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第9回:恋の終わり 「冷やし中華」 @玉春

恋の終わりは、いつも人を優しくする。悲しいけれど、ホントなんだ。

以前、失恋した際、「愛してる/風味堂」が心に突き刺さって、聞くたびに号泣していた。

そう、もう恋は終わろうとしている。何を言うとるのか。

私は『鶴亀』に通い、書き連ねる情熱をなくしてしまった。

恋が終わったのだ。

思い返してみれば、第1回の熱量は相当だった。だからこそ、多くの人に読まれたし、実際に行ってくれた人もたくさんいた。

恋が終わるきっかけは、些細なことだった。

「ちょっと味が濃い目じゃない?」

その一言が引き金になった。味の感じ方は人それぞれであるし、私は本当に美味しくて最高だなと思っていた反面、「確かにな」と思ったのだ。

この頃からお店の細かい点が気になるようになってしまった。それはまるで、粗探しをするカップルたちの、それのように。極め付けは、メニューが変わってしまったこと。そこで、気張っていた何かが崩れた。

「もう、あの頃の鶴亀はいないし、あの頃の俺の情熱も消え失せてしまった。季節はもう変わってしまった」

でも、嫌いになりたいわけじゃない。少し慣れてしまっただけなのだ。だから、そんな冷めてしまった心を信じたくなくて、私は原点を辿ることにした。

『鶴亀』の原点、それは自由が丘にある。

そう、気付いたら僕は自由が丘にいた。

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前回、鶴亀のメニューが変わってしまったことを嘆いたのだが、『玉春』にはあのメニューがあった。なるほど。まずは恵比寿の地で、このメニューでテストマーケティングを行い、それを基に新たなメニューに進化しようという魂胆なのか、と考えを巡らせたが、おそらく、もっと単純な理由があるような気もしている。そこには懐かしい文字が並んでいた。

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当初はこれらのメニューが、海賊船で見つけた宝石箱のようにキラキラと輝いていたのだが、今これを見てもときめかなくなってしまった。

どうしてだ、どうしてなんだ、俺。

しかし、ミスチルで言うところの「何も語らない君の瞳の奥に愛を探しても」状態の私である(overより抜粋)。

思いを巡らせていても、仕方がない。オーダーを取りに、フロアの方が駆け寄ってくる。私が頼んだのは「冷やし中華」だ。ここでは健在の「麺定食」も、もちろんオーダーした。すがるような気持ちだった。

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たっぷりの麺はツルンとした喉越しで、量もたっぷり。具はきゅうり、茹でエビ、卵、支那竹、トマト、かいわれ、蒲鉾の千切り。タレは酸味ある王道の味。非の打ち所のない“冷やし中華”である。しかし、心の変化からか、この量さえも、多すぎのように思えてくる。

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「麺定食」は健在だった。とうもろこしの炊き込みご飯、蒸し鶏のネギ塩和え、木耳の何か。この時とは違い、しっかり一品ずつ小皿に乗っている。いいじゃないか。

食べ終わり、爪楊枝を探す。カウンターには見当たらない。店内を見渡せば、お店は広く、小上がりのようなユニークな席がある。コロナ禍にはいいレイアウトじゃないか。店を出る。いいところを探そうと試みる。

しかし、当時のような高揚感は戻ってこない。

ここは鶴亀ではないのだが、やはり、恋は終わった。

今後も『鶴亀』にいくことはあるだろうが、初期衝動に駆られていた7月初旬とは違う気持ちになるだろう。

いい店には違いない。今回のこの記事は情熱に突き動かされた、私の心にフォーカスしたゆえ、このような内容になっているが、お店自体は何ら変わらないことは補足しておくし、むしろ進化しているのかもしれない。ただ、私の心が変わってしまっただけなのだ。そして、ひとまず区切りのいい10回までは書こうと思う。

思い返せば、第1回をUPしたのが7月1日のこと。

たった1ヶ月の恋だった。

2020年。いつもと違う世界。ジメジメした梅雨の空。

僕は確かに恋をしていた。

そのことを忘れることはないだろう。

そして、心から言いたい。

ありがとな。


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