ひとつだけ言っておきたいことは、この大衆の流行現象は、政治的イデオロギーに起因するものではないと言う事をしっかり認識して行きたい。(左翼の口調・物言いをマネしてみました)
1.筆者『不寛容な時代』について拙い頭で考えた事
■不寛容さに至らせたかった誰かの政治的工作なのか?
それを目的とした工作を達成したとしても「結果や得られる効果が不明確」だと言う事から無いと思われる。
■あらゆる種類の情報が無秩序且つ無法且つ膨大に積み重なり、それによって無意識下により感知されたことは「情報と言うモノに対する信頼性の低下」である。
◎人間情報処理、理解の限界を超えている事が一番根底にある事。
◎本来は、自分が整理して分析してそれを理解して知識として脳内に蓄積するべきなのだが、それを出来ないと言えないのは自尊心から、他人のせいにする。
◎その信頼できない情報の一部として「マスコミ」「政治・政府」も入っている。「信頼できない情報」なのでその発信元も信頼できない事になる。
「マスコミの一部としての芸能界」もその信頼性を失っている。
■幼い時に、人間としての根幹である「しつけ」をされていない国民が増えた。
「しつけ」とは、集団の中での規律、他人と暮らす上で他人を不愉快にしない最低限の言動の事。
「子供の個性を生かすという」美辞麗句に惑わされてしつけをしなかった親は決して責任も取らないし、自分が報いを得る事は無い。
今どきは、事件を起こしたとしても親や家族が世間から責められる事は少なくなった事から、『世間の目』と言う概念も薄くなった。
都会で隣同士知らない人同士が住む事が好まれているから、その意味での世間と言う概念は職場や学校等の薄いコミュティーになっている。
コミュニティーが社会教育の役割を果たせなくなれば、子供をペットの如く扱う馬鹿な親が増え、その延長線上で「モンスターペアレント」が増えて来るのは必然である。
社会の目が煩わしくそのうっとうしさからの解放が現代若者の潜在的な動機となる。
現代のしつけ(日本大百科全書(ニッポニカ)「しつけ」の解説)
続く