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無意味な比較からの脱却

偏差値教育を受けてきた私たちは、
どうしても他人との比較から逃れられない。

比較したところでその人にはなれない。
わかっちゃいるけどやめられないのだ。

あの人より頭が悪い。
あの人より仕事が遅い。

それで悩み落ち込む。
比較されている側に全く罪はない。
しかし嫉妬をされて、
罪なき人間が不快になることもある。

仮に比較して、
あの人を超えたとて上には上がいる。
キリがない。

知識マウントを取る人もいる。
自分より能力が低い人を見つけて自分を保つ。
マウントを取られた側に罪はない。
馬鹿にされて心を病むケースもある。

もし世の中の人全員がチャットGPTを使っていたらどうなるだろう。
ほぼ全員同じ回答になるかもしれない。
知識に関しては全員同じになるのだ。
AIの進化により個人の能力差がなくなる世界は間近だ。
ついに比較という概念がなくなるかもしれない。

でも比較に捉われてきた人たちは、
これまで以上に自身の存在価値を見出せなくなるだろう。なぜなら統一した評価基準がなくなるからだ。

これからは、AIでは表現できない雰囲気であったり、話す間であったり、見た目であったり、優しさ、など感覚で判断することが増えていくだろう。

すでに比較の世界から抜け出している人が圧倒的に有利だろう。
これまで感性に蓋をされて理屈を押し付けられていた犠牲者たちがようやく報われる時代がくるかもしれない。
だからこそ私たちは創造力豊かな若者を探し続けてきた。

今のうちに無意味な比較から脱却しておかないと取り返しがつかない。
本当の意味で人にしかできない仕事だけAIに勝てるのだろう。
ますます感性が重要になってくるのだ。
感性を磨ける仕事を選ぶのも自身の存在価値を見出すひとつの手段となるだろう。

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