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人生は持久走なのかもしれない

こないだ書いたnoteを見返したら
ふとこんなことを思いました。

"人生は持久走なのかもしれない"と。


躁のとき、もっと早く走れるんだ!と自分を過信して全速力を出します。猛ダッシュし始めます。ただ、それは長くは続きません。猛ダッシュした分だけ、動けなくなってしまいます。息が上がって、疲れて、足が止まってしまいます。あれだけ猛ダッシュしていたのに、一歩も前に進めなくなります。身体を休める時間が必要です。これがうつのときなのかな〜と。

人生という名の持久走を続けていくためには、一定のペースを保つことが大切です。少しペースが早くなったと気づいたら、速度を緩めること。この持久走は競争ではないから、周りと速さを比べる必要もないです。走らなくても、歩いてもいいです。自分のペースで、ただ一歩ずつ前に進んでいく。

躁鬱人の私は"人生を持久走ととらえること"
分かりやすいし、人生を長い目でみられて
生きやすくなります。

歩いてもいい。自分のペースで
先を見ながら持久走をしていきたいです。

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