自分捨て」として非常に良い手段と考えています。

リトリート施設や断食なども同様に、見つめ直すためには良い方法です。たとえば断食道場内では、食事という人間が持っている習慣を一旦外すことで、自分の日常の習慣により強くフォーカスすることができます。

断食を試されたことのある方には同意してもらえるんですが、食事の時間がないだけで、他の時間の使い方もうまく使えなくなるんです。食事が自分の1日におけるリズムを取る大事なルーティーンなんだなという実感は、とても面白いのでそれだけでも断食する価値ありありです。

断食中は糖分の摂取が抑えられることで、頭の中はかなり静かになります。本当に必要なことにだけ自分の思考を費やそうとし、瑣末なことに頭を悩ませる必要が少なくなります。その後、日常に戻ったとしても、瑣末なことに頭を悩ませることが少なくなるでしょう。

終わりに

今回は徒然と書いてみましたが、やめることについて考えるのは大変だけれども楽しいですね。やめることについて、系統的には考えたことないので、「やめる学」みたいな学術書があれば読んでみたいですね。

最後に、何かを辞めることや新たな習慣を身に付けることについての本の紹介などをして終わりにしましょう。

『エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』
有名な本なので知っている/見たことある/読んだことある人も多いかと思いますけど、僕は最近ちょうど読んだのでご紹介。名著といわれるだけはある濃い内容でした。下の画像のような内容の本です。

画像引用:Amazonの商品紹介ページ

記事のヘッダー画像は、下記のサービスで作成しました。画像生成AIに、自分の好きな言葉を埋め込めるというおもしろい仕組み。画像のなかの文字が見えないって人は、ちょっと画面から目を離して見てみてください。


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