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note連続更新あえなく挫折。

これはベランダのプチトマト。日々成長。
昨日はすっかりnoteの更新を普通に忘れてまして。note連続更新は107日であっけなく終了となりました。

それでも、この不安定な日々の中で一つのささやかなタスクを課すこと、すごく良い刺激になりました。

100日で安心してしまって油断してたんですが、仕方がないので気持ちを切り替えて、今日からは思い立ったらいつでも更新するという方向に転換しようと思います。

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考えてみれば、日々は驚くほど早く流れ、意識していなければあっという間に月日が経つ。

それでも、植物は日々育ち、子供は日に日に大きくなって確実に物事は変わりゆく。日々の細々したことに追われる中、自分だけが何もしていないような気持ちになる時、焦りを感じ、その感情がどこから来るのか、わからないままでいる。

毎日の多くの時間をほとんど一人(と一匹と小さいの一人)で過ごしていると頭の中をいろんな言葉がグルグル巡り、それに疲れ果てる。言葉で考えることにはやはり限界があって、それはnoteに吐き出すとか何かにアウトプットしないと煮詰まって気持ちよくない。

そういえば、人生のいろんな幕が閉じて、ドクターで大学に戻った時、その街に友人も知り合いもいない中、ほとんど毎日、海辺に出かけて、一人で夕日が落ちるのを見ていた時期があった。ほぼ誰もいない海辺まで車で20分ほどだった。海に向かって車を止めて窓を開けると波の音が聞こえる。時々降りて座ったり歩いたり。日に日に、太陽が落ちる位置が変わり、季節は巡った。

そのころは、焦りというのは感じたことがなかった。相変わらず頭の中を言葉が巡っていて、雑念が浮かんでは消え浮かんでは消え、考えてもどうしようもないことが波のように繰り返し、打ち寄せた。

今思えば、あれは、海と一体になって色々なことが整理されていた時間ではなかったか。次に進むためには、それだけの時間が必要だった。太陽が沈んであたりが暗くなると、急に我に帰った。今はあの時間が懐かしく、特別なものに感じる。



そうだなあ、もしかしたら今も、時間が必要な時なのかもしれないなあ。

前職で受けた思わぬイジメと傷。しんどかった日々。信じられないようなことが沢山あった。そのことについて考える時間はかなり減った。もう2度と会うこともないだろう人々なので、恨む気持ちは殆どない。(いや、思い立ったら文句をそのうちここにも書くことだろう笑)

そのことと、この焦りが関係あるかはわからない。でも今、焦りを感じたとしても、それが自分の中でしっくり来るまで時間が必要だし、次に進むための大事なステップなのかもしれない。

noteは海ほどの癒しの力はないけど。波のように繰り返し浮かんで消える言葉を整理するにはまあ、一つの道具ではある。

今は海に出かけて波を眺めるほど暇ではないし。

賑やかな海だとイマイチかな。

なんの話だ。


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