もう少し詳しく書こうか │自己紹介③ 【双極性障害Ⅱ型】

こんにちは〜
自己紹介も3回目になりました。

さきに近況お伝えすると、休職させていただいていました。あまりにも躁がつらくて仕事にならなかったので一旦リセットするためにお休みしています。
というわけで、前回(https://note.com/souutsuolchan_11/n/na25aebc82b02)の続きで、最初の休職のお話をします。先にお伝えしますが、自○企図、未遂などの事が書かれておりますので苦手な方はUターンして頂けると助かります。



2020年9月

初診で「適応障害」との診断書をいただき、その次の日に診断書を出しに行くという超難関ダンジョンをクリアした私は無事に1ヶ月間のおやすみをいただきました。

あの頃は本当に自責の念が強く、今思い出しても笑ってしまうくらい周囲が見えていない状況でした。

(新卒でメンタルをやるなんて)
(あぁ、私の人生お先真っ暗だ)
(しんだ方がいい、いや、しぬしかない)

などなど、毎日毎日仕事が出来ない・働くことが出来ない自分を責め、同級生と比較し、出来損ないでしかないと思い続けていました。

9月末が私の誕生日なんですが、それに合わせて箱根に1人で旅行に行きました。
今なら言えますが、そこで終わりにしようとしていました。

なぜそこで踏みとどまったのかというと、
宿泊先のお兄さんがとても優しくしてくれたから
だったんです。

あの時のお兄さん、命を救ってくれてありがとう〜!

というきもちでいっぱいです。

10月に入っても相も変わらず体調は良くならず、また私自身仕事を再開できるイメージも全く浮かばず休職期間延長に。

私の場合新卒で1年未満だったので、休職期間が2ヶ月しかなく、ここで治らなければ退職という流れでした。

10月に入ると、気温もちょうど良くなり近所を散歩するようになりました。
歩いて15分くらいのところに大きい都立公園があり、よく行っていました。

2020年11月

そんなこんなで11月を迎えてしまい、とうとう私は休職期間満了で退職することになってしまいました。

あの時の気持ちは一生忘れません。

通知の手紙が届いたのが11月4日だったんですが、もうその頃には人生を終わらせる気満々で、
ずーーーーーーっとそれに関する記事を読み漁っていました😅😅

運命の日

⬆なんかかっこよく書いてますけど最悪な日

私が選んだ手法は、ODです。なんか最近若者の間で流行ってるらしいですが危険ですよ⚠️

綺麗に、そして痛みなく逝ける方法はこれかなと思い選びました。
結果はまあ、これを書いてるので生きてはいるんですが

割と生死は彷徨えたので、やる気と根性があれば可能性はあります。

ただ、痛みもなかったですが本当に苦しかったです。あの生きるのが苦しかったとかいう方じゃなくて、内臓的に(?)苦しかった。

誤嚥性肺炎を起こしてそれでいきかけました。
3日は意識無かったし、ICUに1週間入ってましたし、隣の爺さんとかは2階から落っこちて運ばれてきて普通に息絶えてました。

一般病棟に移ったのは入院して7日後。でもまだ食道が腫れてて、経管栄養しか入れられませんでした。

その時のご飯⬇

鼻からチューブ入れて胃に直接入るのに、なんか甘い香りがして美味しいなと思っていたごはん。(画像引用:ネスレ栄養ネット)

病棟に移動してから、リハビリが始まりました。

え?なんの?とお思いかと思いますが、23歳の私もさすがに1週間寝たきりだったので、
"廃用症候群"になり歩けなくなっていたため、リハビリが必要でした。

廃用症候群とは過度に安静にすることや、活動性が低下したことによる身体に生じた様々な状態をさします。
ベッドで長期に安静にした場合には、疾患の経過の裏で生理的な変化として以下の「廃用症候群の症状の種類」に示すような症状が起こり得ます。病気になれば、安静にして、寝ていることがごく自然な行動ですが、このことを長く続けると、廃用症候群を引き起こしてしまいます。

健康長寿ネット

結局、退院まで杖なしでは歩けないまま退院しました。

その後

ここからはニート生活の始まりです。
特記する事項もないので飛ばします。εε=(((((ノ・ω・)ノ

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集