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3.一つ一つがもどかしい日々

初めての児童精神科。

最初にかかったお硬めのお医者さんに比べたら、雰囲気のいい女医さん。

雰囲気はいいのだけど、人肌を感じないというか、

お医者さんにはよくある、患者に寄り添いすぎないというか。

でも、相手が児童でもそうなのかと、少し残念な気がした。

WISC(ウィスク)というものをこの時初めて知った。

結果からいうと、よくわからなかった。

発達に障害があるとも、発達グレーゾーンですとも、

だから強迫性障害なんです、とも言われず、

娘の情報処理能力にこんな特徴があると言われただけで、

それが治療にどう活かされていくという説明もないままだった。

最初の2、3回の診察はお母さんだけで来てください。と言われた。

ぴぃを治してほしいのに、私だけで行かなきゃいけないのがもどかしいし。

行くと必ずお母さん自身もしっかり病院にかかってくださいと言われることも情けない。

どうにかして欲しいとひたすら泣く私にあきれてたんだと思う。

ぴぃの治療方針は、前の病院で処方されていた薬を継続したまま、

少しずつ別の薬にすり替えましょうということになった。

別の薬がどんな薬かって説明も、おいおいみたいなニュアンスで、

お医者さんがこの時期にはっきりと断言したことは、

強迫性障害は治らない病気です。

学校には戻れないと思います。

ということだけだった。

ただ私は、ぴぃさえ生きていてくれればと、

お医者さんを信じて委ねるしかなかった。


8月の夏休みの間、今までにないくらい夏を満喫した。

この頃から、同じクラスのお友達が毎日のように来てくれて、

症状も落ち着いていて、ぴぃの夏はそこそこ充実していた。

そしてぴぃは、当たり前のように夏休みが明けたら学校に行くつもりでいた。

登校日は、2ヶ月半ぶりの学校に朝から行くのは緊張しすぎるからと、2時間目から行った。

まもなくして、次第に勉強の遅れを感じるようになり、1週間に1、2度の五月雨登校が始まる。

この時はスクールカウンセラーとの面談には来れていて、面談後に1時間だけ教室に顔を出すみたいな程度だった。

ちょうどこのタイミングで、子供向けの認知行動療法プロジェクトが病院内で立ち上がったから参加しませんか、という連絡があった。

思ってもみなかった機会に思わず期待を膨らませた私。

でも、ほかの子供とグループになって挑むことと、

親と別になる時間があることが怖くてたまらないぴぃは拒絶する。

そして、11月上旬ごろ、

新しい薬に完全に切り替わったタイミングで、

ぴぃの不安やイライラが頻発し、症状が再燃しはじめた。

そしてすっかり学校へ行く意欲もなくなってしまった。

パパが薬が合ってないのではと疑いをもち、

病院に掛け合って、元の薬に戻しましょうということになったが、

お医者さんはその決断をあまり快く思っていなかった。

自分の判断を否定されたと感じ取ったんだと思う。

薄く笑いながら時には患者の親が治療の弊害になると言われた。

そしてこの辺りからぴぃは病院を怖がり行かなくなる。

恐らくきっともう、この時からうっすらと、このお医者さんではないのかもしれないと思い始めていた。


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