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ワトソン・ザ・リッパー 五章(5)
そして、同時刻、建設途上のタワーブリッジにて、オーランドとアルバートは戦っていた。
いや、すでに戦いは終わりかけていた。
そもそも、戦いにすらなっていなかった。
「おおおおっ!!!」
裂帛の気合を込め、以前、他の蒸気甲冑への攻撃とした、「腕一本を刃とする」一撃を撃ち放つ。
「あはははははははっ!!」
しかし、アルバートのまとう「黒太子」と、一般兵が用いる蒸気甲冑では、性能も、防御力も段違いであったようだ。
それすらも通用せず、アルバートの哄笑はやまない。
「オーランド神父……僕はねぇ、壊さないと、感じないんですよ……」
ピタリと笑いを止め、アルバートは語りだす。
「あれはいつごろだったでしょうかね……二歳か、もしかして一歳か、それくらいのことですよ。僕はね、積み木でお城を作ったんです。お城、わかりますよね。そのお城が出来上がったときにね、それをね、無性に壊したくなったんです。壊しましたよ、崩れた積み木。何度も何度も試行錯誤して、ようやく積み上がったそれを崩した時、僕の中に言いようのない快感が走ったんです。快感、とは正確には違うかもしれません。凄まじい喪失感と虚無感です。心がね、むなしさで溢れたんです。涙を流すほど。でも同時に、満たされたんですよ。矛盾しているでしょう? でもそうなんです。僕はね、幸福を感じられないんですよ。どれだけ満たされても、どれだけ与えられても、満たされないんです。それが失い、消えさて、もう手に入らないと分かって初めて、自分がそれがどれだけ幸福であったか理解できるんです。わかっているんです。これがおかしいということは。だけど、どれだけあがいても、変わらなかった。治せなかった。他の人と同じようにできなかったんですよ。むしろ、愛しいと思えば思うほど、それを壊したいという思いでいっぱいになるんです。飼い犬や、鳥、木々や草花、友人知人を傷つけたこともあります。失って初めて、その大切さがわかるんです」
堰を切ったように、アルバートは語る。
ひたすら抑え込み、漏れ出さないようにしていたそれが、溢れ出し、止まらなくなっていた。
「マーガレットも……僕はね、信じてもらえないかもしれませんが、本当に愛していたんです。彼女も、僕を愛してくれた。愛すれば愛するほど、不安になるんです。自分の中の愛情が、正しきものなのか、彼女の愛を、僕は正しく受け止めているのか、わからなくなる。それが苦しいんです、恐ろしいまでに苦しく、耐えられない」
彼はほんの少しだけ、人生のスタート時に、ボタンを掛け違えてしまったのだろう。
それは、ある意味で、ありふれたものでもある。
特定の味を感じない。特定の色を認識できない。特定の音が聞こえない。
その程度の、本来なら、受容されるべき、「ちょっとしたズレ」だったのだ。
だが彼の場合、それは己の心の中にあった。
「幸福を感じることができない」という、ズレだった。
「オーランド神父………わかっているんです。僕の行いが、法律的にも、常識的にも、人道的にも、許されざることであることは、知識としては理解しているんです。でもダメなんですよ。どれだけ必死に堪えても、耐えられない。幸福を感じられない恐怖の前には、どうしようもない」
彼は、幸福を受容する感覚が欠落していた。
それ故に、どれだけ愛しても、どれだけ愛されても、それを感じることができなかった。
知識によって補うのも限度がある。
深く愛する者が現れるほど、その認識のズレが心を蝕んでいく。
結果、「愛すべき対象」を失うことで得られる、喪失感と虚無感を、幸福感の代わりにしてしまったのだ。
「僕は狂っているんでしょうね……オーランド神父………」
甲冑越しに伝わる声に、涙が混ざっているのが分かった。
それが分かったからこそ、オーランドは、深い悲しみが湧き上がる。
「君は狂ってなどいない」
狂っている人間は、自分を狂っているなどと言わない。
むしろ、自分は間違っていない、正気だと言いはる。
事実、組織のため、国家のためと大義名分を名乗り、自分の蛮行を正当化してきた“切り裂きジャック”計画に関わってきた者たち、自分も含めた、そんな者たちに比べれば……彼は、ずっとまだ正気である。
だから彼は地獄の苦しみを味わっている。
愛した者を殺したくてたまらなくなる殺人衝動。
それはもはや、理屈や理性では抑えきれない。
理性で空腹が止まらないように、理性で睡眠が無用にならないように。
「君の最大の悲劇は……それでも君が人を愛することを捨てなかったことだ」
人を愛するという、神が最も尊んだ行いだけは、彼は捨てられなかった。
それは称賛されるべきことなのに。
尊ばれるべきことなのに。
「神父様……僕は生まれてこなければよかったのでしょうか……僕のような悪魔のような者が、生まれてしまったことが、間違いだったのでしょうかね………」
諦観と、自嘲のこもった声で、アルバートは言う。
彼はこの瞬間も、マーガレットの残した我が子を愛している。
愛しているからこそ、殺そうとすることを止められない。
「違う……そんなことはない……」
その言葉を聞いてなお、ランガートは否定する。
「君がいなければ、あの赤子はそもそも生まれなかった……君の存在の否定は、君の子供の否定にもなる」
もはや、オーランドができることはなにもない。
彼を救ってやれる方法を、何一つ持たない。
だが、一つだけ。
一つだけ、まだ、できることがある。
「君は悪魔なんかじゃない……それを証してやる」
自分を人と思えなくなった者に、「お前など、まだマシな方だ」と、教えてやることだけであった。
「あああああああっ!!!」
オーランドはもちうる全ての“力”を開放した。
彼の力は、古き時代に、どこかで、なにかの間違いで混ざったのか、悪魔の血族ゆえに起因するもの。
それを彼は、日頃、人間としての理性で、無理やり押さえつけてきた。
「ああああああっ!!」
その全てを、開放した。
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