20231103 川の流れとおいしいパスタ

歌詞について考えた。

”時代を超える名曲”の歌詞は抽象度が高い。
美空ひばりの「川の流れのように」や坂本九の「上を向いて歩こう」の歌詞なんて、男の歌なのか女の歌なのか、いつの時代の歌なのか、恋愛に関係するのかしないのか、場所や時間もほとんど分からないような抽象度の高さだ。

なぜ”時代を超える名曲”の歌詞は抽象度が高いのかというと、簡単な話で、より多くの人が感情移入できるからだろう。人生に悩んでいる人は、それが彼氏と別れたからであっても、大学入試に落ちたからであっても、「上を向いて歩こう」を聞けば涙が流れる。救われる。ジョンレノンの歌うLet is beなんて、何を言っているのかよくわからないような抽象的な歌詞にもかかわらず、いや、それ故に万人を救う福音のように響く。

一方で、やけに具体的な歌詞、というのも世にはあふれている。湘南乃風の”純恋歌”なんてどうだろう。大親友の彼女の友達と会って、おいしいパスタを振舞ってもらったり、大富豪(トランプじゃなくて大富豪!)を楽しんだりする様子がこれでもかと具体的に書かれている。
じゃあ、この歌は駄曲だろうか。僕はそうは思わない。この曲は、大親友の彼女の友達と会って、おいしいパスタを振舞ってもらったり、大富豪を楽しんだりした経験がない人にも響く。でなけりゃミリオンセラーになんてならないだろう。(大親友の彼女の友達と会って、おいしいパスタを振舞ってもらったり、大富豪を楽しんだりした経験、って100万人もいないよね…)

ここが歌詞の面白いところだと思う。
どうやら”時代を超える名曲”の歌詞は抽象度が高い傾向があるということは言えるようだ。ただ、だからと言って、抽象度が高い歌詞のほうが抽象度の低い歌詞より優れている、というわけではない。しかも抽象度の低い(つまり純恋歌のように具体的な)歌詞のほうが、多くの人に響くということがよくあるのだ。

非常につまらない仮説としては、「曲(メロディ)が良ければ、歌詞の抽象度など関係なく、多くの人の心に刺さる」というものだ。これは僕が思いついた仮説だが、特に反論が思いつかない。まあ、その可能性はあるよね、という感じ。
でも、これじゃつまらない。「多くの人の心に響く歌詞」の秘密の法則があったら、すごくワクワクするし、知りたいと思う。秋元康とかは知っているんだろうか。

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