「ケイコ 目を澄ませて」を観た私
今年一発目の映画はコレと決めていた。
なかなか踏ん切りがつかず2月になってしまったが、私はその間に大きな勘違いをしていたようだ。
この映画にどこかで「何か」を求めてしまっていた。でも、わかりやすい物語を求めてしまうのは、ある意味健常者の感覚にすぎないのだと、エンドロールを見ながら反省した。
タイトル通り「目を澄ませて」スクリーンを見つめた99分。
岸井ゆきのの身体的言語から伝わる様々な感情や葛藤。とにかく目が離せない熱量だった。
でもどうしても分からないことも多かった。
なぜだろう?今どう思ってるんだろう?何考えてるんだろう?なんでその表情になったんだろう?
きっとそれは、私だけじゃなくケイコもそうだったはず。分からないの余白が残っていて、それがリアルに映った。
それから、東京イーストサイドの日常的風景の切り取り方が秀逸だった。誰もが知るポピュラーな東東京とは違う、住んだ人(もしくは住んでいる人)にしか分からないあの空気感。それがひしひしと伝わってきて、数年しか住んでいなかったが郷愁の心に駆られた。
そういった切り取り方も含めて、あのリアルさ、ケイコをより近く感じるようにした仕掛けだったのかもしれない。何度でも言うが、「目を澄ませて」見る、見ることでしか感じ取れないから。
なんだか「映画」を観た、というよりも「ケイコ」を観た、そんな気分になった今年の一本目でした。
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