5.

過去の自分が好きだったものを見るとせつなくなります
昔の記憶はもうはっきりなくても
心が嫌な感じにくすぐられて
どうしてもそれを嫌いになれないという感覚

過去の自分と今の自分が繋がっているという事実をどうしても考えたくない
過去の自分は
まだ何にも知らず笑っていて
それなのに今こうなっちゃったから
昔の自分のことを思うと耐えきれない
すごく痛い気持ちになる


the cabsのanschlussについて書きます

まずcabs自体、最近聴くようになった…
元々歌詞にすごく惹かれていたんだけれど
独特の異様な雰囲気やリズム、激しさが
当時の私には馴染まないような気がして
聴き込むまでには至らなくて
でもいつか聴けるようになりたい
て思っていた

ある時不意に聴けるかもって思ったら
見事にひきこまれた

美しいと思う
残酷だと思う
うまく言えないや…

変拍子とかいろいろ言われるけど
私はそういうことは全然わからないから
でもその不可解で不安定な感じと
義勝さんの声と
國光さんのシャウトが
崩れそうで、今にも終わっていきそうで
せつなくて儚くて美しくて
絶望ですら、美しくきこえるのはなんでだろうね…

anschlussは
曲調自体は多分そんなに暗くなくて
聴きやすくて
だからこそ歌詞のせつなさや絶望感が
あとからより襲ってくる
クライマックスの花火のような、
一種の華々しさと締め付けられるような終わりの感覚


「処刑を待つ僕たちは」というフレーズがなんかとても私の中ですんなり来て

私はいつも自分がここにいてはいけない存在な気がしていて
何かしらの罪を背負わなければならないと思ってしまう

それでもね
私は多分いざ自分で終わりを決めて
人生を終わろうとした時
終わる直前まで
できる限り幸せでいたいと思うと思う
幸せになりたいと汚く考えてあがいて、
もう終わるくせに
つらい思いはしたくない、絶望を感じたくないと思うと思う

でもそれは多分
くだらないことじゃないんだなって
思えて

アルコールランプの火
意味のないフィルム
砂場で笑う子供…
ひとつひとつに情景が思い浮かんで
でもどの情景も考えているうちにゆらめいて色褪せて
そして消えていくような

届かなくて、渡せなくて
やがて色褪せていって、それで終わっていく…

僕らいつも間違えようとした
てフレーズもいいな
なんかね、自分が間違っていることって
わかる気がするんです
でもそうやって狂っていくような道に
自分の意志で進んでいるような気がしてしまう

絵画の海に溺れていく
てフレーズもきれいで
全部いいな…

mvも素敵
何が素敵か書きたかったけど
今はちょっとうまく言語化できないです


残酷で不安定で激しくて
思わず顔を顰めたくなるような
それでいてせつなく美しい世界。
このような、一見共存しなさそうな感覚の共存にこそ
美しさや苦しさが存在するのだなあとは
よく感じる…

syrupさんの曲も
汚れたいだけとかの暗い曲も好きだけれど
光のようなを聴いた時に私は死にたくなるなあと感じた
暗い人が歌う少しからっとした明るい曲にこそ
1番の苦しみが潜んでいる気がしてしまう
この曲が少しでも明るいといえるかは人によりけりかもですが

syrupさんにはYou Say 'No’という曲に去年とても救われていたのと
一昨年の秋、結構精神状態がひどかった時に
突然YouTubeチャンネルができて
週に2日くらいのペースで曲のmvやライブ映像があがったのが
それだけを楽しみに生きていたので
それはすごくありがたかった…

syrupさんの曲についてもいろいろ書いてみたいですね…


スピッツのライブも
1回行っただけだけれど
淡々としているんです

リスナーを激しく煽ることもないし
感動的なことを言うこともあんまりない
1曲終わったら
余韻に浸る間も無く次の曲が始まる

でもね…すごくあったかいんです
やわらかい空間に包まれていて
それがすごく心地良くて楽しかった…

淡々としているようで
やわらかくてあったかくて
それでいて、めちゃくちゃロックバンドなんです
めちゃくちゃかっこよかった
いろんな要素が共存して成り立っているのがスピッツなのだと思った

あの時は
スピッツのライブのおかげで
まだ生きていけるなあと思ったけれど
その効き目も2年以上経って、だんだん薄れてしまったみたい

cabsはもう活動が終わっているけど
cabsだけじゃなくても
やっぱり終わっていったものって美しく感じる
実際はなんでも
続いていった方がいいだろうに
終わると
その世界が閉じ込められるから
最初から最後までを把握できるから
そこにいくらでも自分たちで意味や価値を加えてしまうことができる…
「終わった」という事実も装飾の道具になってしまう

人生だって
おそらく長いに越したことはないけど
短く終わった人生を儚く美しく感じてしまうのは
きっと誰しもあるんではないかな


書き始めるとどんどんいろんなことが回って
延々とどうでもいいことを書き連ねてしまいますね…


ひとりで少し外泊をしています
今いる場所から抜け出したいと思いつつ
結局私なりの足掻きは隣県に行くので精一杯だった

そこに来てふらふらと歩いて感じたのは
いくら今いるところから逃げて他の場所に行ったとしても
私は満たされないだろうということ

どこへ行っても
もっとここじゃない遠くへ
と思ってしまうだろうということ

それは私にとって絶望で
また何にも見えなくなってしまった

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