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ワーキングホリデーでの出来事(21~24ヶ月目、地元有名カフェベーカリーへ)

サワードウブレッドを作る経験を積んで店主のサインも頂き、背中まで押していただいた僕は、

地元で有名のカフェベーカリーへ応募します。

電気オーブンでもガスオーブンでもなく、石窯オーブンで焼くカフェベーカリーです。

求人をしていたのが数ヶ月前だったので、自分の連絡に返信くれるかな〜と願う程度の気持ちでした。

自分の願いが通じたのか、店主のサインがあったことが効果的であったのかわかりませんが、メールを送ってから、ものの数日で返信が来ました。

「ぜひ、一回話そうよ」

と。指定された日にドキドキしながらお店へ向かいました。

そして、あれよあれよと

「ヘッドベイカーさん来る日にトライアルしよっか。」
「VISA短いね。これからどうする?学生VISAに切り替える?まぁトライアルしてみよっか。」

軽く会話をして面接は終了しました。

サワードウブレッドの他にもドーナツや、マフィンなど種類豊富なお店でした。

1年間、勤めていたサワードウブレッド専門店が知り合い経由でしか当時人を雇わない方針ということもあって、
「どうやってあそこの店に忍び込んだのよ?」とオーナーさんに改めて聞かれたり、
「俺は断られたぞ、何がお前に出来たんだ?!」とヘッドベイカーさんにも問われました。

地元のカフェに卸すことが主業務だったこともあって、自分が勤めていたパン屋が有名だったこともお店を変えようと思ってみたからこそ、実感しました。

そうゆう経緯もあって、サワードウブレッドを学ばせてくれたパン屋さんには恩しかありません。

そしてトライアルの日が来ました。

緊張しつつも、ミスなく作業し終え、ヘッドベーカーの「GOOD」をいただき、新しい環境でのパン生活をスタートします!
(自分でも気がかりなVISAの問題を抱えつつ。。。)

働き出したお店で僕はサワードウブレッド専門店とは違った

カフェベーカリーでの仕事に翻弄されました。

今までは、サワードウブレッドだけに集中して業務ができたけど、
新しいお店は、サワードウブレッドに加えて、ベーグル、ドーナツ、食パン、バンズといった、カフェメニューの基盤となるパンも同時に仕込むことになります。念願だったパイも作ります。

ミートパイを仕込む私
1日の最後の作業は火おこしです。
うまく火がつけれないと翌日の釜温度に影響するので難しかったです。

サワードウブレットだけでなく、幅広いジャンルのパンを作ること時間にとても充実していました。
カフェ併設ということもあってか、キッチン内が映画でみていた光景のような血気盛んなスタッフたちの声が日中飛び交っていて、毎日夢に見た世界を体験できている気がしてとても喜びを感じていました。

ただ、心から嬉しさを感じることができていたかというと、そうではありませんでした。
スケジュール通り、体を追いつかせることで精一杯でした。

自分がパンを焼き終えないと、カフェがオープンできないし、焼き終えた後に他のスタッフがする仕込み作業全てが遅れるというプレッシャーが加わったんです。

さらに、言葉が伝わらないもどかしさも重なります。
新しい職場にも日本人のフロントスタッフさんはいらっしゃいましたが、出勤時間もポジションも違うので会話することはほとんどなく、在庫の場所や焼く微妙なタイミングについての共有確認をするのさえ、苦労しました。
(オンライン英会話も再開しました。。。)

日本人同士ならほぼありえないような、ルールに沿った上でみんなやり方がオリジナルという環境にも翻弄されました。
ヘッドベーカーとサブベーカーのスケジュールが微妙に違うんです。そして、2人はシフト上、共に仕事することはなく、僕が2人をフォローする立場でもあったので、すごく頭がこんがらがりました。
そして英語でしっかりその場で説明できない自分。。。ジェスチャーと生地を触ってもらってでしか説明もできなくてとても苦労しました。

そして、あっという間に3ヶ月が経って、

VISAの問題に直面します。

学生VISAに切り替える予定で勤めたカフェベーカリー。
日々の悩みと忙しさを打開することに精一杯で、VISAのことを考えている心の余裕がありませんでした。

学生VISAを発行してくれる学校は週5日授業ある学校や、週1日だけの学校など、さまざまありました。

僕は後者の学校を探しました。
ただ、VISAはあくまでも”学生”であり、滞在の目的も”学び”が前提であるので、学生VISAでは週働ける時間が上限20時間とも決まっていました。

週1日程度しか学校に通う必要のない学校ってなに?って母国民からしたらなりますよね?
当時コロナ禍でもなく、景気も悪くなかったので、そんな半ばグレーと思われる学校でVISAを申請して滞在している外国人やその学校に対して役所の目が厳しくなっていました。

「非常にタイミングが悪い時期です・・・」「申請しても受理されるかわかりません。」「むしろ学校も摘発されて休学となるかもしれません。」
などと言われたのを覚えています。

仕事の悩みに加えて、VISAの悩みも重なるのか。。。と心がしんどくなってました。

オーナーさんも、ヘッドベーカーさんも
「VISA大丈夫か?うまく切り替えられそうか?学生VISAになると仕事できる時間は減るのか。。。」
と心配して頂きつつも、今まで通り自分が働けないことが気がかりになっているようでした。

そして、僕は決断します。

学生VISAに切り替えず、職場を離れることを。

せっかく掴んだチャンスで成長を実感している状況で、その環境を手放すことはすごくもったいないと思う気持ちも強かったです。

けれど、働ける時間が制限される中で、今まで通りの仕事を職場が自分に与えてくれるわけがないし、自分の能力の伸びも遅くなると思ったんです。
もちろん、働く時間が減るということは、収入も減るので、今まで通りの生活を続けることは厳しくなるとも考えました。加えて、学費も払うのはどうなのかなと考えました。

そしてVISAも通るかわからないという状況。

やってみないとわからないから、やってみよう!
という気概のある自分が、
やってみないとわからないけど、やらない。
という判断になりました。

このままオーストラリアで生活を続ける決断をして、学生VISAに切り替えた後の、
お金の工面
生活習慣
未来のVISA

どれも想像できず、何も描けなかったんです。

オーストラリアに居続けて、労働VISAに切り替える?永住するのか?
学生VISAのまま、学費を支払い続けて、働く時間も限られたままオーストラリアにいる必要ってなんだろう。というか、学生VISAでいられなくなったらどうなるんだろう。と、不安で自分も押しつぶしてしまった感はありました。

悩んでるなら、ワーキングホリデーVISAの期間で一度帰国しよう。
また来たくなったら、その時に考えよう。と、思いました。

3ヶ月という短い時間になってしまいましたが、ベーグル、食パン、パイの具、ドーナツなど、サワードウ以外の仕込みも自分1人でやらせてもらえたことは奇跡としか言いようがありませんでした。
悔しさも、もどかしさもありましたが、楽しく過ごせました。

ガラス張りの工房でお客さんからも丸見えで緊張もしました。
ヘッドベーカーだったグレンさんと最後に。

最後はみんな笑顔で送り出してもくれました。英語がしっかり喋れない自分を仲間として認めてくれていたんだな。と、ホッとさせてくれました。
(このやろう、VISAの手続きできなかったな。と思われたかもしれませんが、、、、)

そして僕はこの職場を離れて、帰国の準備をすることにします。

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