ジャック・リゴー遺稿集

できるなら、ボタン穴に自殺を挿して旅している男を止めてみたまえ。
ジャック・リゴー

ジャック・リゴー遺稿集を読んだ。

こないだの下鴨中通りブックフェアの午睡書架で、一冊だけ立てられていた『ジャック・リゴーの遺稿集』。翻訳者のサイン入り。帯には上記の言葉。パラパラと捲れば、なんともしがたい文章たち。値段も高い。しかし、上記の言葉にうっかり惹かれて購入。
店員さんに「一冊無料でおまけしますよ」と言われ、喜んでヘラヘラしてもう一冊選んだ。安部公房の『無関係な死』。なんと、1番最後のページに、前の持ち主であろう人間の「これにて安部公房の文学世界を諒解する」という書き込みがあり、私もぜひ了解したく選んだ。

とにかく、ジャック・リゴー遺稿集を読んだ。

私は以前にnoteに書いたように、幼い頃に薬品を飲むことで真剣に自殺をしようとしている(薬品への無知故に失敗している。詳しくはマガジンの考えごとからBTB溶液を飲んでそうなnoteを読んでみてね)。
そのため、以下の文章がかなり心に刺さっている。

これはちょっと重要な話だと思うのだが、仮にもう一度......当然だ!言うまでもなく私は二発目を撃つ気にはまったくならなかった。重要なことは、死ぬことではなく、死のうと決心したことにあるのだから。
ジャック・リゴー

これは、リゴーが深夜に思い立って銃を自らに撃ち込んだが弾丸が入っておらず死ななかったことから書かれた文章である。
私も真剣に死のうと決心したが失敗し、しかし再度挑戦する気持ちにはならなかった。そう、私もこれはちょっと重要な話だと思う。

リゴーの周辺にはいつも何かしらの影が付き纏っていたようだが、私はそうではない。まあ、常に自堕落ではあるが……ダダイズムにもダンディズムにも造詣が深くないのであまり踏み込めないが。それにしたって、ただ見せたいこうありたいとする自意識とその内心の乖離に苦しむこと、自意識が内心─自分自身を裁かれて安心しつつも痛めつけられることに共感できるのは私だけではないはず。
リゴーにとってそれらは、羞恥心やしつこくしないという意識が働いていたらしい。

一貫して少し綺麗に、自意識に沿うように生きているのかと思わされながらも、少し矛盾を感じる。最後の証言集を読むと、遺稿集であるがゆえに、ジャック・リゴーの見せたかった面とそうではない内部が垣間見えてるようだ。なるほど、と納得する。
本当に、リゴーの文章から受けるリゴーへの印象と、証言集から受けるリゴーへの印象はまったく違うのだ、本当に。

ここでまた好きな文章を引用する。

この私は、ずいぶん前から、何かをしようと探してきた!だが何もすることがない。まったく何も。
ジャック・リゴー

これの何がいいって、章立てとして『求職』を冠しているところ。就活を経験し、相変わらずやりたいことはないし、しかし何もない。何もすることはない……。就職って新卒ってなんやねんハゲタコという私の浅ましい気持ちとこのリゴーの文章は甚だしく内部は異なるだろうが、まあ、そういうこと。

そしてこれもすき。

私は恐れていた。私は恐怖のせいで養生している。そして恐怖のせいで書いている。新たな臆病者だ。
ジャック・リゴー

書くことへのリゴーの気持ちが感じられるようでかなり良い。ここの章立ては『日記』なのも良い。文筆家という感じがする。
なんだかすごくひねくれているような人間像が少し浮かぶが、それにしたって次の文章はどこか寂しい。

もう一度、私は生を希求し、生を飲み込む。肺の空気と静脈の血液がなんであるかを私は知っている。健康とは何かを知っている。
 私は蔵書を、煙草を、仲間を、節操を売り払うつもりだ。私はスポーツと恋愛をしたい。私は単純だ。私は正直だ。そして友よ、君のかたわらで、私は瞳の奥でやや困惑しながら、親愛の情に溢れた散歩を思い描く。
ジャック・リゴー

こんな文章を書きながらも自殺を選ぶのはかなり荒れた人生に起因するのか、リゴーにも思想にも詳しくない私にはわからない。

この遺稿集はリゴーの文章、遺稿が終わってからはリゴーに近しい人間、リゴーの友からのリゴーに関する文章が現れる。
そこには確かに愛を感じさせられて、またなんだか寂しい気持ちになる。少しだけ抜粋して引用する。

前回の訪問時に忘れていた私の手袋が暖炉の上に置かれているのに気づいた。一対の手袋は、彼を引き止める仕草をしているような切断された両手に見える。
ジャック・ポレル

ポレルはリゴーの自殺の前日にリゴーと会話をしている。だからか、寄せられている文章の中でも特に悲痛な感じがある。
リゴーは確かに愛されていたのだと確かに感じるが、あくまでリゴーはリゴー、他者は他者であるといった、ときには優しい現実が辛くのしかかってきている。誰も他者を理解し愛することは可能とは言い切れないし。

そして、自殺を選ぶこと、自意識、望ましい振る舞い、倦怠、黙ってそこにあるだけの美しさ、無機質、色々なものに思いを巡らすこととなったこの本。買ってよかった〜〜〜みなさんもぜひ。
私みたいに、ジャック・リゴーを全く知らなくても楽しめるはず。少々の死にたい感じの経験があるとより良いのかもしれない。
良くも悪くも、何か心を動かされるのではないかな。

すなわちジャック・リゴーの話は、その時代の多くの青年たちの話なのだ。彼の棄権は、彼の純粋さの印だった。
エドモン・ジャルー『遺稿文集について』

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