見出し画像

自傷でつないできた命


自傷と言っても様々ある。
代表のようになっているのはリストカットだろうか。

カッティング、アルコール、過食など、いくつもの自傷的な行為をやったりやめたりしながら生きて来た。

やらないに越したことはない。
だけれども、そうしてしか生きていられない人もいると思っている。

自分の整理のために、少し振り返ってみようと思う。

幼少期

初めは、掻きこわしだった。
もともとアトピー肌で荒れていた私は、治りかけの皮膚を思い切りかいていた。
血が出て、治りかけていたのは逆戻り。よく母に注意されていたように思う。
痒みを我慢するのは、そうとう難しいと思っている。
修行して悟りでも開かないとたぶん無理だ。

中学、初めて切る

自分を切るようになったのは、中学生頃だったと思う。(解離があるので記憶は曖昧)
知り合いがやっているのを見て、最初は遊び半分で傷つけた。怖くて、引っ掻き傷とも言えないような浅い傷が3本、腕に生まれた。
そのときは何とも思わず、こんなものかという感じ。

高校、自傷に依存し始める

それがいつの間にか、ハマっていた。
高校では授業中に苦しくなることが多く、その度に自分の腕に爪を立てて引っ掻いたり、トイレに駆け込んで隠れて切ったりした。
授業中当てられることへの恐怖と緊張、間違えたときの恥ずかしさと情けなさ。
周りの子はみんな賢くて、私だけがバカみたいで、辛くなると切った。
そうすると少し気持ちが楽になり、耐えることができたのだ。

もともとアトピーによるコンプレックスがあり、半袖や半ズボンは着る習慣がなかった。
夏に長袖を着ていても、家族もだれも怪しまなかった。

大学に入りエスカレート

大学に入り、自傷は徐々にエスカレートしていった。
頻度も、切る場所も増え、それだけに支えられて生きていた。

就活という言葉にくっついてくる「自己分析」。
それをやらないとと思っていたら、過去のことを色々思い出してしまったのが良くなかったのだと思う。

毎日のように切って、号泣して、自分を殴った。
正気でいるのが耐えられなくて、アルコールを入れて寝逃げした。

ある静かな木曜日、いつもより深く切ってしまった。
初めて、自分で切った傷で医者にかかった。
この話は別で記事にしようと思う。

自損で医師にかかるのは失礼だと思っていたから、「やってしまった感」が強くて、余計に自分を責めた。

やり過ぎないように刃物を変えて、人の世話にならない範囲で切り続けた。

やめるきっかけなんてない。

夏に長袖のシアーシャツを着ていて、「暑くないの」と言われた時には、何とも言えない気持ちになった。

暑いよ。でも、隠すしかないじゃん。
長袖を着るしかない事情を想像できない人生だったら、と思ったりもした。

精一杯のSOSと転機

年度が変わり、周りにいる同級生や先生が変わり、その中でトラウマを思い出すトリガーとなる出来事があった。

少し落ち着いていたカッティングは一気に悪化した。
どれだけ切っても楽になれず、場所を変え、頻度を増し、それでも辛さがなくならない。
もうどうして良いか分からなかった。
これまでは、自傷だけは私を必ず楽にしてくれた。助けてくれたのに。

頭は消えたい気持ちでいっぱいになった。

そんなとき、ギリギリでボロボロの私に気づいてくれる人がいた。
いや、気づかせたと言った方が良い。
その人に会う前、気づかれる場所にわざと切っていた。
自傷についてまわる「構ってちゃん」のイメージそのものだ。

でも、もう自分からは何も言葉にできなくて、そうするしかなかった。とても幼い、精一杯のsosだった。

結果は、この記事の通り。
今も生きている。


縫合してもらった傷は、もう二度と消えないだろう。
でも何故か、その白い線に愛着がある。
消えないでいて欲しいとさえ思う。

この傷だけが、私の苦しさを本当の意味で理解してくれている気がするから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?