私は音楽とともに好きだったものがある。

お芝居はほんとに好き。
特に演じるのが好き。
いろんなものになれるから。

私という人間でなくていい。

役によっていろんな設定役割がある。
それを考えて、この役だったらこういう動きをするかなぁ、こんな考え方するかなぁと

そこから実際にやって役になりきる。
演じるうえで自分の考えかただけではだめなので、演出家の声にも傾ける。

そして役を固める。

台本はとことん読み込む。
自分にその台本の世界観を落とし込む。

そして忘れる。

そう、その役で動くには一旦忘れる。


稽古中、休憩時間もその役でいることが多い。でないと役ではなく私になってしまうから・・・


だから・・・


だから・・・・・・


昔から私という人は分からない存在だったのかもしれない。



自分を見つめてなにをしたいのか・・・


不器用な自分、怖がりな自分、特に人が絡むとどうしたらいいのかわからずある程度距離が近づくと怖くなり・・・距離を・・・置く。

自分はなくてもいい。から
周りが幸せであればいい

そんななかで、どんな私でもいてもいい・・・ですか?と問いかけている私がいる。


わがままだろうか・・・


自分を許して、いいとこも悪いところもそれを全部含めて自分を・・・


重いな・・・


1度だけ自分の人生を放り投げたことがある。
その頃は旦那とも喧嘩が絶えなかった。

娘達も荒れた。


たぶん自分のなかでなにかが爆発した。
よくわからず爆発した。


だから最近とても戸惑う。
それを許してくれた場所があるから・・・


演技している方が楽しい。
音を聞いて奏でる方が楽しい。


でも、自分の価値観、自分軸を知りたい。


言葉が出てくるまで、静かにときを過ごしたい。そう、思うときがあってもいいでしょうか・・・


放り投げたって事は忘れたと同じ。
そのとき大きなものを手放したのかもしれない。


今、それがまた新しい形となって入ってきてる。


私という人間は変わらない。それでいいんだと、間違ってないといわれている感じがする。


なにを拾い集めているんだろう・・・


私という舞台は始まったばかりかもしれない。




のん






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