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ワトソン・ザ・リッパー 五章(4)

 一方その頃、アルバート配下の蒸気甲冑部隊から逃げるフェイ。
「なにがどうなっているんですか! 一体、なんなんですかぁ!」
 彼女に担がれているモモが、泣き叫びながら問う。
「まぁなんだ。人間というのは、自分の心すら、思い通りにはできんということよ」
 対して、冷静に答えるフェイ。
「どういう意味ですかぁ!?」
 この時代、心理学の研究は始まっていたが、ユングやフロイトといったような、近代心理学が花開くまでは、あともう十年以上待たねばならない時期であった。
 それ故に、「人の深層心理」という概念自体、理解できないものが大半である。
「殺人快楽症、とでも言えばいいのかな。人を殺すことで快楽を感じる人間というのは、いるものだ」
「そんな……いるんですか、そんな人が」
「いるよ……いるんだよ、そういうのが」
 フェイの言葉は、ただの知識ではない。
 彼女は経験として、そんな者たちを見てきた。
「随分前だったか、フランスにいた頃に会ったな。なんという名だったか……名のある軍人だったのだがな。確か……ん?」
 そこまで話したところで、なにかがフェイに向かって飛んできた。
「おやまぁ」
 あっさりとした口調ではあるが、それは、真っ黒いな図太い金属の矢であった。
 追撃する蒸気甲冑の一体が放った矢。
 子供の腕くらいの太さはある矢であった。
「むぅ……」
 そこでガクリと、フェイは足を突く。
「これは……ただの矢ではないな……ああ、そうか……」
 言っている間に、さらに、二本、三本と、矢が撃ち込まれる。
 フェイは人間ではない。
 人間あらば十回は死ぬような攻撃を受けても、即座に再生する。
 だがこれは違った。
 刺さった矢は、彼女の体に食い込み、その肉体を蝕む力を有していた。
「神聖存在の加護を得ているとは効いていたが……これか……」
 用いられているのは、銀。
 それ自体、破邪の力があるとされているものに、法儀礼を施し、魔に属する者は触れるだけでダメージを受ける。
 しかもそれを体内に刺されたのだ。
 人間ならば、毒矢を――否、毒そのものを撃ち込まれたに等しい。
 しかし、それだけではない。
「この女……」
「妙な力を使うものと聞いたが……」
「やはり、魔の者……」
 追いつく、蒸気甲冑たち。
 口々に、人間ならば死なねばならぬ攻撃を受けて、まだ致命にいたっていないフェイを見て、口々にささやく。
「用意してきてよかった」
「ああ、闇の者が、この矢の前に、勝てるわけがない」
 彼らはただのアルバートの私兵ではない。
 ガルと同じく、英国の闇仕事に従事してきた者たち。
 その中には、当然、人外の敵も含まれていた。
「そうか……ちょっと前に、あの坊やが返り討ちにあったと聞いたが……貴様らが関わっていたわけだな……」
 道理で、とフェイは思った。
 三年ほど前、とある吸血鬼がイギリスで暴れた話は聞いていた。
 どんなヤツが倒したのかと興味を覚えたが、こんなものを使われては、五百歳にも満たぬあの新人では、抗うことは厳しかっただろう。
「驚いたな……これは……貴様ら、“聖女”の灰を使ったか」
「なぜ……わかった!?」
 矢に仕込まれた仕掛けを言い当てたフェイに、蒸気甲冑隊はうろたえる。
「まったく……自分たちが魔女として処刑したものを再利用しているんだ。いい面の皮だよジョン・ブルというやつは」
 今から四百年ほど前に、とある少女がいた。
 彼女は、神の声を聞き、祖国を救うため、十代の若さで戦場に立ち、兵士たちを鼓舞し、本当に救国の英雄となってしまった。
 だが、あまりにも目立ちすぎた彼女は、王から疎まれ、様々な陰謀の挙げ句、敵国に囚われ、魔女として処刑されてしまう。
 火炙りにされ、残った灰は、川に流され捨てられたと言われていたが――
「あの小娘の灰を混ぜたな! 灰を回収してやがったか!」
 蒸気甲冑の装甲、そして武具、これらの中に混ぜ込まれた、かつての聖女の骸であったものの力によって、無理やり神聖加護を付加させていたのだ。
「よくもまぁ……」
 聖人の遺骸は、それ自体が聖なる器物であり、神器としての力を持つ。
 とはいえ、自分たちが「魔女」と断じた女の死体を、用いたことに、フェイは、純粋に、感心した。
 力のためならば、躊躇なく、そんな手段を使える者たちの発想に驚いた。
「ならば……こちらとしても、気を使う必要はないな」
 ゆっくりと立ち上がると、フェイは懐から拳銃を取り出す。
 オーランドにも放った、アメリカ製の新型拳銃だ。
「!?」
 反撃に転じるのかと、蒸気甲冑たちが構える。
「これは使わん」
 だが、それを放り出す。
「貴様らが外道の手段を用いる者たちならば……人間の殺し方の真似事など、意味はない」
 そして、ニヤリと笑う。
「モモ、背中を向け、体を丸め、目と耳を閉じ、うずくまっていろ。念の為、赤子を顔も塞いでおけ」
「は、はい……?」
 腰を抜かしたのか、地面に座り込んでいた彼女に、フェイは言った。
「いいから早くしろ……下手に耳目に入れば……発狂するぞ」
「は、はいいいいっ!?」
 言っている意味は理解できなかったが、フェイの凄みに押され、大慌てで言われたとおりにする。
「さぁて……では始めようか諸君」
 言うと同時に、フェイの体に刺さっていた、聖女の灰を鋳込んだ銀の矢が、どろりと溶けて地面に落ちる。
「!?」
 驚愕する蒸気甲冑たちを前に、フェイは笑う。笑って、嗤って、嘲笑う。
「モノホンの悪魔相手に、こんな小賢しさが通じると思うとは……」
 そして、矢が落ちた後に残った傷痕が開く。
 その先にあったのは、肉でも骨でも臓器でもない。
 禍々しい、ドロドロの、なにかが詰まっていた。
「貴様らが悪いんだぞ。一生懸命、人の形に抑え込んでいるのに、ほころびを作っちまったんだからなァ!」
 なにかが、溢れ出す。
 この世ならざる、異界の生物のような触手が、一斉に襲いかかった。

 つづく

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