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2歳の君にはもう会えない

なんて、尊い瞬間なんだろう。
顔を枕にうずめてから、ニコッとこちらを見つめる小さな顔。

消灯前に慌しくスマホで返信する手を止めたら、そんな笑顔に出会えた。

あぁ、この笑顔を見ながら眠りにおちる幸せよ。


わたしには5歳息子と2歳の娘がいる。

5歳の息子にも2歳の頃があって、
それはもう可愛かったはずなのだけど、
2歳の頃の姿は写真を見ないとその姿は鮮明に思い出せない。

あの可愛さは、もう戻ってはこない。

今、5歳である可愛さはもちろんあるのだけれど、
2歳の娘の可愛さを目にしていると、
あの2歳の君(息子)はもういないんだと、まざまざと実感させられる。


この今しか味わえない可愛さも、過多になるとイライラに変わることがあるから、「過多」の影響力はすごい。


過多と欠乏

一人時間が好きだ。
一人時間は、子育てを始める以前よりも好きになっている気がする。

でもそれは、欠乏しているから、という側面がかなりある。
要するに今のわたしにとって自由な一人時間はレア要素があるのだ。レアであり、プレミアだ。

子どもの可愛さだって、「今しかない」ことを考えればレアで、プレミアだ。

でも今というその瞬間に多く受け取りすぎていると、今という時間に集中して受け取ると、このプレミア感に気づけない。

長い時間で考えれば、一瞬でしかないこの時間を。
なぜ一点集中して受け取ると、大事にできないんだろう。

でもね、2歳の君にはもう会えないことを思い出して、涙がこみあげそうになるくらいなら、

今の君をしっかり抱きしめよう。

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