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結婚って何のためにするのかな?

2022年6月20日。

大阪地裁の判決。

「憲法24条1項、13条に基づいて同性間で婚姻をするについての自由が保障されているとは認められないから、同性間の婚姻を認めていない民法及び戸籍法の諸規定(本件諸規定)が憲法24条1項、13条に違反するとは認められない。」(判決文より引用)

僕は法律に詳しくもないし、婚姻の平等を求める裁判に直接協力しているわけでもないので、このことについて書くべきか迷いました。

でも、せっかくnoteを「備忘録」のように使っているから。

いつかの自分のために、ちょっとだけ今日の気持ちをここに書き記しておこうと思って。


うーん。結論から言えば、ちょっとがっかり、かな。

初めてこういった裁判の判決が出たのが、2021年3月17日の札幌地裁判決。この時は、憲法14条「法の下の平等」には反するという判決が示されたので、今回の判決にも少しだけ期待していました。

もちろん、同性婚が不可能である今の状況が「正しい」と決定づけたわけではないと思います。
「憲法24条1項が異性間の婚姻のみを定めているからといって、同性間の婚姻又はこれに準ずる制度を構築することを禁止する趣旨であるとまで解すべきではない。」(判決文より引用)
と、新たな制度の構築についての可能性は示されています。それに、今回の判決は各地で起こされている訴訟の一つにすぎません。高裁の判決だってあります。

もっとも、恋人もパートナーもいない今の僕にとって、結婚なんて夢のまた夢という感じ。だから、以前からそこまで結婚に対する強い気持ちはなかったのです。

でも、ここ半年くらい、YouTubeで同性カップルの日常を発信されている人に出会ったり、twitterを始めて同性カップルを目にするようになったりして、僕の意識は少し変わったかもしれません。

自分にとっては遠い話だけど、自分と同じように同性を好きになる人の中に、結婚の平等を求めている人がいる。

そう考えると、結婚の平等を求めていくことに意義があるのだろうと。

でも、そもそも結婚って何のためにするのでしょう?
法的な根拠をもった関係として様々な権利や責任が伴っています。
無機質な言い方をすれば契約…なのかな。

「2)ア 人類には、男女が共同で生活を営み、自然生殖により子が生まれることにより子孫を残し、次世代へと承継してきた実態が歴史的・伝統的に存在しており、婚姻制度は、このような関係に対し、社会の自然かつ基礎的な集団単位として識別、公示する機能を持たせ、法的保護を与えるものである。このような婚姻制度の趣旨は、我が国で法律婚が定められた明治民法から現行民法に受け継がれ、歴史的、伝統的に社会に定着し、社会的承認を得ている。よって、その趣旨には合理性がある。」(判決文より引用)

と判決文には書いてあって、「子が生まれる」ことがやはり大事なの?って思ってしまいます。
(自然生殖とか、共同で生活を営み、とかも現代には必ずしも適合しないですよね。これって本当に「社会的承認を得ている」のでしょうか?)

僕は大学で生物を学んでいて、「確かにそれはそうかもな」と思う所はあります。でも、聞いた話ではヒト以外の種でも、同性の「つがい」のような関係は確認されているらしい。それに、「生物の世界ってそれほど厳密でもないな」とも感じます。だから、生物をやっているヒトとして、同性愛に対して「自然の摂理に反する」とか言うヒトの意見には全く賛成できません。

生物と絡めた話は長くなりそうだから、またの機会に。

さて、ちょっと気持ちを書き記すつもりが、勢いでたくさん書いてしまいました。


まとめると…

今日のニュースを見て感じたのは、
「選挙に行こう。政策をよく読んで。」
ということでした。司法判断も必要ですが、結局のところ、立法が動かなければ制度は変わらないと思います。

7月には参議院選挙があります。
今回の件だけではありません。教育、医療、安全保障、社会保障、環境、労働…挙げるときりがありませんが、色々な課題があります。

僕にとっては3回目の選挙。今までも投票には行っていましたが、今日改めて、自分に与えられた一票を大切にしたいと感じました。

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