ワーキングホリデーでの出来事(1〜2ヶ月目、いざ、ゴールドコーストへ)
海外へ行く。
VISAの名前の通り、ワーキングしながらホリデーを楽しむ目的で夢なら良かったんでしょうけど、
僕の目的は、
パン職人になる
でした。
総括すると、荒々しい毎日というか、何かに追われてるような、日々でした。
入国前から異常に使命感を勝手に背負ってしまい、人生で一番大事と思える、「余裕」が全くないまま、挑んでしまい、色々余裕がないが故、良いこも悪いこともたくさん起きていたと思います。
この記事では入国から、ゴールドコーストでの生活までを書きます。
先に伝えますが、2ヶ月程度での生活で、
財布を盗まれる(落とす?)、骨折疑惑という出来事が起きました。
嘘のような本当に起きたネタがたくさん自分に降り注ぎました。。。
●入国〜1ヶ月
ゴールドコーストへ到着。
熱意と勢いだけで入国しました。
↓の本だけを買ってに挑みましたが、あっさり撃沈。何をして良いかすら、わかりませんでした。。。
執筆者が偶然、ゴールドコースト在住の方で、すぐ問い合わせをしました。サポートしてくれないかと相談して、すぐ対応頂きました。
まず現地の生の情報収集が大事と言われ、語学学校に入学します。
迅速な対応にすごく感謝しました。
エージェントなんて必要ないと思っておりましたが、右も左もわからない土地、頼れるものは頼るべきです。
※意味のわからない使命感を持った自分の話を面白く思って頂いたのか、自分のことを改訂版で載せて頂きました。それがトップ画像です。
●1~2ヶ月目
語学学校では、英語での履歴書の書き方を学校で教えてもらいました。
そして、念願のパン職人を目指して、履歴書をお店に配り始めます。
結果は、
全く相手にされませんでした。
焦りました。自分の描いていた予定と全く違うからです。
大手菓子メーカーで6年働いているし、日本のキャリアを評価してくれるお店もあるはず。と日本の就職活動と勘違いしている自分がいました。
そして当時はweb経由での応募より、現地持ち込み交渉が主流でした。
なので、履歴書に目を通すのは二の次で、まずは履歴書を受け取ってもらって、その場で自分を売り込むという第一関門がありました。
自分の場合、履歴書を受け取ってもらっても、売り込み会話ができませんでした。
なぜなら、英語が喋れないからです。
学校の先生や生徒は優しく話を聞いてくれますが、現地で働くお店のスタッフなんて、会話のペースも口調も合わせてくれるわけがありません。ましては、お客ではなく、採用依頼の異国の人間とわかれば厄介者ですよね。
この通り、自分のメンタルを無駄に追い込む日々が続きます。
そして憧れのお店、ヤタラパイにも足を運びました。バスと電車を乗り継いで、2時間半。もし、受かってもどうやって通おうと思っていたんでしょうか。。。
3回お願いしに行きましたね。
1回目は、「ボスいないけど受け取るね」「メールも送ってね」
2回目は、「メール来なかった?」「今日もいないけど受け取っておくね」
3回目は、「ローカルの人じゃないと難しいかもね」「伝えておくね」
毎回愛想の良いスタッフとの会話に満足していたけど、多分、履歴書はいつも捨てられていたでしょう。メールもスルーでしょう。
途中から目的がずれてきて、遠方にわざわざ出向いている自分を褒めよう。そして、履歴書を受け取ってもらうことに達成感を感じてミートパイを食べる自分がいた気もします。。。
学校では他の生徒たちは放課後はビーチでのんびりしたり、夜飲み会やバーベキューをやると楽しんでいるのに(正しいワーキングホリデーVISAでの生活です)、自分は自転車で街中を巡り回って、撃沈する日々。
「Shoは日焼けしてるけどビーチで遊んでるの〜?たまには一緒に遊ぼうよ!」
なんて気さくに声をかけてくれる生徒さんもいましたが、
この日焼けはあてもなく履歴書を配ったチャリ激走の成果ですとも言えず。。。
貯金もある程度してきたものの、仕事が決まらないので、お金は減っていきます。
入国当初、豪快に散財していた食事もだんだん質素になっていきます。
加えて、シェアハウスでも洗濯機の回し方で揉めます。
「部屋が暑くなるから乾燥機は使うな!」と、意味わからないこと理由に部屋に怒鳴り込んでくるオーストラリア人。
嫌ならこんな外人とシェアする家に住んでないで引っ越せよ。と思いつつ、自分が英語で反論もできないのストレスを家ですら感じる日々。
そしてついに、冒頭でお伝えした
2つの出来事が起きます。
シェアハウスの階段から転けて、足の小指骨折?しました。
こちらも学校で紹介してもらった病院へ行くも、しっかり説明できず、飲み薬のみの処方。
(日本帰国後、亀裂骨折してましたと診断を受けました。。。)
こんな黄昏ていて、リラックス。と思っても、思わぬ敵が襲ってきます。
そう、ミジーです。強烈な蚊です。
日本のブヨ。と思ってください。痒くて死にます。掻くと後に残ります。最悪です。
これからオーストラリアへ向かう方は、
”ミジー オーストラリア”
と、検索して準備をしておくべきです。
話がそれましたが、足を痛めて履歴書配りの戦意も喪失しつつある日、
履歴書を書き直そうと図書館へ向かい、帰りに夕飯の食材を求めてスーパーへ行きました。
リュックのチャックが開いていることに気づきます。
そこは財布が入っていたポケット。
そうです。
財布が無い。
一次終戦でした。心が折れましたね。
焦ってモヤモヤしながら、足を痛めて、気休めに図書館向かって、ぼーっとして気が緩んでいたのでしょうか。
チャックを開けたままにしてしまっていたのか、それとも、図書館で盗まれたのか、スーパーでしれっと盗まれたのか、大事な財布が入っているポケットなのに、警戒も確認もしていなかったので、全く覚えていません。
同時に免許も失いました。
日本の免許をなくした=オーストラリアの免許に切り替えできない。
つまり、パン屋勤務に非常に重要となる足を痛恨というか、馬鹿で早速失いました。
(のちに奇跡は起きます。追って書きます。)
入国してたった2ヶ月で起こりすぎる予想外の出来事で感じます。現実は甘くなかったと。
全ては国を越えればただの人。
むしろ中年と呼ばれるような世代に片足突っ込んで、英語も喋れない外国人。という現実を突きつけられて、全て甘かったと痛感させられました。
ちょっと冷めますけど、
国を越えたら夢なんてない、その時の現実だけ、現実も自分のせい。
夢と熱意があればどうにかなると過信していた自分の甘さを反省しました。
そうは言っても、まだ滞在2ヶ月。
やれることはまだある!
大事すぎる財布と免許を失ったからこそ、開き直るしかありませんでした。帰国するにはまだ早いとケツを叩きます。
気持ちを切り替えて、VISAの期限を1年延ばすため、通称セカンドVISAの権利を得るための労働先探しを始めることにしました。
学校でセカンドVISAの労働先を知っている人はいないか聞き回りながら、少しリラックスして、学校の生徒さんたちと遊んでみたりしました。
振り返ると学校生活は楽しかったです。まさに夢遊な時間でしたね。恥ずかしささえ取っ払えば、年齢問わず和気藹々もできました。
自分は童顔?と痩せ細っていったからか、18歳だろ。と体格の良い南米系の方達によく笑われました。
そして、セカンドVISAの労働先も語学学校の友人紹介で決まりました。
なので、学校も卒業しました。
目的は忘れず、
パン職人になる
だったから。
足を止めることはしないと決めていたので。
その労働先の場所はメルボルンの田舎街。
予想を超えてたくさん起きる新しい生活がまた始まります。。。
終わりに
入国3ヶ月くらいで帰国する人はたくさんいました。
現実を突きつけられてか、ホームシックかわかりませんが、自分と同様な心の準備不足だったと思います。
これから海を渡る方、
国を越えても自分はすぐ変わりません。
筋トレと同じです。地道に経験を重ねると道が開けます。過度な期待はせず楽しむ余裕を持ってみてください。
摩訶不思議なことはたくさん起きます。
そして可能性も自分の行動と捉え方次第で大いに広がります。
と自虐的な経験を元としたアドバイスでこの記事を終わらせます。
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