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カスミルのとしょかん(レーモン・クノー『文体練習』)

 皆様こんにちは。カスミルのとしょかんへようこそ。
 ここでは、隔週で私のおすすめの本や作品をご紹介したり、時にはこっそり雑筆を残したりしていきます。忙しない日常の事は少しだけ忘れて、どうぞごゆっくりお楽しみくださいね。

 本日はレーモン・クノーの『文体練習』をご紹介致します。

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 以下引用は朝日出版社から出ている朝比奈弘治訳のレーモン・クノー『文体練習』を参照し、引用ページ数のみ丸括弧で記載します。詳しい書誌情報等は最後にまとめて載せています。

○概要と見所

 はじめに留意して頂きたいのが、この作品では同じ情景が102回(うち3回は「付録」の扱い)、「文体」を変えて繰り返し語られるという事です。話の筋を楽しむ作品というよりも、各文体の差異や表現の可能性みたいなものを楽しむ作品なのかなあと私は思います。
 各文体間で共通している情景は、ものすごく端的に言うと「バスの中で見かけた男を、2時間後別の場所でもう一度見かける」というものです。例えばそれが「メモ」の文体になると、こうなります。

1・メモ
 S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフト帽をかぶった二十六歳ぐらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている。首は引き伸ばされたようにひょろ長い。客が乗り降りする。その男は隣に立っている乗客に腹を立てる。誰かが横を通るたびに乱暴に押してくる、と言って咎める。辛辣な声を出そうとしているが、めそめそした口調。席があいたのを見て、あわてて座りに行く。
 二時間後、サン=ラザール駅前のローマ広場で、その男をまた見かける。連れの男が彼に、「きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言っている。ボタンを付けるべき場所(襟のあいた部分)を教え、その理由を説明する。(3頁)

「メモ」というタイトルの通り、最小限の情景がそれなりに仔細に描かれています。オーソドックスですね。
 この情景を、隠喩を用いて書くとこうなります。

4・隠喩を用いて
 一日の盛りに、白っぽい腹の巨大なカブトムシのなかに缶詰にされた回遊イワシの群のなかで、羽をむしりとられたひょろ長い首の一羽の若鶏が、もの静かな一匹のイワシに向かって、突然ときの声をあげた。湿った金切り声が、空気を切り裂いてあたりに振りまかれ、やがて若鶏は真空に吸い寄せられて、すっ飛んでいった。
 その同じ日、くすんだ都会の砂漠のなかで、その若鶏が何やらボタンのことで油を絞られている姿が目撃された。(6頁)

なるほど、確かに悉く隠喩を用いて書かれていますね。最初に提示される情景を知らずに読むと何のこっちゃ分からないレベルです。
 他にも面白いのがこちら。

66・短歌
あしふみの
長きバス首
さわげども
のちのボタンは
さん=らざりけり(92頁)

これ!!!うまくないですか!!!初めて読んだ時ちょっと笑っちゃいましたもん。上の句「あしふみの長きバス首さわげども」はもとの情景のニュアンスを残しつつも、柿本人麻呂の「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」を想起させます。下の句も面白いですよね。「サン=ラザール」を用言に見立てて活用し「さん=らざりけり」ですって!すごい発想。個人的にはこれが一番好きです。わはは!

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 他にも面白いのがこちら。どういう法則で書かれているのか当ててみてくださいね。

78・らぞなぞね
 あるりふの おりるは頃 ラスブの後部レッキダで、ろうしびに 編んだりもふを巻きつけた るびきの長い れいねんしを 見かけた。られけは突然 ろなりたりゃくけるつこを踏まれたと言って ろんくまを付けはじめた。しかし れきそがあくと すぐにるわりしに行ってしまった。
 その後 ラン=ラザールシの れいしゃばち前で そのれいねんしが らかまねからロートケの ロタンベについて れっきょうしされているのを またりかけため。(104頁)※機能上の都合で、本文における傍線部をかわりに太字にしています。

タイトル「らぞなぞね」が読めれば、恐らく全文問題なく読めると思います。
 ね、面白くないですか?同じ情景が文体や言葉の使い方でこんなにも変わるんですもの。言葉の可能性を感じます。今見て頂いたのはたったの4例ですが、『文体練習』にはこの他にも98の文体が登場します。98もあるんですよ!感慨深い!ちなみにこの『文体練習』、原文はフランス語で書かれているんですが、解説によるとフランス語を学ぶ外国人の教科書として使われる事もあるようです。教科書がこの面白さなら勉強もより楽しくなりそうですね。
 ここまでざっくりと作品をご紹介してきましたが、作品の魅力は伝わったでしょうか?今ご紹介した以外にも面白い文体が沢山登場しますので、興味のある方には是非全文お読みになって頂きたいです。

 では今回の『文体練習』のご紹介はここまで。また2週間後にお会いしましょう。

「生きてるって素敵でしょ?」
案外言葉次第なのかしら。

◯書誌情報


朝比奈弘治訳、レーモン・クノー『文体練習』(朝日出版社、1996年10月31日)参照。

◯おまけ

22・語尾の類似
 ある日のお昼、バスに乗る。車が走る。くるくる回る車のなかに、軽々立ってるワルがいる。まるまる肥えてる客がぶつかる。ずるずる押される、ワル怒る。ぶるぶる震える、咎める、怒鳴る。「この猿、何する」。威張るがすぐ去る。あいてる席取る、するする座る。
 夜になる前、はるばる来ると、サル=ラザールで、またワルを見る。コートルにボタルをつける話をしてる。(25頁)
64・集合論
 昼のバスSにおいて、座っている乗客全体を集合Aとし、立っている乗客全体を集合Dとする。ある停留所において待っている人の集合はPである。その中で、このバスに乗る人の集合をCとすれば、CはPの部分集合であり、しかも座れない乗客の集合C’と空席を見つけた乗客の集合C”の和集合となる。以上のことから、集合C”が空集合であることを証明せよ。
 いかれぽんちの集合をZとし、ZとC’の共通部分を考えれば、その元はただひとつであり、{ᴢ}という形であらわされる。このzの足のうえに、y(ᴢとは異なるC’の任意の元)の足を全射することにより、元ᴢが発したことばの集合Mを導くことができる。集合C”が空集合でなくなったとすれば、C”の元はᴢのみであることを証明せよ。
 つぎに、サン=ラザール駅前の歩行者の全体を集合P’とする。ZとP’の共通部分は{ᴢ、ᴢ’}である。ᴢのコートのボタン集合をBとし、ᴢ’によって指示されたボタンつけ可能な場所の集合をB’とすれば、BからB’への単射は全単射ではないことを証明せよ。(89頁)
97・間投詞
 さて! うわあ! むっ! うう! ふうむ! ああ! ぐふっ! んっ! おおっ! ふうん! ちっ! んむっ! あいっ! はは! うっ! おい! ん! ええー! ふうーっ!
 おやっ! はあん! ふむ! ほう! へえー! よしっ!(123頁)
付録2・俳諧
バスに首さわぎてのちのぼたんかな(132頁)


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