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Work Life Balanceはいかにして始まり、後に終わったか

当時は姫路勤務で、こんなに子どももおらず(今や4・2・1歳の三兄妹がいる)年末年始は岡山と横浜の実家を妻と2人でハシゴしていたから、2014年末2015年初のことだったと思う。ちなみに一番上はお腹にいた。横浜の実家で、日頃見ないテレビを見ていたら(片山家には2009年からテレビがない)何となくある正月特番を見る流れになった。今でもやっているのだろうか。海外に単身赴任しているお父さんに、子どもたちが旅をしてサプライズで会いに行く「はじめてのおつかい」的な番組。本当に何の気なしに見ていたが、時間が経つに連れ、よくわからない違和感が出てきて、1家族だけ見てチャンネルを変えてしまった事があった。対して岡山の両親はこう言う感動モノが大好きで、この時も母から
「あんた、あのテレビを見よんかな。ええ話じゃなあ。あんたもこれから親になるんじゃけえ、子どものために精一杯働かんといけんのよ。」
みたいな感じのメッセージが来た。天邪鬼であり、実際に違和感を持っていた私は、
「あの番組は好きじゃないんよ。物凄くええ話の様にテレビじゃから作るけど、偉いのはあんな良い子に育てたお母さん。たまたまそれができただけで、多くの場合は子どもが難しくなったり、お父さんが羽伸ばしすぎたり、お母さんがお父さんのグチを日常的に子どもに漏らしたり、色々起こってうまくいかんものじゃろう。特にこの子らは大きくなってるからまだええけど(姉弟の中学の制服を見せに行く旅だった)、俺みたいに赤ちゃんがこれから産まれるのに『より働け』は性に合わんわ。」
などと返信したと思う。あられもない返信に母は
「そんなもんかなあ。時代じゃなあ。」
今考えても年老いた母に随分な仕打ちである。お母さんごめんなさい。
後に無事長男が生まれ(そう言えばこの時、妊娠が分かってから生まれるまで願掛けして禁酒していた)、岡山から両親が横浜へ来てくれた。両親は元々子どもが大好きな人たちで、何なら私たちより喜んでいた様子だったが、この時少し不思議な光景を目にする。私の父も妻の父も、新生児抱っこを遠慮するのである。理由は同じで「首が座ってないのが怖い」と(ちなみに下2人は2人とも最初からガッツリ抱っこできていた)。おばあちゃん2人が同じことを言う。
「おじいちゃんは首が座ってない自分の子どもを抱っこしてないもんなあ」
なるほど、それは怖いものかも知れない。
高度経済成長期を支えた私の父世代は、家族に豊かな暮らしをさせるため、正に身を粉にして働いた。家庭は、子どもたちは母が守っていた。便益を効率よく最大化させるために分業を行っている。至極当然の判断である。そして、その当の本人たちでさえ、もう気がついていた。その種の分業では、今や便益は最大化しない。便益の意味が、金銭だけでは無くなったのである。むしろ極端な分業、期間の長い分業は、価値観の分断を引き起こす。人間の特質は「経験から学ぶ」である。ある経験から、意図していなくても、他方にとってネガティブな事も学んでしまう。夫婦間、家族間で分断された価値観は、不和を引き起こし、大なり小なり崩壊を招く。仕事人、家庭人、同じ人が異なる役割をきちんと担う社会(平野啓一郎さんが言ってた『分人』か)が既に到来しているのが現代である。
と、ここまでは散々言われてきた事で、今さら異論が挟まる話ではなさそう。いわゆるWork Life Balance の話に集約されがちだ。長男が生まれた後、私も意気揚々とWLBの実践の世界へと踏み出した。
ちなみに私は三人姉兄の一番下。10も離れているので、4人の甥姪は全員赤ちゃん時代面倒見た事がある。新生児抱っこも、オムツ換えもある程度はできるところからのスタートだ。ところがやってみて分かるのは、思った以上にタスクが母親に偏るのである。そもそもおっぱいを飲ませないと張ってしまい、果ては乳腺炎という病気になってしまう。3時間ごとに起きて授乳するのしんどそう、と思っても、しばらくはそうせざるを得ない(早々に混合にしたが、それでも6時間開けると痛くて目が醒めるそうだ)。また、母親になると赤ちゃんの声に敏感になるそうで、夜は特にちょっと泣けば起きて対応している。私は起きる事が出来ない。家事にしてみても、洗濯の大部分は昼の間にせざるを得ない。夜にまとめると、まず服のストックが間に合わないし、一度に干せないし、乾かなかったらアウトだ。申し訳ないなと思いながらも、結局妻に頼っている事になっている。
そして、そうしながら働いてみると、何とも制約が大きい。家の朝の時間を出勤時間に合わせると、結局手取り足取り動かす事になり、子どもが自立していかない。それに加えてグズったりオムツ交換直後にウンチしたり、雨降っていたり、途中コケたり。大人の時間に合わせて動かす相手ではないのが赤ちゃんである。結構な頻度で「ご迷惑おかけします」「申し訳ありません」を繰り返す。まあ実際そうなんだけども、そもそも子育ては謝る事ではないはずだ。今の一般的な働き方は、赤ちゃんの、人の曖昧さを排除する様な、非人間的なモノなんだと、満員電車にのりながらも学んだ。
その様な感じで、WLBを前提にいろいろ考えたハズだが、WorkもLifeもイマイチになってしまう。働くって何だろう、バランス取るって何だろうと悶々とする毎日。働き方改革って、WorkとLifeのトレードオフが選択肢として許されるって事なのか?24時間の時間配分をLife寄りに設定すると、必然的に仕事に割く時間は減る。生産性を上げると言っても、上げたところで評価は同じ。Work Life Balanceじゃない!Work & Lifeだ!という主張も聞かれるが、そんな汎用性低い事流布するメディアは信用できない。
ある朝、保育園に行く洋服の着替えがなかなか自分でできない息子を見て、ハタと気がついた。彼は今できないんじゃなく、やらなくても良いんだと。何故なら自分の時間ではなく、私や妻の時間を生きているから。生まれた時から、息子には息子の時間がある。それを容易に奪うことが親にはできる。分かっていてやってしまうなら最悪まだしも、知らないうちにそうしてしまうリスクの大きさは認知すべきだ。
うまくいくか分からないけど、Work と Lifeを切り分けて考えるのを止めよう。仕事が子育てに子育てが仕事に循環するような、ストーリーを作ろう。
そうイメージして、新たなWorkを目指し始める。考えるべきは時間の問題ではなく、ストーリーの問題。妻と私は当時2人とも公文に勤めていたが、2つの同じストーリーは必要無いように思えた。私のやりたい事。活かせる力。それは社会から価値付けが高い力とも言い換えられるが、それは何なんだろう。棚卸ししながら、働く事に関して考えを進めていた。
という事で、私が転職した理由の4つ目はこうなる。

④もっと私が働く事と家族とともに生きる事を近づけたかった。

考えは進む。じゃあ私は何がしたいんだろう。大学院で散々問いかけられた、志は?その話無しに、働く事と生きる事は重ならない。悩みながらも歩を進める先に、リディラバが見えてきたのは、2019年に入った後の事である。

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