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他者を信頼する力がないと、「助けて」なんて言えない

最近はできる限り外出しないようになった。というか、できなくなった。
世界がうるさくてしょうがないから。
外出時は必ず耳栓をしているけれど、人が多いという負担は減らせない。

それでもたまに、予定があって学校以外にも出かけることがある。
仲良さそうに手を繋いでいる親子を見ると、苦しくなる。ファストフード店で何か食べながら、楽しそうに話している人たちを見たくなくて、下を向く。

世界の幸福の総量は決まっていないし、幸せはトレードオフじゃないと分かっている。
それでも、彼ら/彼女らの姿を見るたびに、そうはなれなかった自分と比較してしまって辛くなる。

ああやって愛してくれて、味方になってくれる人がいたら。
気にかけて、声をかけてくれる大人がいたら。

どうしようもないタラレバしか出てこない。


優等生の仮面をかぶるのは得意だった。
良い子にしていれば、誰も何も言ってこない。
助けて欲しいと伝えるなんて選択肢は、1ミリも思い浮かばなかった。

たまに学校にカウンセラーの人が来ていて、「秘密は守ります」なんて言っていたけれど、そんなの嘘だと思っていた。
もし私が「つらい。死にたい」なんて言ったら、教師や親に勝手に言われると分かってた。

SOSの出し方教育なんて言われたりしてるけど、それができる子は、もともとある程度大丈夫な子だと思う。
周りや社会への信頼がない状態で、他人を頼ろうなんて思えない。

むしろ助けてと言うことにリスクが伴うのもよく分かっているから、そっとひとりで抱え込む。

あの頃の私に会えるなら、「よく耐えた」と伝え、讃えたい。
SOSを出して下手に傷つけられるより、自分の心をしっかりした殻で包んで、守って、耐え抜いた。

そのことを心から認められるようになったら、とっても頑丈につくった殻の割り方が分かったら、誰かの幸せを一緒に喜べるようになるのかな。


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