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歩いていて見える世界

面白い話を聞きました。

私は散歩が好きです。
毎日街をブラブラ歩いています。

最近は夕方に歩くようにしてます。
エジプトはやはり暑いですからね。

東南アジアにいた頃は、
昼間に歩いていました。
お陰ですっかりと日焼けしました。

顔と手は焼けてすごく真っ黒なのに、
脱ぐと体は真っ白です。
色だけ見ると部活やっている高校生みたいです。

「あなたは手や顔の色はタイ人だけど、
 体は日本人ね!」
とタイ人の女性から笑われました。

それは良いとして。。。

1時間半くらい歩くと
大体1万歩になるので、
それを目安にして当てもなく
歩いています。

その後で食事。
それから帰宅。

もうルーティーンになっています。

やはり一人旅なので、
街を歩いていると
孤独の寂しさもあります。

私はどちらかと言えば、
一人でいるのが好きで、
孤独感には強い方だと思います。

高校時代もいつも一人で
お昼ご飯を食べていましたが、
別に平気でした。

人とご飯を食べる方が
面倒臭いと思っていました。

以前、便所でお弁当を食べる高校生の
問題がニュースなどでも流れていました。

なぜ独りぼっちでご飯を食べるのが、
そんなに恥ずかしいと思うのか、
正直、全然気持ちが理解が出来なかったです。

でも、

そんな私でもやはり時には
寂しくなる時もあります。

全く知らない異国の地で、
街ゆく人たちは顔貌も違った人種。
自分とは縁もゆかりもない人たち。

孤独感は倍増されて行きます。

『自分は世界に居場所が無い』

そう感じる時もありました。

最近、仙人さんの音声を聴いていて、
面白い発想を伺いました。

仙人さんもたまに散歩をされるそうです。

私とは逆に、仙人さんは
街を歩いているだけで、
自分が世界と関わっている、
と感じるそうです。

仙人さんはかなり非常識な
ライフスタイルを実践されいます。

なので、ご自身を『社会不適合者』と
感じているそうです。

それでも、街を歩く事で、
「自分が受け入れられている。
 自分は社会の一員なんだ」
と思えてくるそうなんです。

ビックリしました。

「そういう見方もあるのか!」

私にとっては目から鱗の発想でした。

その発想で散歩をしてみると、
見ている景色も変わってきます。

遠い異国の地で、
よく訳の分からない日本人が
ブラブラと安全に歩いている。

それは社会から受け入れられている。
受け入れてくれている。
自分が存在しても良いと
言ってくれている。

別に誰かと話したりする訳でもないですが、
不思議とそう思えて来たりします。

ただ無事でいる。
ただ歩いている。
それが許されている。

すごく感謝の気持ちが
湧いて来ました。

「それは色んな歴史だったり、
 国家間の関係だったり、
 先祖や先人たちの努力の結晶なんだな。
 それを今自分は享受しているんだな」

とも思えて来ました。

ほんのちょっとした事ですが、
寂しさの感情でいた時には
見えなかったものも、
目の前に現れて来ました。

正直に言えば、
やはり寂しくなる時もまだあります。
人生はその繰り返しなのかもしれません。

寂しさも感謝も味わって楽しんで
食べたアイスキャンディーの棒を
惜しんでペロペロと舐めるように
人生を味わい尽くしましょう。

何かの参考になれば嬉しいです。

ありがとうございました。

追伸:
仙人さんのズルい所は、
筋トレだったり、ナンパだったり、
日常の下世話な話の中に
人生で大切な教えをカモフラージュしています。

だからこそ、逆に聴いてしまうんですね。

最初から高尚な話をしていたら、
確かに「自分にはちょっと早いかな」
と避けてしまいますね。

『良薬は口に苦し』

と言う言葉がありますが、
苦い薬を飲みたがる人は少ないです。

なので、

甘いシロップで味付けをして、
その中に薬を隠しているんですね。

甘い言葉で人を騙してでも
良い薬を飲ませる。
結局はそれがその人の為になる。

その徹底具合が仙人さんはすごいですね。

甘いシロップの誘惑:


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