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労働の上に成り立つ豊かさは、もういらない。

世の中全体的にもう少し不便で良いから、
さほど労働に拘らなくても
文化的で豊かな生活が送れるようになりたい。


労働の上に成り立つ豊かさとか
もはやもういらない。


最近そんなふうに思うようになった。

ポチッと簡単に欲しいものが買えるのも、
そしてそれが翌日に届くのも、
気になったものが勝手にカスタマイズされて
表示されるのも、
食べたいと思ったものを
自宅まで運んでくれる人がいてくれるのも、
便利で嬉しいことではある。


あらゆる細やかなホスピタリティは、
日本の素敵な文化だとも思う。


オリンピック誘致で「お・も・て・な・し」を
アピールするぐらいなんだし。
結局それが世界で評価されちゃってるし。


たしかに全部あれば嬉しいもの。
あればあったでもちろん嬉しい。

好意がないわけではないし、
ありがたいもののはずなのに、
なぜだかそれら全てを「当たり前のこと」
と享受して生きてしまっている自分がいる。



でも、これってあらゆる労働の上に
成り立ったものに過ぎないよね?とも最近思う。


ひとつひとつは小さくとも、
この「当たり前の便利さ」が積み重なって、
結果ひとりひとりの労働量を増やしている気がしてならない。

(もちろんこの労働を必要とする人がいる
ということも分かってはいる。)


便利なはずなのに、幸せを感じられない。


これも結局便利さを受け取るのに
自分も身を削っているからなんじゃないか。
プラマイゼロ。
なんならむしろマイナスな気さえする。



でもそんな私も、労働の対価として得る
豊かさが好きな時もあった。


頑張って稼いだお金を何かのモノや
体験に変えることは一種の快感がある。

労働後のビールの数十倍の多幸感を味わえる。


だって証明してくれるから。
自分の頑張りを、
ご褒美として得ることが出来るから。

自分で自分の機嫌を取るようなもの。


だから全部を全部否定しているわけではない。

現実問題世の中ってそうゆうものだよね、
というのは大前提として理解しているつもりだ。


でも、それにしても「豊かさ」って
そんなに等価交換的なモノなんだっけ?
と思い始めた。



そもそも「豊かさ」ってなんなんだろう。


仕事を辞めて、追われなくなって、
ずっと後ろをついて回るようなストレスとは
無縁になった。


社会人としての価値は確実に落ちているし、
何らかのスキルを持っているわけでもないが、
多分ここ数年で1番心が豊かだ。


何も生み出してないから
誰も褒めてはくれないものの、
自己肯定感とやらは自分でコントロールできる
だけの余裕もある。
(いつでもどこでも年中無休褒められたいことに変わりはない。)


でもお金はない。
安定した収入というセーフティネットは
ガバガバだ。
時給で働いている身分だし、
何か大きなものに守られているわけでもない。

経済的側面で言ったら
大学時代のそれと何ら変わらない貧しさだ。


しかも私は物欲の神に見そめられているので、
どんな状況だろうとモノにときめいてしまう。

ファッションやコスメの時もあれば、
家にまつわるもの、インテリア雑貨やら何やら
と言い出せばキリがない。


だからいつだって欲しいものに溢れてはいるが、
それらを好きなだけ買えるほどの蓄えはないので
その意味では豊かではないと言える。


こうやって書いてみると、
何を以って「豊か」と捉えるかは人それぞれだが
結局は精神面と経済面のバランスが
ものを言うのかもしれない。


それから
「機能的な便利さ」を豊かと捉えるか、
「文化的な活動」を豊かと捉えるか、
の違いも確実にあると思う。


だからもちろん人によってバランスの比重や
豊かさの定義は異なるだろうけど、
世の中に蔓延る「当たり前の便利さ」を
もうちょい減らして
肩肘張らずに伸び伸び不便を楽しんだ方が
豊かな生活に近づけるんじゃないかな、
少なくとも私はなるな、と感じている。

ところで、
「文化的な活動」を豊かと捉える人って
一体どれだけいるんだろうか。

今日そんなことを友人と話していて、
ハッとさせられた。


彼女は
この「文化的な活動」って日本では
もはや「贅沢」の域に入っているよね、
と言った。

すごく腑に落ちてしまった。「贅沢」。
嗜好品の括りに「文化的な活動」がいる。

じゃあ切り詰めた生活の中で
どう余白を生み出してこの贅沢を生むのか。

手っ取り早いのは、
労働してその対価として贅沢を得る。
になるんだろうけど…それでは意味がない…

この「贅沢」という名の「豊かさ」は
労働の上に成り立ってしまうのか?
甘んじで受け入れたくない自分がいる。

それからやっぱり私はこれを「贅沢」に
させられていることに納得がいかない。 

結局大多数の人が
「機能的な便利さ」に食いついていて、
前しか向いてない黒目が大きいビジネスマンが、
あらゆるシステムをどんどん生み出していく。

便利なのに心が窮屈で余白のない生活を。

こんな便利じゃなくてもいいんだよな〜、
誰かの労働の上で便利さを受け取るぐらいなら
ちょっと不便だけどせかせかしないで
のんびり過ごせる方が、
なんだか幸せなんじゃない〜?


と呑気に思う、今日この頃。

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