予備知識なしで感じてください
ドヴラートフ、最初に知ったのは英訳の『スーツケース』。出したかったなぁ。力不足で成文社さんから『かばん』として出て、うらやましかったなぁ。まだ重厚長大がロシア文学のレッテルだったあのころ、ドヴラートフはまったく違って見えた。映画のなかのドヴラートフは本で見た本人の写真よりずっとかっこいい。ブロツキイはこんな感じだったのかなとも思う。1970年代のソ連の作家や画家たちの数日間を切り取った映画を、いま上映して観客に理解してもらえるのだろうかと心配になったけれど、いやたぶん同時代だったとしても、分からないところが多いと言われただろうな。映画の中でも名前が出ていたストルガツキイを何冊か出し続けていたときに「ソ連の現実が分からないと理解できないところが多い」とよく言われたから。そんなものかなと、ちょっとくやしかった。もしこの映画を少しでも理解できるように予習していこうという人には、いま手に入るドヴラートフやブロツキイの翻訳に加えて一冊小社刊のストルガツキイ作品『モスクワ妄想倶楽部』を紹介しておきますが、そもそも「理解」ってなんだよって、いままたこの映画を観て思った。事実の裏付けを知ることはもちろん大事だし、そこから見方が広がることも否定しないけれど、ソ連という国なんて記憶のすみにもない人が、予備知識なしでこの映画から感じ取るものを知りたい。ままならない憂き世を、亡命してでも生きていこうとした人たちの姿を、新しい記憶として映画が差し出してくれたのだから。
群像社代表・島田進矢
http://gunzosha.com/
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モスクワ妄想倶楽部(群像社刊)
ストルガツキイ 著 中沢敦夫 訳 ◆
「何より奇妙でSF的なのは文壇だった」
発表できない作品をしまいこんだままモスクワの街をうろうろするSF作家。未発表小説の読者数を事前に計測できる機械が導入され、作品の提出を求められた作家たちの間に困惑が走る…。小説よりもはるかに幻想的なソ連の文壇世界を描いた自伝的作品。
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