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桜井さんの気持ちが知りたくて沖縄に行った話

はじめに

突然ですがMr.Childrenの話。
タイトルの桜井さんとは、Mr.Childrenの桜井和寿さんのこと。
僕はMr.Childrenが大好きです。

小学生の時、家で見つけた親父のカセットテープ。当時(?)流行った曲がいくつか入っていました。
海援隊の「スタートライン」
福山雅治「HELLO」
ドリカム「サンキュ」
SMAP「俺たちに明日はある」
なんかがあったかな。

その中に入っていたのが、僕の人生を変えた曲(?)Mr.Childrenの「名もなき詩」でした。

心地よいメロディと、心に響く歌詞、そして何より魅力的な歌声。僕はミスチルを知り、そして大好きになりました。

その後、単に親の趣味なのか、お願いして買ってもらったのか覚えてないですが家にあったアルバム「BOLERO」をよく聴いていました。

そのまま「ミスチル好き」は変わらず、高校生になった僕は授業と部活で「和太鼓」に出会います。

高校時代はレッズの結果を確認しつつ、ミスチルを聴きながら、そして太鼓部の活動に精を出していました。
部長まで務めることになる太鼓部では本当に多くの経験をしました。
依頼を受けて人前で演奏したり、300人のホールを借りてチケットを売って自主公演をしたり。

細かいことは端折ります(興味があったら言って下さい笑)が、色々あって僕はその部活のOB達が立ち上げた太鼓集団に入ります。
そして数年後、「全国ツアーをやる」という企画が進行する中、偉い人と揉めて辞めます笑

ここまでが前提です。
では本編スタート。


20代前半の頃。人生を賭けて挑んでいた(つもりでいた)太鼓ですが、勢いで辞めてしまい悩んでいました。
でも太鼓(というか和楽器全般)自体を辞めたくはなかった。
色々考えてもできることは限られています。
そこから数ヶ月、これまでの活動で出会った人たちに連絡を取り、色々な場所に出向き練習をしました。教えることもあれば勉強になることもありました。毎週浦和から吹上に通っていた時期もありました。
楽しくも辛い時期ではありました。

レッズも苦しい時期でした。
短いが確かにあった「黄金期」を過ぎ、ミシャ就任前の時期。残留争いをし、決勝まで行ったリーグカップも負けてしまいます。

その頃、僕はある曲を知ります。
それがたまたま見つけて買ったシングル「NOT FOUND」のカップリング曲「1999年、夏、沖縄」でした。

1999年、夏、沖縄

「僕が初めて沖縄に行った時…」から始まるこの曲は、それまで僕がミスチルに感じていた「楽しさ」「カッコよさ」「大人の恋愛」「ダーク」等のイメージとは違ったものでした。
これを読んで頂いてる方でMr.Childrenが好きな人がいたら、知っている曲でしょう。それくらいファンにはメジャーだと思います。
ファンではない人、もしくは好きだけど「この曲は聴いたことないよ!」って人いたらまずは聴いてみて下さい。

この歌詞がどこまで実体験に基づいているかは知りませんが、歌は94年に初めて沖縄に行った時の思い出から語りかけるように進行していきます。
サビではまるでサラリーマンになったかのような

「生まれた場所を離れ 夢からも遠くそれて
あぁ僕はどこへ辿り着くのだろう
今日も電車に揺られ 車窓に映る顔は
そうほんのちょっとくたびれているけれど」

というもし桜井さんが歌手にならなかったら?と思わせるような一文。

2番になると、「大人」になっていくことによる日常の悩みや新たな発見、そしてこの先変わらず歳を取っていく中「ちっぽけな僕に何ができるのか?」という悩みにも希望にも感じるような歌詞が出てきます。

「時の流れは速く もう三十なのだけれど
あぁ僕に何が残せると言うのだろう
変わっていったモノと 今だ変わらぬモノが
あぁ 良くも悪くもいっぱいあるけれど」

そしてラストに向かうサビ前からの部分。

「そして99年夏の沖縄で
取りあえず僕らの旅もまた終わり
愛する人たちと 愛してくれた人たちと
世界一の酒を飲み交わしたのです」

「最後の曲が終わり 音がなり止んだ時
あぁ僕はそこで何を思ったのだろう
選んだ路とはいえ 時に険しくもあり
些細なことで僕らは泣き笑う」

ここで大きく衝撃を受けました。
この曲は、99年のミスチルが行ったツアーを歌っていて、「僕らの旅」というのは99年幕張からスタートし、夏の沖縄で終わったツアーのことを指しています。

上記オフシャルサイトより引用

歌詞全体を見ると「夢に敗れたサラリーマンが苦労しながらも日常を生きる」ようにも捉えられ、実際「なんで超売れっ子歌手なのに俺たちの気持ちが分かるんだ!」みたいな感想も目にしたことがあるんですが、この部分は違う。

「最後の曲が終わり、音が鳴り止んだ時」に何を思ったのか、それを桜井さんは覚えてないと言うのです。そして、それを体験できる人ってのは決して多くはない。
僕は(全くジャンルは違うが)一応人前で披露する音楽をやっている。そして以前所属していて「突然」辞めてきたグループは全国ツアーを計画し、その最終地点は沖縄。

「もしかしたら桜井さんと同じ気持ちを(5%くらい)味わえるかもしれない」

あまり悩みませんでした。啖呵を切った偉い人、中心になってやってる先輩、他メンバー…順番に頭を下げ、復帰させてもらいました。
ツアーに参加できました。
沖縄にも行けました。
(※ここも長いので端折ります。興味を持ってくれた方いたら言って下さい)

沖縄の「ガンガラーの谷」という場所で、僕の旅は終わりました。

でもやっぱり、「最後の音が鳴り止んだ時」のことは覚えていないんです。
いや、感情を上手く表現できないと言った方が正しいかもしれません。
とにかく「素晴らしい経験をした」ということだけは言えます。でも「こう思った」とは言えない。

ここからは想像でしかないのですが、桜井さんが感じたのも同じく「なんとも言えない感情」なのかもしれません。
もしかしたら、その「時」を味わいたくて活動を続けているのかもしれません。
事実「最後の曲が終わる。音が鳴り止んだ時、僕はそこで何を思うのだろう?」とライブでは歌詞を少し変えそれを楽しみにしているように感じます。

この歌を歌う時、桜井さんは年齢を重ねるごとに「もう三十後半」「もう四十を超えた」と絶えず今の自分に置き換え、それでいてずっと「僕に何が残せるというのだろう」と言い続けています。

「桜井さんの気持ちが知りたい」なんておこがましいけど、でも「僕にもなにかできるかもしれない」そう思い続けて僕も生きて行きたいです。

長くなりましたが、最後まで読んで頂いた皆さんが何か前向きな気持ちになれたら嬉しいです。

Mr.Childrenは全曲好きですが、この曲は個人的にとても大切な曲。
もし知らない人がいたら知るきっかけになったらそれも嬉しいです。

お付き合いありがとうございました。


あとがき

少しレッズの話を。
みなさん優勝した時の感情覚えてます?
僕は、「最高だった!」というつまらない一言でしか説明できないんです。

2007年、リーグ最終戦。
あの試合が終わった後の気持ちは言えるんです。
もちろん一言で「悔しい」なんですが、怒りや自分の中の何か黒い感情が沸いてしょうがなかったような記憶があります。

2017年、ACL決勝。
あの忌まわしい(笑)記憶から10年も最近ですが、僕はこの試合の優勝した瞬間の記憶があまりない。ライオンキングのシンバのように、産まれたばかりの娘を掲げた記憶しかないんです。

もちろん人による…というか僕が忘れっぽいだけかもしれません。
でも上手く言語化できないあの「最高の感情」、それをまた味わいたくチームを応援し続けているのかもしれません。

皆さんはどうですか?

とりあえず
浦和レッズも
Mr.Childrenも
僕の人生。ありがとう!

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