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なぜ発信をするのか
2022年になりました。2020年末から始めたnoteですが、昨年はチョコチョコと記事を書いて少しずつ「スキ」をもらえた一年でした^ ^今年もよろしくお願いします^^
今回は、自分が「発信」をする理由を書こうと思います。昨年の一年で内面的に大きく変わったのは、自分の意見や考えを公私共に「発信」していくようになったことです^ ^(特にカスハラ問題は、公私問わず叫び続けた一年でした)
2021年は、note以外にも自身のTwitterやFacebookを活用して意見や主張などを発信していました。
また、職場でも自身の考えや主義主張はどんどんと発信していくことを強めました。今の職場はそういったことに理解を示してもらえているのが幸いし、「自分の考えを出していく」ことは格段に増えました^ - ^
「なぜこんなに発信するようになったのだ?」以前友人にも聞かれたことがあります。
その理由は、「意見・考えは発信しないと誰にも伝わらないし、理解してもらえない」と感じるようになったからです。仕事もプライベートも社会問題も、自分はこう考えていると自説や持論があったとしても、それは言わない限り誰にも伝わりません。また、普段から発信になれていないと、「自分の考えが言える時」にも十分に伝えるのが難しくなったりしてしまうと思います。
自分という人間の主義主張を理解してもらうには、待っていても永遠に無理で、自分から言うしかないのです。それを昨年は痛感し、だからこそ発信を強めていったのです^^仕事でもプライベートでも、人間関係において「自分のことを理解してもらっていない」ことは決して得にならないと気付いたのです。
もちろん、こういう発信に良い顔をしない人もいるのは事実です。「言ったってどうにもならない。」「そんなこと言う暇あれば目の前の仕事に集中しろ」こう言う考えの人もいます。しかし、一方で自分の考えや主義主張に理解を示してくれる人もいました。
自分から発信しない限り、誰も好き好んで自分を理解しようとはしません。人間誰しも、他人にそこまで興味や関心を持って生きていないものです。「この人はどういう人なんだろう?」なんて考えてくれると思ったら大間違いです。大抵は理解しようとしません。中には残念ながら理解力が不足していて、勘違いで誤った見方をする人さえもいます。
だからこそ、自分をぶつけていくのです。「自分はこういう人間です。それで好感持てるなら仲良くしましょう、合わないと思うならさようなら。」「去るもの追わず、来るもの拒まず。自分を理解して判断したならそれでよし」
「人間関係をある意味割り切って、自分というボールを相手に全力投球する」悔いのないキャッチボールをしていくことを心がけ、それによってスッキリする自分に気づいたのです。それに気づいた時、自分のストレスは大きく軽減されました^^
器用な生き方ではないのですが、それが自分にとって楽な生き方と気付きました。「発信」という行為はその生き方の一環なのです。
去年は、その「真理」に辿り着いた有意義な一年だったと思います^ ^もしかしたら、この「真理」はおそらくnoteをやっている人皆が持っているものなのかもしれません。今年もこの真理を追求して、いろんなことを書いていこうと思います^^
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