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【小説】陰者のジレンマ

 世界は不条理と妥協でできている。そんなことは、僕が生まれる前からの暗黙の了解。
「雲居くん、放課後よろしくね」
 だから僕が風邪で休んでいる間に、文化祭のクラスの広報に選ばれていたとしても、そこに怒りや不満はない。ただ一吹きの溜息と諦念があるのみ。
 顔を上げて確認すると、声をかけてきたのは作り笑いの張り付いたような女子。スクールカースト上位に属している……えっと、名前なんだったけな。ま、良いか。
その女子に把握の意味を込めて頷くと、僕は会話を打ち切るように再び昼寝のポーズをとる。耳を澄ませると、遠ざかっていくような足音が聞こえる。昼休みが終わるまであと少し。周囲の喧騒を感じながら、隔絶された自分の世界に引き籠もった。
 僕は雲居沖。見ての通り社交性は皆無だ。自己評価としては怠惰と妥協の集合体。高校に入ってすぐの僕に根暗のレッテルが張られるのに時間はかからなかった。他のクラスメートから距離を置かれているのは勿論、自分からも距離を置いている自覚がある。窓から差し込む日光に、覚える感情はいつも憂鬱だ。

「え?広報って僕ら二人?」
放課後、件の女子の机まで行くと、驚きの事実が伝えられた。
「そうだよ?」
 仕事量的な問題で何とかなるのか微妙っていうのもあるけれど、何より女子と二人でこれから一か月間作業を共にするのがしんどい。あと名前なんだっけ。
「それで、ウチは何の店をやるの?」
「え、そこから!?」
「内容決めのとき、僕風邪で学校休んでたからね」
「えー友達とかから何となく聞いてたりしない?」
 デリカシー皆無かこいつ。と、一瞬思ったものの、よくよく考えるとこの女子が僕に対して興味・関心ゼロなのは自明で、僕の周囲の人間関係を把握している筈もない。
「それで、何」
「おばけやし喫茶」
「日本語でお願いしたいんだが……」
あまりに奇怪。何でもかんでも饅頭とか煎餅とか喫茶店とかに結び付けたがるのは日本人の悪い癖だな。
「なんか決めるときにおばけ屋敷と喫茶店で票が割れちゃって、じゃあ合わせればいいんじゃないかってことでこれになった!」
「馬鹿か……」
 あるあるが過ぎる。多数決で決める勇気がなくて、『これとこれ併せたらいいんじゃない』って言いだす奴。小六の時の、ダンスと劇併せてミュージカルにすれば良いんじゃない?とか、発想があまりに安直だろ。この妥協の権化、乱雑ハイブリット企画が大成功を収めた例を僕は未だ見たことがない。同調圧力蔓延る高校生らしい選択と言えないこともないけれど。
「まあいいや。概要は」
「えっとね……なんかおばけ屋敷みたいな部屋で喫茶店やるみたい」
「え?飲み物飲んでる最中に急に驚かされたり」
「しないよ!?」
「じゃあおばけ屋敷要素どうするんだよ」
「教室の半分を使って喫茶店までの入り口を長くしておばけ屋敷風にするみたい。もう半分を喫茶店スペースにするって」
「物騒な飲食店だ……」
 先が思いやられる。まあ、企画の内容の個性が濃い分、宣伝のネタは尽きなさそうだ。
「広報だけど、とりあえず何しようか」
 やることが明確じゃないのに役割分担したのか……。
「ポスター作って張って回るだけで良いんじゃないの?」
 僕は極力エネルギーを消費したくないので、雑に提案してみる。
「それもやらなきゃね」
「それも、ってほかに何かやることある?僕あんまし働きたくないんだけど」
「それが……」
 彼女が何か言葉を発する前に、教室の後ろ扉が開いた。
「おー。やってる、やってる」
「あっ!会長!」
 心なしか、女子のテンションが二段階ほど上がった。確かに、僕と喋るより内輪と喋る方が気が楽なのは自明。入ってきたのは二人の男子で、片方は見覚えがある。学級委員長の、えーと……片桐だ。もう一人は……誰だっけ。見覚えがあるような気もするけど。
「広報のお二方、頼むよ?僕らのクラスの来客数は君たちにかかってるんだから」
「わかってるよ!これから頑張るつもり!」
「片桐、お前も働けよー」
 そういったのはもう片方の男子。
「いやいや、俺の仕事は総監督ですから!会長だって同じようなもんでしょ?」
「んぐっ、否定できない……」
 ああ、思い出した。文化祭実行委員会会長の……、やっぱり名前は思い出せないわ。まあ知らなくても学校で生きていく上じゃ必要ないし、必要になったとき考えればいいや。
「雲居もしっかり頼むぜ!」
「善処する」
「なんだそりゃ」
 わっはっはと笑いながら二人は去っていった。
「……というわけで私たちの責任は重大なんです」
「いや、どういうわけ?」
「私たちの頑張り次第で、来客数を増やせるってこと!」
「来客数を増やすことに意味、ある?」
 我ながら野暮な質問だとは思いつつも、僕はこの手のイベント事に費やすほどの熱意を持ってはいない。
「来客数上位に入ると、エンディングセレモニーで表彰されるんだよ」
「ただそこで騒ぎたいだけじゃねーか……」
「あはは、まあ否定はしないけど。私はそれでも上位入りたいなぁとは思うよ。せっかくやるんだもん。それに入賞すると学校のパンフレットとか、生徒会の記録とかに残ると思うし」
「ああ……確かに記録に残してくれるんなら、態々やる甲斐もあるかもな」
「うん!じゃあとりあえず何からやろうか」
「ポスター制作からな。明日までに各自で原案考えてくるようにしよう」
 教室掲示されている要綱にはポスターの規格が細かく設定されていた。各々メモを取って、帰宅という算段になった。
「じゃあ、明日から頑張ろうね、雲居君」
「ああ。…………名前なんだっけ」
「今更!?」
信じられない、という非難の目で睨まれた。両手を上げて甘んじてそれを受け入れるというポーズを見せる。誠意は大事。ちなみにポーズに中身など無い。
「瑞田だよ!瑞田みのり!じゃあね!」


 あれから数日後、僕と瑞田はパソコンの置かれている特別教室で作業していた。理由は二つ。
 一つは、教室内で内装の製作作業が行われているため。ペンキの香りと雑多に積まれた段ボールの存在感は凄まじく、せわしなく動くクラスメートたちの邪魔にならないよう退避したという理由。
 もう一つは、パソコンを使うため。外部の人も参加するイベントなのに、それらの層に発信する手段が無い。それは他クラスも同じであって、逆に言えばそこを改善するだけで他クラスとの差をつけられる。
「なに、この偏差値2くらいの文章」
「なんてこと言ってくれてるの!?」
 僕と瑞田の目の前にはごてごてと絵文字や記号で飾られた文章があった。著者は瑞田。
「いや、ちゃんと日本語学んでたらこんな文章にならんでしょ……」
「失礼な!最近のネット界隈はこれが普通なの!」
 そういいながら、投稿ボタンを押す瑞田。ていうか瑞田さん近い。距離が。振り払うように椅子を回す。
「あとはポスターの印刷だけだな」
 データを持っている彼女に席を交代しつつ、印刷機のスタンバイをする。すると、マウスをカチカチさせながら彼女が珍しく事務的なこと以外を話しかけてきた。
「雲居君ってさ、陰キャだよね」
 陰キャ即ち陰のキャラクター。根暗で社交性がない人間を指す。確かに僕だけどさぁ。
「デリカシー無い陽キャよりはましだろ」
「デリカシーに関してだけは雲居君には言われたくないんだけど」
さいですか。まあ確かに。
「でも、喋ってみると案外喋るよね」
「必要なことだけだろ」
「まあ確かに。事務的というか」
 僕は怠惰と妥協の集合体。別に他人にかかわらないことを信条にしているとか、対人恐怖症があるとか、そういうわけではない。必要もない会話をすることが、ただただ面倒くさいだけなのだ。
「いや、でもみんなが言ってるほど困った人間じゃないよね。変わり者ではあるけど」
「成程、僕は陰でそれなりの悪口を受けていたというわけかい」
「いや、別に悪口ってわけじゃ……」
「その気がなかった、なんていじめる側の人間の常套句だと思うけど」
 そういうと、瑞田は押し黙ってしまった。
「ああいや、別に他意があるわけじゃない。周りがなんて言ってようと、僕に直接影響はないし」
「ああ、うん。でもこうして喋ってると、面白いよ?雲居君。クラスでももっと喋ればいいのに、もったいないな」
「別に仲良くしたい人がいるわけじゃないし。そういうの、面倒だから」
 瑞田は、所謂スクールカースト上位層。誰彼構わず男女も問わずに笑顔を振りまき会話を弾ませ人脈を築いてきたんだろう。そういうのが好きな人種にとっては、確かに僕の感覚は理解しづらいかもしれないけど。
コピー機が彩られた紙を吐き出す。それを引き取ると、黙って彼女の傍まで行く。仕事ができない女子の肩にぽんと手を置いて一言。
「A5サイズだって言ったでしょ」

あれ以来、僕と瑞田の間の距離が何となく近くなった。僕は相も変わらず休み時間は参考書に目を通したり伏せったりして一人でいようとしている。けど最近瑞田はそこにちょっかいを出してくるようになった。
「デザイン新しく考えたんだけどどうかな」
「隣のクラス、射的やるらしいよ」
「SNSの方にこんなのアップしようと思うんだけど、どう?」
僕は「おーん」だの「良いんじゃない?」なんて適当な返事をして流していたけど、だんだん彼女の文化祭に対する熱意に応えたいと思うようになっていった。僕ら二人は他クラスまで宣伝に行ったり文実に校内放送の許可をもらったりビラを作ってばらまく準備をしたりと、色々奔走した。


文化祭当日、オープニングセレモニーが終わりクラスの周囲は参加客でごった返した。
そして僕らは放送室にいた。宣伝放送のために。
「超緊張するー」
「そうか?」
「なんで陰キャのくせにこういうの得意そうなの!」
「別に僕は陰キャじゃないからな」
 頭を校内放送へ切り替え、ありえないテンションで「おばけやし喫茶」の宣伝をする。
「おつかれ、よかったよ」
「ありがとうございます!」
 無事、宣伝を終えると、居合わせた実行委員会の会長も労ってくれた。僕と瑞田は顔を見合わせて笑った。こういう何気ない職務が、なんとなく楽しいなって、そう思えた。
 一方、おばけやし喫茶は大変好評のようだった。
「入ってみようよ」
「僕らが?」
「だって私たち、割と宣伝に奔走してたから、あんまりちゃんとクラスの方見れてなかったし」
「いや、いいけどさ……」
――そして、しばらく列に並んだあと。
「ぎゃーーーー!!」
「こら馬鹿暴れるな!段ボールなんだから壊れるだろ、おーい瑞田!」
 僕らは、いや主に瑞田は自分のクラスの展示にビビり散らかしていた。ぐちゃぐちゃになりながらおどろかしゾーンを抜けると、そこには妖しげで優雅な見た目の喫茶ゾーンに出た。どっちかといえばハロウィンに近いんじゃないか?これ。
「怖かったぁ」
「いや、何が出るとか知ってただろ……。井戸とかあったら人が出てくるに決まってんじゃんか」
呆れつつ、「しかし、ほんとにしっかり形になったな。絶対失敗してぐちゃぐちゃになると思ったけど、大したもんだよ」
「まあ、みんな頑張ってたから……」
 座って飲み物を啜りながら、僕は訊いた。
「午後はどうするんだ?」
「友達と約束してるから、一緒に回るよ」
「そか」
「なに、一緒に回ってほしかったの?」
 その程度のからかいは僕には効かない。
「あの程度のおばけ屋敷で驚き散らす人とはちょっと……」
「それ掘り返すの、やめてよ!」


 なんやかんや十五時。全校生徒が明かりを遮断した体育館に集合する。ざわざわとさざ波のような話声が響き合っている。僕もちょっぴりこの時間に名残惜しさを感じていた。
「雲居君」
「………ん?」
 ふわっと、甘い香りが宙を舞う。声をかけてきたのは無論、瑞田。けれどその光景に思わず息をのんでしまった。暗くて広い体育館、周囲が雑多に灯しているサイリウムの光と彼女の顔が絶妙に絡み合って、幻想的な一枚絵を作り出していた。長い黒髪がその白い肌を引き立てていて、そこにいるのは瑞田であって瑞田でない、そんな不思議な感覚だった。そしてこのとき、僕はぼんやりと浮かんでいた感情が一つの形を持った気がした。
 ――僕は、瑞田みのりが好きなんだ。
「後夜祭、来ない?私たちせっかく頑張ったんだし、ぱーっと騒ごうよ」
 普段の僕なら絶対に行かない。あまりに生産性が無さすぎる。けれど僕は、行きたいと思った。僕らの接点があったのは『広報係』という大義名分があったからなんだ。文化祭が幕を下ろした以上は、この関係もきっと終わる。
「行くよ」
 そう告げると、瑞田は少々意外そうな顔をして、けどすぐに笑った。初めてまっすぐ彼女の顔を見れた気がした。
「おっけー。じゃあ駅前のライブハウスね」
 そういうと、彼女は小走りで自分の席まで戻っていった。
ステージの幕には文字が映し出されている。それは、エンディングセレモニーまでのカウントダウン。
「「5!」」
 僕らが一か月、全力とは言えなくても、作り上げてきたものはここで終わる。
「「4!」」
 生徒、各々に思いがあるだろう。
「「3!」」
 瑞田に渡されたサイリウムを折り曲げる。鮮やかな白い光が、僕の手の中で輝きだした。
「「2!」」
 生産性もなにもないけれど、僕は全力で叫んだ。
「「1!」」 
 弾けるような歓声。楽器が音を奏で、踊り手がステージ周りで動き出す。最後までこの瞬間を楽しみたい、そんな思いが痛いほど伝わってくる。今なら少しだけ、僕にも分かる。
そうして、終わりの幕が上がりだした。


 終わってみればあっけないものだった。これで一か月の努力は過去の遺物となったけれど、喪失感はない。しばらくは余韻に浸っていられるほど、僕は満足感に包まれていた。クラスの装飾解体とかは、明日の午前中に行われる。体育館から出ると、空は相変わらず灰色なのに、やけに世界が眩しく感じられた。クラス来客数・満足度はともにトップ。隣クラスとは接戦だったものの、多分それはうちに来た後に、そのまま隣クラスへ人が流れたからだろう。
 それはともかくSHRがあるからと教室へ帰ろうとすると、ふと体育館の裏へ人が入っていくのが見えた。瑞田だ。「瑞……」
「どうしたんだい、こんなところへ呼び出して?」
 僕が声をかけようとしたとき、さらに奥の方から人の声がした。思わず、体育館の入り口あたりへ隠れる。
「あ、会長!」
 瑞田の声が、どことなく弾んでいるように聞こえる。会話の相手は、文化祭実行委員会会長だろう。
「呼んだのはみのり?」
「はい、あの、クラス対抗でトップを取れたら伝えたいと思っていたことがあって」
 現時点の会話内容に不審な点はない。けれど人目を憚るこの場所設定、得体のしれない冷や汗が僕の背中を伝う。
「ああ、そういえば一年二組はクラス展示トップだったね。おめでとう、広報のみのりの尽力も大きかったんじゃないかな」
 みのり、だなんて瑞田を下の名前で呼んでいることに違和感しか覚えない。何も見なかったことにして教室に帰ればいいのに、僕の足は金縛りにあったように動かない。
「ありがとうございます!でも私なんかより、雲居君がいっぱい頑張ってくれたから……」
 急に出てきた僕の名前。どぎまぎしつつ、安心感が少し戻る。
「そんなことはないさ。それで、用事は?」
「私、白波会長のことが好きです!私と付き合ってください!」
 呼吸が止まったようだった。思考が丸二秒止まる。空から頬に冷たい水滴が降ってきた。


 それから、どうやって教室に戻ったかは覚えていない。僕はあのクラスの中でうまく笑えていただろうか? 
瑞田が全力で企画に取り組んでいたのは、好きな人に振り向いてもらうためだった。そんなこと気づかずに、僕は協力して勝手に彼女を好きになった。下駄箱の辺りは、廃棄されるであろう段ボール群が積みあがっていた。
すっかり本降りになってきた雨空は、僕を嗤うように低く鳴る。涙は別に流れない。世界が不条理と妥協で出来ていることは、ずっと前から知っていたから。
後夜祭には行かない。陰者のジレンマが僕を、この空のような灰色に塗り潰していった。

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