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晴れ時々曇り日記

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日々の自分、日々の気づき、不登校な娘の記録。 いいことわるいこと、晴れたり曇ったりの日々の暮らしを記録していきます。
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#不登校

不登校5年目の娘と私の今

なんだかドキドキする 記録しておきたいことは山ほどあったけど 少しだけnoteを開くのが怖かったりして… 新しい活動を始め 今までとは違うステージで自分なりにあり方を模索している中 誰かの言葉や 何かしらの情報に 迷ったり流されてしまいそうで怖かったのだ ただなんとなく やっぱり これからの人生の備忘録として ゆっくりと自分のペースでnoteと共にありたいと思う ・・・と 年末に下書きに残したまま はや3か月 ようやく記録再開 去年、最後にnoteに記録をした日以

2023.9.1 またまた、はじめよう私

「2021.9.1 また、はじめよう私」から2年。 4年生で不登校になった娘は、現在中学2年生。 これまで春の進級のタイミングで何度も立て直しをはかるも、夏休みを待たずに力尽き、長いエネチャーモードに入っていた娘。 今年は、春から飛ばししすぎることなく、自分のペースと、心と体のバランスを取ることを覚え、マイペース登校を継続したまま夏休みを迎えました。 今年の夏休みは、学校の係活動に専念するため何度か登校したり、1人で外出してみたり、友達と遊びに行ったりと躍動していまし

不登校娘は本来、目立ちたがり屋です。

「本当のぴぃは目立ちたがり屋だから・・・」 なんでもない会話の中で、ふとぴぃが言った。 なんとなく封印していた小学校3年生までのぴぃを、久しぶりに思い起こしてみる。 私の中で小学校3年生までのぴぃは、とにかくキラキラしていた。 1年生、2年生、3年生と担任の先生が変わったが、各担任にも「ぴぃさん、いつもキラキラしていますね。」と言われるくらいだった。 実行委員には必ず立候補して、クラス活動、班活動も意欲的なぴぃは、先生にとっても、いわゆる1人いると助かる子だった。

不登校娘の中学一年生の終わらせ方。

今日、ぴぃの中学一年生が終わった。 年明けから、ぴぃなりに動き出し、週1、2回の登校のほか、 月2回の教育支援室での面談 週1回の学校支援「新しい居場所」への通所 全ては、自分が願った中学生になるために、自分で選択して、自分で決めた。 最終日は絶対に行く。 そう意気込んでいたが朝からなんだか不調気味。 離任式の後、気持ちが悪くなったからと保健室へ。 どうしてかは聞かなかったけど、泣きながら行ったとか。 その後教室に戻り、最後に先生から通知書を渡される時間。

「不登校への理解」を深めたパパ。

不登校メカニズムにはざっくり言うと初期、中期、後期というような時期があって、その長さは人それぞれ。 ただ、その時期に合わせた言葉がけや対応が大切だということを、自分なりにいくつか学んできたことがあった。 ぴぃを信じられるように、なりたい母親になれるようにと、不登校カウンセラーさんのメルマガやSNSを見て、自分なりにこれならできるをたくさん参考にした。 そのために、自分の中にあった「普通」をたくさん捨てた。 自分の気持ちをたくさん押し殺して、言いたいことも言えず、我が子

やっぱり苦手な児童精神科の先生

成長も伴ってか、自分の気持ちを少しずつ言葉にできるようになったぴぃ。 親以外の第三者の大人に、自分の不安な気持ちを打ち明けられるようになってきた。 学校の先生を含め、支援してくれている大人たちはみんな味方。 ぴぃの不安を受け止めて、大丈夫と言ってくれる。 ぴぃは吐き出すことと、受け止めてもらうことで「安心」を手に入れる。 ・・・でも、 病院の先生だけは違った。 強迫性障害という診断を受けた時から通っている児童精神科の先生。 少しでも胸の内を言おうものなら、現実

一歩じゃなくていい。半歩の半歩でいい。

新年、一発目の記事。約2ヶ月ぶり。 久しぶりにぴぃとの記録を残しておこうと思う。 中学一年生を心新たに始めたぴぃは、夏休みを待たずにエネルギーチャージモードに突入した。 それでも謎に、勉強もしていないのに夏休み明けのテストを受けに行ったり、気まぐれで登校する時もあった。 だからといって、それを自分のペースだからと満足しているわけではなく、時々訪問してくれる担任の先生に、 「毎日毎日、学校に行けていない罪悪感に押しつぶされそうです。」 と伝えていた。 満足に学校へ

夏休み明けは母も不安定になりますよ、そりゃ。

8月に入った途端に、夏休みが終わるまでのカウントダウンを欠かさなかったぴぃさん。 心が解放されるはずの夏休み、「あぁ、あと○日で夏休みが終わってしまう・・・」と言って過ごした。 だからといって、長い休みを鬱々と過ごしていた訳ではなく、楽しい行事の日は前日からウキウキワクワク過ごし、当日も全力で楽しみ、その日が終わる時ほど感傷的になった。 そして、慣れたもんで、当たり前のように宿題にはいっさい触れず、どころか目もくれず過ごした。 ただこれまでと違うのは、小学生の頃にほぼ

記録が漫画化!?ハムスターのお母さんだった娘のお話。

ちょうど去年の今頃、自分軸を作るための勉強会の中で、我が家のエピソードを文章におこす機会をいただいた。 あくまで、その勉強会でのテーマに基づいて作成したものであったが、これも一つの記録として思い切ってnoteに投稿した。 どこかで誰かに届けばいいな、こんなケースもあると知ってもらいたいな、そんな思いだった。 私はぴぃに起こった異変、またそれが強迫性障害という病気だと知った時、まず何をどうしたらいいのか分からなかった。 今までしてきてことが何も通用しなくなって、毎日のひ

変化を期待しないで成長を見守る時とする。

ほとんど丸腰で挑んだ中間テスト。 結果は本人でさえも思っていた以上のものだった。 ただ、持っているエネルギーのすべてを注ぎこんだことで、体は見事なまでに返り討ちにあっていた。 テスト後は1週間みっちり元気に学校を休んだ。 担任の先生から連絡があり、教育相談の日に登校するよう言われ、その日は学校へ向かった。 そこでぴぃは先生といくつか話をした。 その内容を先生が電話で教えてくれた。 一つは友達のこと。 先生はぴぃがお友達と楽しそうに過ごし、うまく関われていること

不登校娘が丸腰で挑んだ初めての中間テスト。

ぴぃさんが、6月にあった2日間の中間テストに挑んでいた件。 テスト前3日間はそれまでの意気込みは影を潜め、机に向かうこともなく、学校にも行かず、ひたすら絵を描いていた。 勉強はもう分からない事ばかり、なかなか進まない、もうやめた。 そんな感じだった。 でも謎に、テストは受けると言い続けた。 当日、早起きをして緊張した面持ちで朝から登校する。 1日目は、国語と英語と社会。 「めちゃくちゃ緊張したし、何を聞いているのかさっぱり分からなかった〜」と言いながら帰ってきた

幼なじみとの関係。終わらせる?終わらせない?

しばらくnoteが書けなかった。 記したいことがたくさんあるのに、時間がないわけでもないのに、noteを開くことすらためらう日もあった。 自分探し、自分軸をつくるためにnoteを始めたわけだから、ちゃんと正直に記録しおこう。 まだまだ未熟で情けない自分も自分なのだと認めるための記録。 とはいえ、私はやっとしんどかった問題から解放されたんだと思う。 ぴぃの不登校問題からではなく、なかなかぬぐえなかった自分自身の問題から。 何度かnoteにも記録していた幼なじみ2人と

娘の心の成長と、環境の変化と、心強さ。

さて、最近のぴぃさん。 学校に行くとも行かないとも言わず、薄着でリビングに転がってYouTubeを見ながら絵を描き続ける。 中学校入学前の通常運転に戻りつつあります。 先週までは、テスト前に提出しなければいけないというワークに追われ、泣きながら机に向かう時間がわずかにあった。 勉強するということにブランクがありすぎるぴぃは、やりたくてもできない自分に苛立ってはあきらめるを何度も送り返し、結局、ワークをすすめることをやめた。 ただ、今週の木曜日と金曜日に控えた初めての

親子であっても気持ちを一つにするのは難しい。

最近のぴぃは学校をお休みすると、私の実家へ行きたがる。 私の母が1人で暮らす家には、孫達が描いた絵が階段の壁に時系列で貼られ、作品展のようになっている。 私の兄2人にもそれぞれ娘が1人ずついて、みんな絵を描くのが好きで、母は孫達の絵を大事にしてくれている。 ぴぃはそこに飾られる自分の絵を見たいし、増やしたいし、いとこ達の絵の上達も楽しみにしている。 実家に来ると、家にいる時と変わらず絵を描き続けるぴぃ。 かろうじて中学校には行けてる分、学校の話も母にたくさんするぴぃ