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戦後75年 沖縄で平和の尊さを考える旅 | 南部戦跡を巡るモデルコース vol.12

#沖縄南部 #戦跡巡り #モデルコース #沖縄戦

★スタート★


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①第32軍司令部壕跡(首里城公園)

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https://www.naha-contentsdb.jp/spot/652
(那覇市観光資源データベースより)

首里城は沖縄のシンボル的な存在。琉球国王の居城となると同時に、琉球の政治・外交・文化の中心として栄えました。2019年10月31日、火災により正殿などが焼失しましたが、それ以前にも過去に4回焼失した歴史があります。そのうちの1回が1945年の沖縄戦です。沖縄の守備隊として創設された第32軍は首里城の地下に司令部壕を構築しました。その後、南部撤退が決定される1945年の5月末まで、沖縄戦における日本軍の軍事的中心となりました。首里城を南北に横断するように掘られた総延長1kmを超える壕には、牛島司令官や長勇参謀長らの幹部をはじめ、1000人以上の兵士がいたと言われています。首里城は米軍の攻撃により壊滅状態になりました。現在内部は崩落の危険などがあるため、一般公開はされておらず、龍潭池のそばにある入口だけを見学することが出来ます。

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ホームページ:https://www.naha-contentsdb.jp/spot/652
住所:沖縄県那覇市首里金城町1-2
最寄りのバス停:首里城前 または 首里城公園入口


↓ 移動(25分)
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②旧海軍司令部壕

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http://kaigungou.ocvb.or.jp/
(旧海軍司令部壕ホームページより)

沖縄戦時、小禄飛行場(現:那覇空港)を守るため、飛行場を南東から見下ろす丘に構築されたのが旧海軍司令部壕です。約3,000名が設営にあたり、工事のほとんどがつるはしなどを用いた手作業で行われ、1944年12月に完成しました。海軍司令部壕は最高軍事機密であったため、民間人は近づくことすら許されず、工事は軍の手のみによって行われました。現在は約450mの壕内のうち300mが公開されており、手掘りで掘った跡や壁に残る手りゅう弾の弾痕、大田司令官がいた作戦室など、戦時中の様子が今もそのまま残されています。資料館も併設されており、沖縄戦の概要を説明したパネルの他、武器や軍服、水筒や手紙といった遺品も展示されています。

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ホームページ:http://kaigungou.ocvb.or.jp/
住所:沖縄県豊見城市字豊見城236番地
最寄りのバス停:宇栄原団地前



↓ 移動(30分)
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③クラシンウジョウ壕

無題

クラシンウジョウは戦前は琉球王尚巴志の三男であった具志頭按司のお墓があった場所であると伝えられています。沖縄戦では日本軍の陣地壕として利用されました。琉球石灰外の深い谷に入口があり、内部は自然のガマに人工の壕が掘られた珍しい構造になっています。クラシンウジョウを民間人が使用した記録はなく、ここで戦死者は出ていないと伝えられています。現在は人の手が付けられていないため壕内は真っ暗ですが、保存状態がいいため、現在でも地域の人々の拝みの場になっている他、映画の撮影などにも使われています。

※入壕にはNPO法人自然体験学校へのご予約が必要です(有料)。ご予約の無い入壕、土地への立ち入りは「私有地への無断侵入」となります。

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住所:沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭
最寄りのバス停:具志頭売店前


↓ 移動(15分)
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④バックナー中将慰霊碑

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1945年6月18日に沖縄戦攻略部隊のアメリカ第10軍司令官サイモン・B・バックナー中将が戦死しました。慰霊碑がある、糸満市真栄里の高台で戦闘を視察している際、近くに着弾した日本軍の砲弾の破片(または爆発によって吹き飛ばされた岩の欠片)が胸に当たり死亡したと言われています。これはアメリカ軍史上、敵軍の攻撃によって戦死した軍人の中で最高位の階級を持つ軍人の戦死と言われています。バックナー中将の死後、米軍の攻撃は無差別化し、よち一層激しくなりました。当初遺体は沖縄に埋葬されましたが、戦後に、故郷ケンタッキー州のフランクフォート墓地へ改葬されています。現在の慰霊碑は1975年6月に沖縄県慰霊奉賛会により建立されたものです。

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ホームページ:
http://www.city.itoman.lg.jp/kankou-navi/docs-kankou/2013022300131/
住所: 沖縄県糸満市真栄里615
最寄りのバス停:南部病院前 または 県営新垣団地入口


↓ 移動(10分)
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⑤平和祈念公園

沖縄では今から75年前、住民を巻き込んだ悲惨な戦争が行われました。糸満市にある平和祈念公園は、米軍に追い詰められた日本軍が最後に辿り着いた地。那覇空港からは車で約30分ほどです。東京ドームおよそ8個分にもなる広い公園内は、各都道府県の沖縄戦による戦没者の名が刻まれた「平和の礎」をはじめ、多くの慰霊碑があり、平和を祈る特別な場所です。公園内にある平和祈念資料館には、戦時中の写真や遺品が展示されており、戦争の悲惨さを知ることが出来ます。多くの修学旅行生が平和学習を行う場所でもあります。沖縄旅行に訪れた際には、ぜひ訪れてほしいスポットのひとつです。

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ホームページ:http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/index.html
住所:沖縄県糸満市字摩文仁444番地
最寄りのバス停:平和祈念堂入口


※バスはルートはダイヤの都合上、最適な経路として「徒歩」が表示されることがあります。

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