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noteとの向き合い方を考える。

久しぶりの記録。

なぜか怖いくらいnoteと向き合うことができなくなっていた。

あれほどブレブレな私を、あれほど整わせてくれていたnote。

今なぜ、このモードに入っているのか、自分でもよくわかっていない。

ただ言えるのは、「日々をあまり振り返らなくなった」ということ。

ぴぃのこと、自分のこと、日々を記録することで、自分達のことを認められるようになったし、どこかで誰かにこんなケースもあると知ってもらえる。

ただその一方で、変化や進化がその都度ないといけないような、そんな囚われも持つようになっていた。

自分が思ったような変化や進化が感じれられないことに、ジレンマも感じるようになっていた。

noteを始めてから一年で、毎日投稿から自分のペースを守るための五月雨投稿に切り替えた。

ただ、記録しようと思う時は決まってうまくいっていない時で、このペースではうまくいかないことばかりが記録されることになっていく気がした。

なんか違うな、とぼんやり思いはじめた。

ぼんやりしたままふと気づくと、日々をあまり振り返らなくなっていた。


「日々をあまり振り返らなくなった」ってことで何が変わったか。

起きていることに何かしらの意味を見つけようとしなくなった。

意味はあるんだとして、それが何かを考えることに疲れた。

いいことも、悪いことも、生きている限り必ずある。

ただそれだけのことなんだと、あえて自分の中にぼんやりとさせている。

ぴぃが不登校になってから、こんな境地になったことは初めてで、うまく言えないけど、悪くない日々にも感じている。

もしかしたら、ある意味ではようやく私は整ったのかもしれない。

この日常が、ようやくちゃんと当たり前になったような。

とはいえ、ぴぃへの思いも、自分を大事にすることも忘れていない。

ぴぃの成長や進化もたくさん感じられている。

相変わらず、お母さんをやめたいと思ったこともそれなりにあるし、久しぶりにめちゃくちゃ腹立つこともあった。

その都度「noteに記録しておこう」と瞬間的に思うも、次の瞬間には生きていればいろんなことがあるなぁ・・・とぼんやりする。


最近よく、何を知らせるでもなくnoteアプリに通知がくる。

note側に「忘れていませんかー?」と言われてるようで、もう一度、noteとの向き合い方を考える。

一つだけ捨てきれないもの。

このnoteでの大切な人たちとの出会い。

たくさん救われたし、たくさん勇気づけられて、たくさん心強い気持ちにさせてもらったご恩がありすぎる。

やっぱり経過だけでも記録していこう。

成長や進化を記すためだけのものでもなく、誰かのためと思いすぎることなく、未来の自分のために。

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