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ラジオ始めました:私のやりたい演劇

突然ですが、ラジオ始めました
劇団ヘコキリスという演劇ユニットをやっているのですが、その相方であるひるまはること二人で、ラジオ好きが高じて番組を作りました。

劇団ヘコキリスpresents「ちひろとはるこのホワイトマッシュルーム」rec.1
https://m.youtube.com/watch?v=uFI1o-K4IK4&feature=youtu.be


【各種ポッドキャストでも配信中】
Anchor https://anchor.fm/gekidan-hecokiris
Spotify https://open.spotify.com/show/063aF7AofVE118vPnhvxCY
Google Podcasts https://www.google.com/podcasts?feed=aHR0cHM6Ly9hbmNob3IuZm0vcy8xYzkxNzJmOC9wb2RjYXN0L3Jzcw==
RadioPublic https://radiopublic.com/-8glj3p
Breaker https://www.breaker.audio/tihirotoharukonohowaitomatusiyurumu
PocketCasts https://pca.st/lh3pqpji
後日、iTunes Podcastsでも配信予定

楽しくお喋りして、好きな映画や舞台について熱く語ってます。どうぞ作業のお供に聞き流してやってください。
ラジオの醍醐味、リスナーとの交流もバシバシ深めていきたいと思っておりますので、よろしければこちらからおたより頂けましたら幸いです。

☆おたより大募集中!
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Twitterハッシュタグ #ちはマッシュ
※その他お問い合わせはこちら
メールアドレス:hecokiris@gmail.com


バシバシ取り上げさせていただきます。

私はラジオ台本や全体の構成などを担当しました。すなわち放送作家もやれますお仕事ください(唐突)
BGMは基本フリーのものを使わせてもらってますが、ジングルや一部のBGMはひるまはるこが担当しています。全体の音源編集も彼女が担当していますお仕事ください(唐突2)

なぜ急にラジオなのか。
番組内でも少しだけ触れておりますが、演劇を生業としていた人々はYouTubeへの参入や、リモート演劇等、この状況でもどうにか「演劇」を作るためにもがいています。彼らの対応への早さや発想の転換にはもう尊敬しかないです。ただ、これもラジオで話した通り、顔出しが恥ずかしくてですね、私にはできないわけです。出さなければいいじゃん、って話なんですけどねぶっちゃけ、突き詰めてしまえば。

なぜラジオなのか。
演劇の次にやりたいとしたら何か、と考えた時に、ラジオだったからです。
「え?リモート演劇は?」「会議演劇とかやればいいじゃん」
言いたい気持ちとても分かります。実際言われましたし。
でも私は、それらに全く興味が引かれませんでした。
もしかして、あんなに恋焦がれた演劇に、興味が無くなったのか?と恐ろしくなりました。そんで色々考えたんですけど、って話です。

私のやりたい演劇
リモート演劇、会議演劇、よっしゃやるか、書いてみるか。だって演劇したいもん、よし、書こう。嫌だけど。嫌だけど演劇やりたいし、リモート演劇、やりたくないけど、YouTubeで演劇、遠隔で稽古、え、まじでやりたくない、やりたくないけど、…あれ?やりたくないことやろうとしてるね私。あれれれれ?
…そうなんです。
私のやりたい演劇は、私の好きな演劇は、劇場であるいはカフェなどで、お客様と対峙して、言葉を感情を投げかける行為だったのでした。
そして、やりたいことはそれだけだったのです。
むしろ、リモート演劇はやりたくないことでした。リモートになった途端、興味が失せました。代替案、分かっています。代替案としてでもやりたくないことでした。
「戯曲があって」「演出があって」「役者がいて」でも、「距離があって」「画面越しで」「お客さんが目の前にいない」。そしたらもう私がやりたいことではなくなってしまうんですね。自分自身、不思議だなあって思いました。リモート演劇、という呼び方に違和感を感じながらも、そんなに今まで私たちがやってきたこととは変わらないんじゃないか、と私も思ってました。でも、やっぱり、全然違うんですよ。

演劇を続けるために、我慢してやりたくない演劇をやる?

一個前の記事でさんざん言いましたが、生きていくために演劇やりたい、という言葉には、精神的に救われるという意味が含まれている。我慢してやる時点で、違うんですよ、私が生きていくためにやろうと思っていた演劇と。

私の書く演劇はいわゆるストレートプレイで、場面転換が無いこともしばしば、舞台美術も写実的なものが多いです。
これラジオの二回目にまた詳しく話したいと思っているのですが(ちょいちょい宣伝を挟むスタイル)、ヤスミナ・レザ原作、ロマン・ポランスキー監督「おとなのけんか」を観て「こんな芝居を書きたい」と思ってから、私は「役者が席に着いて向かい合って話すだけで全然動かないのに面白い」、主にそんな作品を目指して書いてきました。
だからむしろ最初、リモート演劇や会議演劇って自分の作風的にも適してるんじゃないかと思いました。
でも、違った。私は、身体は動いていないのに、セリフと、声色とか、微妙な表情とか、間とか、空気感とかで感情を表現したいと思って、この作風でやっていこうと思ったんです。だから、リモートは、無理なんです。

「そんなん分かってるわ私らだってこれがやりたくてやってるわけじゃない」って声が聞こえてきそうです。否定しているわけではないことを、理解してほしいです。本気で凄いと思ってるんです、それができることを。でも私はその流れに乗れない、それだけです。我慢して演劇やりたくない。やれない。これで追い詰められたら私は演劇嫌いになる。演劇嫌いになったらいよいよ生きられない。

でも周りの特に私と同世代の若手作家・演出家・役者たちがどんどん新しい手法を試していく。この流れに乗れない=もう演劇をやる資格はない、勝手にそんな風に思い悩んでしまって本当にしんどかった。
そんななか読んで救われたのが、老舗劇団・扉座の主宰、横内さんのブログでした。一部抜粋しますが、ぜひリンク飛んで全文読んでみてください。

横内謙介Diary「初めての公演中止に思う」
https://www.tobiraza.co.jp/blog/entry-993.html


 稽古場に集まって稽古して、劇場に人を集めて、唾飛ばして笑い合い、涙という名の体液を流して貰うのが、私たちの営みである。
 そんなお触れに従って、演劇が成立するはずがない。少なくとも、私たちが愛して来たスタイルの演劇においては。

 このネット社会、違う表現手段もあるだろう。そこに変換してゆけと言う意見は正しいのかもしれない。でも、物心ついて以来、それを愛して40年やって来た。ネット演劇の可能性は次の世代の人たちに託したい。私は、そういう延命措置を断り、生身の人間たちが集まり、集める、伝統的劇場に殉じて、この演劇人生を閉ざしたいと思う。

40年間演劇界を引っ張ってくださっている大重鎮の言葉をお借りするのは本当に恐縮なのですが、「そうか、これでいいんだ」と思わせてもらえて、安心してしまって、世の中がこうなってから初めて泣きました。

だから、私はリモート演劇はやりません。そして多分、観ないと思います。
朗読やミニドラマ、映画は観ます。あと、上演された演劇を録画したものの配信は観ます。
これから世の中がどうなるか分からないけれど、もし稽古が出来るようになって、劇場が使えるようになって、でもお客様は呼べないので生配信します、っていうのも観ると思います。
「基準分かんねーよ!」って声も聞こえてきそうだけどそんなん私だって分かんねーよ。でも今の私はこんな感じです。そして、これでいいんだって、思っています。

じゃあ何やる?って話
一個前の記事でずぶ凹みした様を晒しましたけど、主にあの時は、大好きな演劇に対する世間からのバッシングを見て辛さが爆発、どんどん楽しみにしていた観劇予定が無くなっていった悲しみが爆発、そんな感じだったのですが、今また少しずつ不安の方向が変わりつつあります。

気付けば前回の記事から1ヶ月近く経っているのですね。そしてもう一つ、たまたま気が付いたのですが、私が最後に観劇した日がちょうど今から1ヶ月前の今日でした。さいたま芸術劇場にて「ART」を。大大大傑作でした。奇しくもヤスミナ・レザの作品です。

1ヶ月丸々芝居を観ないなんて、会社員として馬車馬のように働いていたあの頃ぶりかもしれません。演劇づくりの現場に入っているときは忙しくて観劇はしなくなりますが、それでも稽古場で毎日演劇を観ていたわけで。
でもじゃあ我慢できないのか、って言われたら、ぶっちゃけ我慢できている状況です。致し方ないし。でも、これがいつまで続くのか、来年再来年まで続く見込みという話も出ている。

ようは、「ここから数年演劇無しでどうやって生きていくか」考えるフェーズに入ってしまったということなんです。

補償を求め続けるのはもちろんのことなのですが、とにかく、いよいよ、もう「出来ない」「観れない」という現実を受け止めなくちゃいけない。演劇で生きて行こうって気持ちでいたけど、私がやりたい演劇が出来るまでどうやって生きていくか。
お金を稼いで物理的に生きていく方法を考えるのはもちろん、精神的な支えも見つけなければいけない。
伝統芸能に長く携わっていらした方が、運送業のアルバイトを始めたというニュースを見て戦慄した。でもそういうことなのだ。

そんなわけで、ラジオを始めたのでした。
演劇が出来ない今、やりたい事は何かと考えたら、ラジオでした。ラジオ好きなんです。それは演劇の代替案ってわけではなくて、今ぽっかり時間が出来て、新しく始めるなら何かって感覚で始めました。
だから、演劇が出来るようになっても続けたいし、クオリティも上げていきたい。ラジオは私にとって「やりたいこと」でした。
演劇が出来るようになった時のために、戯曲の執筆もしっかりやっていきたい。けど、私、追い詰められないと書けないタイプだから…きついんですけど、頑張ります。。。
あと最近小説も書けてなかったから、それも頑張ります。頑張りますしか言ってない…。これからどうなるのか、どうなっていくのか分からないけど、文芸ショーレースはまだ生きているっぽいので、自分を追い詰める意味でも。文字を書くことは、今も昔も変わらず癒しです。
あといい加減英語だね。英語英語。うぉーーー。
観劇に使う予算が浮くので、その分ほしかった映画や舞台のDVDにも積極的に手を出していきたい。これがむしろ私にとってのこれからの観劇方法になっていくのだろうなって思っています。

もちろん仕事につなげていけたらと思うけれど、ここまで書いたのは精神的な支えの部分。物理的に今すぐにでもお金稼ぐ方法を見つけていかなくてはいけない。
幸いひとつ、リモートのアルバイトをさせてもらえそうなので、まずは頑張ります。そこもなのですが、どうせお金稼ぐなら、どうせ時間を使うなら、人の役に立ちたいと思うようになりました。困っている人を助けられる仕事を見つけてやっていけたらと思っています。

どんなに泣きわめいても、しばらくは演劇から離れることになるのだと、覚悟が出来ました。そして無理矢理いまこの状況でやりたくない演劇にすがる必要もないと開き直れました。この数年で自分がどんな価値観を持つことになるのか、どんな生活を送ることになるのか、怖さもありますが、楽しみでもあります。書き手の考え方というのは、こういう時に便利です。全部ネタにしてやる精神で、生き延びます。

最後に、先述した横内さんのブログと同じくらい、最近元気づけられたステージナタリーさんの記事を共有して締めくくりたいと思います。ありがたいことにシリーズもののようです。次の記事も心待ちにしています。

劇作家、演出家、俳優、ダンサー、プロデューサーたちが語る
──長い眠りについた劇場、そして舞台人たちの思い

https://natalie.mu/stage/column/376094

もう前を向いている人、もがいている人、悲しんでいる人、、いろいろな気持ちの人がいて、その気持ちもまた常に変化していく。私は一旦、立ち止まることにしました。翌月にはまた、変わっているかもしれないけど、それはそれで良い。
どうか皆様、どうか、お元気で。

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