「澤」2024.05

「澤」2024年5月号の主宰作品、季語練習帖、潺潺集、澤集から特に惹かれた10句を選び、1~2文の鑑賞を付しました。

電気通せば鳴る電熱器手をあたたむ/小澤實「有為の奥山」
「電熱器」は暖房の子季語と解せばよいでしょう。「電気通せば鳴る」なる措辞からは古ぼけた電熱器のありようが思われると同時に、おそらくひとりであろう主体のかすかな孤独感も感じられます。

ざらざらと鳴るトランシーバー春野きて/中村麻
人の声が入っていなくても雑音が聞こえる類のトランシーバーなのでしょう。「ざらざらと」と上五を字余りにすることで、春の野の広がりが思われます。

うすらひを踏み長女われゆけるなり/野崎海芋
子どもの頃の回想の句とも取れそうですが、掲出句の主体は大人であってほしい。「長女われゆけるなり」の断定は力強く、不安はありつつも長女としての自覚でもって自分を励ましつつ、前に進もうとする主体が思われます。

水のにほひスキーヤー等とすれ違へば/大堀柔
理知的に取れば雪や汗の匂いなのかもしれませんが、「水のにほひ」と書かれるとこのスキーヤーたちが水の精霊であるかのような不思議な印象が立ちあがります。ふと振り返ると彼ら彼女らはすでに遠くまで滑り去っているようです。

畑中の雑木一本鳥交る/小日向美春
春の畑のあかるさ。「一本」の一語で句の景がはっきりすると同時に韻律も引き締まりました。

人去りて畳匂へる雛かな/東徳門百合子
〈雛の間よ背広吊すも飯食ふも/岸本尚毅『舜』〉とあるように、雛人形を飾った部屋はどこかふだんとは違う雰囲気を得ます。それはつまり雛人形の視線を常に感じるということだと思うのですが、掲出句はそのかすかな違和感を無人の畳の匂いでもって形象化しました。

よく嚙めば肉よろこぶやヒヤシンス/村越敦
噛めば噛むほど出てくる肉のうまみを喜んでいるのは主体の方に違いないわけですが、「肉よろこぶや」からは噛まれることを身をよじって喜んでいる〈肉〉の像が一瞬だけ浮かびます。その虚像と呼応するヒヤシンスの赤さが地味にグロテスクです。

落第やチャーハンの上の紅生姜/馬場尚美
落第した本人の視点と解釈しました。この紅生姜は熱々のチャーハンの湯気のなかにあってなおさら鮮やかな赤色をしているはずで、であればなおさら落第の実感が身に迫って来るようです。

アボカドの種より太く芽吹きたり/深井十日
木が芽吹くことがこの季語の本意ではとは思いつつ、「太く」から立ち上がる生命力、それを見ている主体のよろこびは春の気分に適っているように思われます。〈言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ/俵万智〉を思ってもよいかもしれません。

哺乳瓶濯ぐ夜更けや猫の恋/赤岩覺
シンプルな作りながら季題が効いているように思われるのは、哺乳瓶の「乳」の字が猫の恋と響きあうからでしょう。赤子が眠った夜更け、恋猫の鳴き声を聞きながら哺乳瓶を奥まで丁寧に洗っています。