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晴れ時々曇り日記

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日々の自分、日々の気づき、不登校な娘の記録。 いいことわるいこと、晴れたり曇ったりの日々の暮らしを記録していきます。
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#不登校児の親

予想外の経験値を得た娘の校外学習

ぴぃは中学2年生の最初の行事「校外学習」へ行った。 電車で片道1時間半の観光地へ。 五月雨登校中のぴぃとはいえ、校外学習へは行くだろうと思っていた。 ぴぃが望むクラスメイトとの学校行事だし、しおりの表紙は自分が描いたイラストが採用されてるし、お土産屋さんが大好きなぴぃ。 行けるか行かないかで悩みもしないと思っていた。 校外学習の何日か前に、担任の先生より「学校側としては万全の対策を考えていますが、念の為お母さんも一緒に来てもらえませんか?」と言われた。 それを言わ

怖いから腫れ物扱いしたんじゃない

なるべく大きなぶつかり合いは避けてきた。 現在中学2年生の娘、不安が強く、敏感で繊細な娘は、思春期真っ只中。 今のところ、私が恐れていた「荒れる思春期」というところにはまだ突入していないらしい。 振り返ると、ぴぃが小学校3年生の冬から4年生の夏頃までが一番荒れていた。 ぴぃが強迫性障害という病に侵され、強迫観念に囚われまくっていた時期。 病気が理解できず、どう対応していいかもわからなかった私に、「何もわかってくれない」と敵意を剥き出しにし、鋭い目つきで睨みつけるぴぃ

忙しそうな不登校娘をおもしろがる母

中学2年生になったぴぃ。 春が頑張り時のぴぃは、毎年かなりのペースでエネルギーを放出し、夏休みを待たずに長いチャージ期間に突入していた。 今年のぴぃは、満足はしていないようだけど、ちゃんと自分のペースで過ごせているように感じている。 遅刻と早退を駆使して週1、2回登校し、5月からは週一回、職員と大学生と過ごす教育支援室への通所も開始した。 「学校に行きたいけど行きたくない」という、言葉では到底説明できない矛盾と格闘する日々は変わらない。 それでも、お友達や先生にお迎

不安から始まった中学2年生。

ぴぃの中学2年生が始まった。 始業式の日、ワクワクとドキドキが入り混ざったような面持ちで登校するも、残り1時間を残して早退してきたぴぃ。 ぴぃ「気疲れしたから帰ってきた。」 そして、あの心強かった一年時担任のT先生は、別のクラスの担任になったとぴぃはサラッと言った。 思わず「えっ!?」と顔が引き攣ってしまった私。 その代わり、別室教室の管理者だったO先生が担任になったと言う。 なら大丈夫か・・・・いや、それ以上にショック・・・が本音。 異動する可能性があったT先

不登校娘の中学一年生の終わらせ方。

今日、ぴぃの中学一年生が終わった。 年明けから、ぴぃなりに動き出し、週1、2回の登校のほか、 月2回の教育支援室での面談 週1回の学校支援「新しい居場所」への通所 全ては、自分が願った中学生になるために、自分で選択して、自分で決めた。 最終日は絶対に行く。 そう意気込んでいたが朝からなんだか不調気味。 離任式の後、気持ちが悪くなったからと保健室へ。 どうしてかは聞かなかったけど、泣きながら行ったとか。 その後教室に戻り、最後に先生から通知書を渡される時間。

「不登校への理解」を深めたパパ。

不登校メカニズムにはざっくり言うと初期、中期、後期というような時期があって、その長さは人それぞれ。 ただ、その時期に合わせた言葉がけや対応が大切だということを、自分なりにいくつか学んできたことがあった。 ぴぃを信じられるように、なりたい母親になれるようにと、不登校カウンセラーさんのメルマガやSNSを見て、自分なりにこれならできるをたくさん参考にした。 そのために、自分の中にあった「普通」をたくさん捨てた。 自分の気持ちをたくさん押し殺して、言いたいことも言えず、我が子

学校へ行きたい娘の新たな居場所

年末に児童精神科の先生に刺激的な言葉をくらってからのぴぃさん。 現状に打ちひしがれるどころか、自分なりに考えて、2月に入ってからは少し活動的になっている。 私たちが住んでいる地域には、「適応指導教室」というフリースクールの他に、主に引きこもりの子供たちに向けた「新しい居場所」づくりという教育支援活動を行なっている場所がある。 去年、「適応指導教室」へ見学に行くとこまで行ったが、紆余曲折あり通所失敗に終わっていた。(いまだに悔しすぎて悲しすぎて記事にもできない・・・)

やっぱり苦手な児童精神科の先生

成長も伴ってか、自分の気持ちを少しずつ言葉にできるようになったぴぃ。 親以外の第三者の大人に、自分の不安な気持ちを打ち明けられるようになってきた。 学校の先生を含め、支援してくれている大人たちはみんな味方。 ぴぃの不安を受け止めて、大丈夫と言ってくれる。 ぴぃは吐き出すことと、受け止めてもらうことで「安心」を手に入れる。 ・・・でも、 病院の先生だけは違った。 強迫性障害という診断を受けた時から通っている児童精神科の先生。 少しでも胸の内を言おうものなら、現実

一歩じゃなくていい。半歩の半歩でいい。

新年、一発目の記事。約2ヶ月ぶり。 久しぶりにぴぃとの記録を残しておこうと思う。 中学一年生を心新たに始めたぴぃは、夏休みを待たずにエネルギーチャージモードに突入した。 それでも謎に、勉強もしていないのに夏休み明けのテストを受けに行ったり、気まぐれで登校する時もあった。 だからといって、それを自分のペースだからと満足しているわけではなく、時々訪問してくれる担任の先生に、 「毎日毎日、学校に行けていない罪悪感に押しつぶされそうです。」 と伝えていた。 満足に学校へ

夏休み明けは母も不安定になりますよ、そりゃ。

8月に入った途端に、夏休みが終わるまでのカウントダウンを欠かさなかったぴぃさん。 心が解放されるはずの夏休み、「あぁ、あと○日で夏休みが終わってしまう・・・」と言って過ごした。 だからといって、長い休みを鬱々と過ごしていた訳ではなく、楽しい行事の日は前日からウキウキワクワク過ごし、当日も全力で楽しみ、その日が終わる時ほど感傷的になった。 そして、慣れたもんで、当たり前のように宿題にはいっさい触れず、どころか目もくれず過ごした。 ただこれまでと違うのは、小学生の頃にほぼ

せっかく登校したのに、学校の先生がストライキ中!?

ぴぃさん、今週の火曜日に提出物を届けるために学校へ行った。 行きたいというよりも、6年生を送る会へ向けた、卒業生としての出し物(絵)を完成させていたから、どうしても届けたかったらしい。 月曜の夜に、いつものお友達にお迎えのお願いLINE。 私が知らない間に送られていたから、お友達のママからの連絡でぴぃの登校意欲を知る。 「え?ぴぃ明日学校行くって?」ってお友達のママに聞いてる自分、なんだかそれもおもしろい。 火曜の朝はとても苦しそうに、「行きたくないんだけどな」って

「note」出会ってくれてありがとう。

noteを始めて1年が経った。 「毎日投稿」だけを目標にして、目的とか内容とかしっかり決めないままの、ただの見切り発車だった。 目標に対してだけいうと、一日だけ時間が経つのも忘れるほど楽しい時間を過ごし、日をまたいでしまったこともあったが、それはそれで良しとしている。 続けたことにし対しては、ただただ「やっててよかった」以上の感想がない。 ただ毎日を記録するだけのもの。 思ったこと、感じたこと、許せななかったこと、受け入れたこと、やっちゃったこと、認めたこと、どんな

母子分離不安は、私のほうかも知れない。

ぴぃにお留守番を任せ、久しぶりに1人でショッピングへ。 いつもは車で行く距離を、歩いて向かう。 というのも、最近下半身についたお肉が重い。 なるべく定期的に歩いてはいるものの、なかなか落ちない。 たぶん、その分食べているからだと思う。 年と共に代謝も落ちたから、ちょっとやそっと頑張ったぐらいじゃ落ちないお肉。 ・・・のことは置いといて。 街へ出るとついつい親子連れに目が行く。 小学生ぐらいの子だと、平日のこの時間にここにいるってことは学校を休んでいるのかな?

本当の自分の気持ちは「理解してほしい」ってことだった。

ちょっと前の私、パパとの話し合いでおさめた気持ちがあった。 残念だけどパパとの話し合いはいつも平行線。 私の気持ちを理解してもらえなくても、知っておいてもらうだけで十分だった。 ・・・はずだった。 スクールカウンセラーさんとの面談が、ほとんど意味をなさないものと改めて感じた時、私の迷いやモヤモヤはどこで解消すべきなのかわからなくなった。 先日、仕事に行く直前のパパについつボヤいてしまう。 パパ「どうせ市に雇われて来てる人間なんてそんなもんだよ。俺にもわからん。」