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守ろうとしたもの、『彼女』の面影 【全長版】

※この小説は上リンクの「逆噴射小説大賞2021」への応募作品の全長版になります。


【守ろうとしたもの、『彼女』の面影】

「やめ……ゴホッ、お願いです、やめてください」

 懇願への返答は、バットでの頬への一撃だった。

「ふざけてんじゃねっぞオメェ、さっきからワケ判んねぇことばっかうめいてヨォ」

 椅子に縛られた中年の男を見下ろしながら、フードをかけた赤いパーカーの男は右腕の肘先から生えたバットを引き戻す。

 ……引き戻しながら、長さ数十センチのバットのような『それ』はミキミキと低い音を立て、本来の右腕の形に戻っていった。

「オメェが最近うろちょろしてたヤロォだってぇーのはわかってんだからなこっちはヨォ、アァ?聞いてんのか」

 灰色の濃淡と黒い影しか映らないサッシの不透明なガラスの外からは、わずかな雨音が響いてくる。
 薄暗い部屋の中でフードの男の顔は黒いマスクをつけて判然としない。ただその中でも赤く光る両の瞳が、縛られた男を見下ろしていることは確かだった。

「……がう、違う、私は家族を、助けるんだ……」
「アァ?」
「ごめん……お父さんは、お前達家族を、助けなきゃ……いけないのに、こんな所で」
「まだワケ判んねぇこといってんのかオメェ!」

 フードの男は再び右腕をバット様に変え、縛られた男の頬を殴りつけた。

**

(ごめんね大橋君。こんなこと、君がやる筈じゃないのに)
(『異形者狩り』は元々俺達がやる仕事ですよ。それに貴女がこんな状況だと知ったら、俺には見過ごせません。それが今の俺としての、貴女へのけじめです)
(ごめん、ごめんね……本当に……)
(……泣かないでください。貴女も、貴女の家族も俺がきっと守ります)

『かまたー、蒲田、終点です』

 ……大橋飛鳥は目を覚まし、急いで駅のホームに降りた。僅かの間だったがうたた寝していたらしい。夢の内容を反芻し、改めて今日の仕事を確かめる。
 事前調査で例の男は周辺にいる事は確認している。後は潜伏場所の候補の中から絞り込んで『狩る』だけだ。
 飛鳥はスマホを取り出し、待ち合わせ相手に電話をかけた。

「おかけになった電話は電波の届かない所にあるか……」

「……間垣さん?」

**

 縛られた椅子ごと倒れた男の足元には、壊された携帯電話が転がっていた。

「クッソ、結構頑丈だなコイツ」
「……み、明美、僕はきっと君を助けるよ、そうすればまた、家族で一緒に」
「まだワケ判んねぇこといってんのかオメェ!」

 フードの男はまた右腕をバット様に変え、縛られた男の顔面をしたたかに打ち付けた。
 縛られた男の顔面は既に瞼も頬も唇も腫れ上がり、恐らく服の内側も同様に痣だらけだろう。骨も数本折れているかも知れない。だがそれでもこの男は縛られた時と変わらない言葉をぶつぶつと呻き続けている。
 フードの男は、倒れた男のジャケットの胸ポケットから何か紙のようなものが覗いたのに気が付き、それをおもむろに取り上げた。

「やめ、それは……明美」

 それはポラロイド写真であり、男と裸の女が映っていた。

「返して、それは妻の」
「こんなのが、家族の写真だってかよ?」

 フードの男は不快そうに目を細め、写真を握りつぶして足元に放った。そしてさらにバット様の右手でさらに二度、三度、何度となく縛られた男を殴りつける。そして大降りに降りかかり、叩きつけた。

「ゴホッ……返して……写真」
「なんでだよ、どうすんだよクソ……結構おもきしいったぞ、気絶くらいしろよ、なんでこんな頑丈なんだよ……
 どうすんだよ、今殺すのは面倒だし……やっぱ誰か呼んでこなきゃダメかよコレ……」

 何度打ち据えても尚様子が変わらないことにフードの男が不安な様子を見せ、どこかに連絡を取り出したのを、縛られた男は腫れ上がった瞼の奥から黒く虚ろな目で静かに見ていた。

「……なんだ、何見てんだ、何だその目はヨォ」

 フードの男はさらに不快そうに目を細め、さらにバット様の右手でさらに何度となく縛られた男を殴りつけた。

**

 駅の外は俄かに雨が降り出し、空気が湿気を孕み始めていた。
 飛鳥はアーケードを通り抜けながら、スマホで目的地の候補をピックアップする。間垣とは本来ならば待ち合わせ場所で合流し、相手の潜伏場所に一つずつ探りを入れる予定だった。こちらからの連絡に返答が無いということは相手に感づかれ、返答できる状況ではない可能性が高い。俺を待たずに勝手に先行したか。奴の性分的にそうした行動をとる可能性は織り込んではいたが。

「ここから一番近いのは……この家か、走れば5分もないな」

 アプリを閉じにわかに駆け出す。この仕事はこれ以上長引かせる気はなかった。調査で相手にもう背後関係はないのはわかっている、今日で片を付ける。

 ……飛鳥にとって、彼女はかけがえのない人間であることは間違いがない。

 両親を喪ったことで、『異形者』との戦いを願い組織に参加した彼に戦うための技術と思考と観察力を教えてくれた。
 彼女を一人の女性として見始めた彼の心をすくい、一人の男性として接し、受け入れてくれた。
 幾つかの戦いのあと、互いの心がすくいきれないと気づき始めたときも、努めて今まで通り接しようとしてくれた。

 それは、お互いの心を余計に鋤くばかりで、長続きはしなかったが。

(やっぱり、大橋君だよね。いつぶりかな)

 再会は偶然だった。最後に別れてから久しく、彼女はその時にはもう戦いからも、組織からも離れようとしていた。

 二度と会うことはないと思っていた。

 最早お互いの生きてきた世界も、見てきたものも大きく隔たれてしまった。別れた後の時間と比べればほんのわずかの邂逅でも、お互いの心の拠り所もはっきり違ってしまった、と理解させられた。だが、それでも彼女の笑う面影には昔の面影が残っており……その顔を曇らせる原因に少なからず自分に関わりがあるならば、自分に何もしない理由などなかった。

 未練などではない。これが今の飛鳥自身の在り方だ。

**

「だから本当に、止めてください……私は家族を、守らなきゃ」
「クッソ、いい加減にしやがれよ、まだ意識あんのかよコイツは……」

 フードの男はゼイゼイと肩で息をしながら、縛られて横たわる男を赤く輝く目で見下ろす。今は両腕が棍棒のように形が変わり、その先には殴り付けた時に付いた血のあとがわずかに黒くにじんでいるだろう。

「私はまだ……家族を、明美、きっと……」
「まだわめいてやがる……!」

 フードの男が表情を歪ませ棍棒様の右腕を振りかざした、その時!

「間垣ィッ!」

 部屋の扉の向こうで何かが倒れた激しい衝撃音と、続けて名前を呼ぶ声が響いた。程なく部屋の扉が勢いよく蹴破られ、灰色のコートの男……大橋飛鳥が踏み込んできた。

「間垣さん!」

「オーハシさぁん!すんません!手ェわずらわしちまって」

「そういうのはいい!ソイツから離れろ!後は俺がやる!」

「大橋……?あいつ……?」

 フードの男・間垣は、連絡により自分達のいた家屋に駆けつけた大橋に気を取られ、縛り付けた男から目を離してしまっていた。
 だから自分の右腕が何かに触られたと気づいた次の瞬間には、床に顔面から叩き伏せられ、背中をどっしと踏みつけられていた。

「アッ、ガ?!」

「そうかぁ~ッ、お前か!全部お前の差し金か!!
 このクソを後でブチ殺して逃げようとは思っていたがなァ、そうかお前が最初から仕組んでいたことか!」

「ご挨拶だな、どうあれお前が連中の最後の一人だ。こっちは最初から逃がすつもりはない!」

「アッ……ファッ……?」

 間垣は大橋飛鳥が回り込みながら左手を前に出し、腰だめに構えを取るのを見て、続いてどうに顔を起こし自分を踏みにじる相手を見ようとする。
 先ほどまで椅子に縛られていた冴えない雰囲気の中年男だったはずが、今は全身が大きく膨れ上がり、節くれだった間接からはしゅうしゅうと何かを吹き出す様な音をあげている。そしてその両の瞳は、薄暗い部屋の中でもはっきりとわかる程に赤々と輝いていた。

「こいつも……異形者かよッ……」

「間垣から足をどけろ」

「私はまだ死なない……幸せが約束されている……妻を、お腹の子供を守る!取り戻す!お前が明美を隠したんだな!あの時あそこにいたからなぁ!明美を、子供を返せ!!」

「彼女の名前は!明美なんかじゃあねぇ!
 この恋愛妄想者が!!」

「五月蝿ァいッ!!」

 男の全身が更に膨張し、両の瞳もより強く赤く輝きだす。間垣も大橋も、直後に致命かつ最大の攻撃が放たれると察知した。

「オーハシさん!」「死ねェッ!!」「グェッ」

 男の両腕が唸り、飛びかかる大蛇の如く飛鳥を狙う。その大蛇の顎が飛鳥の体を捉えようとした瞬間、カッと見開いた彼の両目が、鮮やかに青く輝いた。

「刺(シッ)!!」

 どかん、と男の巨体が後ろの壁に叩き付けられ、そのままその場に尻からずるずると崩れ落ちた。両目と喉……首筋は抉られてブスブスと焦げ付き、やがてその巨体もメキメキと低い音をたてて元の中年男の姿に戻りだした。

「……大したことなかったか。間垣さん、大丈夫ですか」

 先ほどまであの男の立っていた場所には飛鳥の姿があり、床に倒れたままの間垣を助け起こした。その瞳は既に本来の黒い色に……いや、部屋の中の僅かな光をはらんで二、三度きらきらと青くきらめいた。

「ゲホッ、ヒデェっすよオーハシさん、あいつ全身強化変異型じゃないすか、オレ腕だけっすよ、死んでたらどうすんすか」
「だから今日は合流してからやるって話だったんですけどね。電話の電源切ってなけりゃあもっと早く来られましたし。そもそも、なんで勝手に一人で動いたんですか」
「だって駅付いたらすぐそいつ見つけたからさぁ!追いかけてきゃなんとかなると思ったんすけど、あんなんだったなんてオレ聞いてなかったし」

 相変わらずこういう態度だ。もっとも仮に突出して死ぬようなことがあっても特に問題が無い、捨て石のつもりで飛鳥自身も間垣を呼んでいるところがあるのは確かだった。
 間垣の弁解を聞き流しながら、飛鳥は床に落ちた写真に気付き、おもむろに拾い上げた。

「これは?この写真は」
「そいつがもってたヤツっすよ。妻の写真とか言ってたけどンなわけねぇですって、どこのデリ嬢っすかそれ」

 拾い上げた写真は、あの男とほとんど裸のどこぞのストリップ嬢のツーショットのポラロイド写真であり、ペンで撮った日付と嬢の名前が入っていた。
 写っていた女は、明かに彼女ではなかった。
 飛鳥は壁にもたれかかった男の死体を眺めた。既にその全身は元の中年男の姿に戻っていたが、飛鳥が付けた両目と首の傷痕は黒々と残っていた。
 ここ暫くの間飛鳥が追い続けた敵の中で、最後に残ったのがこの男だった。彼女……かっての飛鳥の想い人・アオに異様な執着を示したのは完全な予想外だったが、その結果この男の所在を割り出すのが楽になった面もあった。
 この男は何を見ていたのだろうか?自分の命を狙う相手に追われながら妄執に歪んだ世界でどんな物事が見え、どんな思いでアオを追いかけたのだろうか。両目を抉られこと切れたこの死体はもはや何も語らないし、何も覚えていないだろう。

 飛鳥はそこで考えを切った。

(同情してもいい、だが敵に共感はするな)
(共感できる敵は、自分の頭の中で作った都合のいい幻想だ)

 それはかってアオから教えられた戦うための思考の一つだった。
 取り敢えず仕事は、戦いは終わった。

「会社の処理班を呼んだからそれまで待ちましょう。
 間垣さんは一緒に拾ってもらって帰って下さい。今日の分は月末に振り込みますんで」
「え、取っ払いじゃなかったんすか今日」
「……聞いてなかったんですか?そっちの担当から説明有りましたよね?」

 間垣の態度に若干うんざりとしながら、飛鳥は反対側の壁にもたれて腰を下ろした。外からの雨音は聞こえなくなっていた。
 既に青い光を失った目で、サッシの不透明なガラスに映る灰色の濃淡と黒い影を眺めながら、飛鳥はアオにどういう態度で報告に行くか……彼女との本当に最後の別れになるはずのその時に、自分は果たしてどういう目を、どういう顔をしているのだろうと考えていた。

【終わり】