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飯田龍太『定本 百戸の谿』

『百戸の谿』は飯田龍太(1920年~2007年)の第一句集で、龍太34歳までの作品をまとめたものです(『飯田龍太全句集』略年譜より)。定本は1976年に編まれたもので、その際句の並びが逆年順から順年に改められ、一部の句への加筆と句の追加も行われました。

本句集には山村での生活を背景に書かれたであろう句が多くあり、それらの作品の伸びやかな呼吸にまずは惹きつけられました。

かりがねに夜霧をながす嶺幾重(昭和二十五年)
 
 壽郎・蕗村・晩童・正洲等とまねかれて宗秋庵に
満月のゆたかに近し花いちご(昭和二十七年)
露草も露のちからの花ひらく(昭和二十七年)
天つつぬけに木犀と豚にほふ(昭和二十七年)

まずは自然を詠んだ句から。どの句も山村の自然が格調高く詠まれています。四句目の豚は野生ではなく村民に飼われている家畜でしょうが、それでも〈天つつぬけに〉なる措辞は山村の秋の気持ちよさを十全に伝えます。

梅白しかくしやくとして読書癖(昭和二十三年以前)
寒の水ごくごく飲んで畑に去る(昭和二十四年)
山つつじ照る只中に田を墾【ひら】く(昭和二十八年)
熟柿いくつも食ふ百姓の冬ふかし(昭和二十八年)

村民を詠んだ句も、それぞれ題材に取られた人々の人柄がなんとなく見えてきそうで読んでいて楽しいです。一句目、自分は白髪のお年寄りを想像しますが、白梅の清潔感と〈かくしやく〉が元気さをうかがわせます。二句目は〈ごくごく〉が良い。畑仕事へ向かう農家の方の生命感が感じられました。三句目はやや毛色が違いますが、田を新たに開墾している人々の生命感が山つつじと感応しているかのよう。四句目は〈百姓〉と書いたことで、この百姓の方がどこかユーモラスに見えてきます。

そうした山村の句に交じり、〈露の村恋ふても友のすくなしや(昭和二十六年)〉〈闇暑しことに隣家をおもふとき(昭和二十七年)〉など鬱屈したような句もときおり見られます。しかし、この句集のトーンを形作っているのは、主体のいきいきとした気持ちが叙景とともに読者に差し出される、以下のような句群だと思います。

萌えつきし多摩ほとりなる暮春かな(昭和二十年以前)
近径の夜風と虫につつまれて(昭和二十五年)
夕空の春のみどりも食事前(昭和二十七年)
春いまは野にたつ風も身に添へり(昭和二十七年)

二句目の〈つつまれて〉や四句目の〈身に添へり〉に象徴的なように、これらの句の主体は周囲の自然に包み込まれ、それに清潔な安らぎを覚えているようです。『百戸の谿』は青春の抒情に満ち満ちていると評されることが多い(たとえば『飯田龍太全句集』の井上康明による解説など)ですが、この抒情を下支えし、句集全体に通底しているのは、自然に囲まれた安らぎの感覚なのではないかと思います。

さいごに、これまでに触れられなかった大好きな句を。

春の鳶寄りわかれては高みつつ(昭和二十三年以前)

〈寄りわかれては高みつつ〉のゆるやかでのびのびとした韻律がすばらしい。この自然に感応してもたらされる伸びやかな詩情こそ、前期龍太句の源泉となっているのではないでしょうか。

なお、引用句の表記は飯田龍太『定本 百戸の谿』(牧羊社、1976年)によりました。また、飯田龍太『飯田龍太全句集』(角川ソフィア文庫、2020年)も参照しています。