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qui me amat, amet et canem meum

「また機会があれば」という常套句を添えられて俺は店を後にした。約1年と2ヶ月働いたバイト先での最後の出勤だったが、俺の感情は感傷的になるわけでも心惜しさに苛まれるわけでも達成感を痛感するわけでもやっと辞められるという安心感で満たされるわけでもなく、いつもと変わらない越後製菓のきなこ餅菓子みたいにふわふわとしたものだった。店を出て家までの自転車を乗っている時も腰いてえ〜だとか、帰って明後日の授業の予習しなきゃだなぁとかそんなことを考えていてそこに感傷が突き入れる隙なんてのはなかった。思えば中高の卒業式もこんな感じだった。今までは毎日会って話していた友人と明日からは滅多に会えなくなるというのに特に悲しみを感じなかった、というより妄想力が欠如しているのか明日以降の会わなくなる日常が頭に浮かんでいなかった。

大学合格の決まったその日の夜、俺はバイト募集のサイトをずっとスクロールしてはやってみたいバイトを探していた。7、8回ほど「もっと見る」を押していたところに本屋のバイトが掲載されていた。家からは結構距離あったが、好奇心にかられ面接の応募をした。

あれからかれこれ1年2ヶ月の月日が経った。そんなに時間を過ごしたのに従業員とは誰一人として仲良くならなかったし仕事の内容も全然覚えられなかった。これは俺の記憶能力が低いというよりも働いているという責任感が欠如していたのが原因だろう。バイトを始めて2ヶ月くらい経ったときに店長から「バイトは大変じゃない?」と聞かれたときにうっかり「働いているという感覚じゃないのであまり辛くないですね」と言ってしまい、店長が奇奇怪怪なものを見る表情で俺の顔を見つめたあの瞬間は俺の脳裏に焼き付いている。

それ以外にも鮮明に記憶に残っていることは沢山ある。例えば筆箱のバーコードが剥がれていたので店長が値段が分からないので調べますねと伝えると「店が値段がわからないっておかしいこと言っているよね」と大声で怒鳴り散らした父親と横にいた不安そうな息子の表情、置いてある知育玩具の立体ブロックで作った何かの動物をレジに持ってきて「これ何かわかりますか?」と聞いてきた少年の純粋な眼、入院している奥さんにPHPの雑誌を買ってと頼まれているらしいのだが全然違う新書を片手にレジへやってきて「頼まれたのとは違うけど面白そうだからこれにします」と語りかけてきたおじいさんの笑顔、お札の下に2円が置いてあるのを知らずに会計してしまい驚いた表情でお釣りを受け取ったお姉さん、毎週俺のシフトの日に定期購読しているTV誌を買いに来る女性がある日を境に名前と要件を言わなくなったのだが俺はその人の名前を覚えておらず聞き返すのも失礼だったのでTポイントカードの裏を見て名前を確認したこと、会計が終わって商品を手渡し俺が「ありがとうございました」と言うとニコリと笑った女性の引き込まれるようなあの目、後に出禁の客だと判明した店内にいる子供に奇声に近い声で話しかけるおじさんの空気の抜けたような目、あまり上手く発音ができないのかとてもモゴモゴ聞こえる定期購読をしているおじいさんがゆっくりと言った「電話してくれてありがとう、次回もよろしく」も、まだ小学生にもなっていないような少女に言われたお兄ちゃんありがとうも、6000円近くの買い物を全て500円玉で払ったセーラームーン好きの女の子も、お父さんと一緒に来た小学生くらいの少年がカンゼンのサッカー上達トレーニング集を買っていた後に心から湧き出た頑張れという感情も、ちょっと怖そうな女性がレジへ来て探していた本が小説新潮だった時のなんとなく揺らいだ心も、部活帰りなのかウィンドブレーカーを着ていた可愛らしい女子高生が買ったのは増田こうすけのギャグマンガ日和でその感性に無駄に感銘してしまったことも、照れたような笑顔でお辞儀をして去っていった女子が着ている服が中学のジャージだった時にどこからとなく湧いた同世代くらいだったら良かったのになという感情も、控え室の性能の悪いエアコンから排出される酷く臭い冷風も、8月にバイトが終わって帰り道で飲んだ炭酸水が刺激する喉の感覚も、

きっとあそこで働いている彼ら彼女らは今日も明日も1週間後もその後もずっと働き続けるだろうし、いつか俺が客としてあの店へ行って俺なんていなくてもいつものようにまだ働いている彼ら彼女らを見たときにやっとバイトを辞めたという実感を得るんだろうなと思う



ふんわり名人