今更ながらに、鬼滅。それと僕の実体験。
先日、遅ればせながら鬼滅の刃の遊郭編を履修完了しまして。
バトルシーンのある漫画は比較的読むのが下手くそなので、僕はアニメしか履修してないんですが。
(漫画のそういうシーン、天下一武道会で悟空の試合を目で追うのがやっとな仲間たちみたいな気分になるのよさ)
すごーく今更な感想だろうとは思うんですがね。
鬼滅って、キャラや設定や技などの表面がキャッチーで面白いだけじゃないから爆発的人気になる前からヲタクの中でも人気だったんだなって思って。
きっとたくさん人に傷ついて、そしてたくさん助けられてきた人なんだろうね。
僕も知ってる感覚。
きっと経験した人にしか描けない感覚。
それが随所にみられる。
『回復の呼吸』とか、そう呼ぶんだ?ってのが僕は個人的には面白いなって思った。
僕はその感覚、回復って思うのは危険すぎると感じてしまうけれど。
痛みを一時的に感じなくさせる、あの感覚。
頑張らなきゃいけない一時的な瞬間以外は、治療やストレッチなどの時に痛みを逃がすためのものとして僕は当たり前にやってたなって。
あぁ、あれって当たり前じゃなかったのかな?って思ったりもして。笑
熱があってフラフラふわふわしてるときも。
普段の同時に多量な情報を感知してしまう状態よりもはるかに感知量が減るから、おそらくは一般的な『必要な情報のみ』に感覚が集中して……なんだか調子が良い気分になったり、周囲も「今日いい感じだね」って褒めてもらえるくらいに高評価だったりする。
血圧も体温も普段は低いから、逆に身体が軽く感じたりもする。
だるさや痛みも、あの呼吸や感覚を使わなくても熱で鈍感になってるもんね。
他には、痛みで息が出来なかったり噎せたり。
呼吸がままならなくて視界がかすんでいったり。
気力だけ、習慣だけ。
何をもってして立ってるのか、今自分は立って仕事が出来てるのか、何も分からない状態でもその日の仕事をやりきる感覚。
体験しないときっと分からない、こういった感覚がたくさん描かれている。
僕はふと、こういった感覚を、一般のお仕事と世間の中で過ごしてきた僕が知ってることの方が変なんじゃないかって思った。
一瞬一瞬の命を削るようなshow manでも、反社のような世界でも、ベンチャーやメンターとか大きな事をやってきた人間でも、ない。
でも、確実に僕のように、それらを経験した一般人は、いる。
だからかな、有名税って言葉とか、政治や不倫や事件にキレながらのんびり飯食ってる昼休憩の食堂の雑談とか、すごく苦手。
僕は有名でも事件を起こしたわけでもないけど、その昼休憩の好き勝手な言葉はチャイムが鳴れば僕や誰かへと向けられる。
嫌いじゃないんだけどね。
あぁ平和だなって、安心するし眩しい温もりを感じるから。
ただちょっとだけ、おセンチメンタルな気分になる。
それに今は、我慢したり合わせたり言われるばかりだったりじゃなくてもいいんだって思える。
ちょっとだけ、変わることができ始めてるんだろうか…だといいな、なんて思いつつ。
それから、いい事も悪いことも交互に。
っていうけど、そんなのは本人がそう思える視座を持てるように努力してるだけだと僕は思う。
冷静になるために、自分のせいか環境のせいか考えること。
考えることを手放して、自分のせいだとか誰かのせいだとか喚くこと。
きっと他人にはその違いって伝わり難いのかもしれない。
似て非なるものだから、自分自身でもゴッチャになって自信が持てなくなりやすい。
難しいよね、すっごく。
とかく、僕は経験や体温がのった生きてる人間の感覚を感じられるところが、いいなって思ってるよっていう、そういうお話なのでした。
ほなまたね。
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