雲仙岳の大自然と噴火による爪痕を訪ねるスタディトリップ(2022.12.4)
雲仙温泉の民宿を出て、まずは雲仙岳を望む仁田峠へ。雲仙仁田峠循環道路に入ると、間もなく海と雲と島が境目もなく見える不思議な風景が広がりました。
仁田峠第二駐車場の展望台からは、間近に平成新山が見えました。昨日とは打って変わり、流れる雲を従えた姿で聳えていました。
雲仙ロープウェイはミヤマキリシマの時期には素晴らしいと思いますが、今回は天気も悪いのでパス。
そのまま北方向へと下山し、宿で見つけた絵葉書があまりにも印象的だったので、大三東駅に向かいました。
駅を後にして、次はがまだすドームへ。雲仙の噴火災害の記念館で、世界ジオパークの拠点ともなっている場所です。
よくよく見ると、噴火による土石流によって海が埋め立てられたところに立っているようです。
雲仙の平成新山の形成とそれによる火砕流災害が、CGを使った映像で分かるようになっていて、勉強になります。ただ、せっかくなので本物の映像をもう少し使っていただいた方が、私としてはわかりやすいと思いました。
ここで初めて知ったのは、「島原大変、肥後迷惑」という江戸時代の大災害です。島原の後ろに雲仙岳の前衛のようにそびえる眉山が山体崩壊して、町を襲い、さらに発生した津波もあって1万人もの人が亡くなったということを初めて知りました。これを「島原大変」というのだそうです。さらにその津波が有明海の対岸を襲い、肥後でも5000人もの人が亡くなったという「肥後迷惑」の大惨事です。これの引き金は噴火の後に起こった地震のようですが、島原は火山活動と地溝の断層活動があるので、自然の厳しさがあるということでしょうね。
がまだすドームから近い、道の駅に隣接する土石流被災家屋保存公園へ。こちらの道の駅はなんと閉店してしまっており、公園も閉鎖中で保存工事が入っている模様。近くの観光協会の方に許可を得て中を見せていただきました。
平成の噴火では、土石流は海まで達したものの、火砕流は何度も水無川沿いを下っても海までは達しなかったようです。
さらに上流に進んで砂防みらい館へ。ここで展示のほか、希望者が見られるDVDがあり、一人でゆっくり見せていただきました。火砕流の生々しい映像が多く、とても印象的なものでした。
みらい館の地下から外に出ると、大野木場小学校跡があります。6月3日に起きた多くの犠牲者が出た大火砕流の後、9月15日の大火砕流により発生した熱風が襲って(本体ではなく)、被災した校舎です。6月の火砕流以降は使われていなかったそうです。
砂防みらい館の向かいには深江埋蔵文化財・噴火災害資料館がありました。目立たないので、素通りしてしまうところでした、ちらっと寄ってみることに。これが大当たり。
地元出身の館長さんの素晴らしい火砕流の写真、そして地質学の深い知識の解説で、1時間以上にわたって、火山災害のこと、島原半島の地史、そしてその上に生まれた文化とのかかわりなど、とても勉強になりました。
館の前から見た風景一つとっても、火砕流堆積物で作られた石垣、島原の乱以降小豆島から移住した人たちが持ち込んだ小麦、そしてその小麦から発展した島原素麺。一つの風景だけで、自然歴史を解説してくれるので、語りとしてもとても面白い館長さんでした。
話をじっくりしてしまったため、帰りの船の時間が近づいたので予定していた平成新山ネイチャーセンターへは行かないことにして、できるだけ平成新山の近いところへと、雲仙まゆやまルートへ。
名残惜しいけれど、雲仙岳山麓を後にして、島原港のターミナルへ。三池港を経由して福岡へと帰ろうと思っていたら、なんと風が強いので欠航とのこと・・・。え?
船会社の窓口で聴いてみると、高速バスもちょうど行ってしまったばかりとのこと。さて、どうしたらいいですか? と聞いたら島原鉄道に乗って諫早から西九州新幹線に乗ってくださいという。新幹線は高いなあ・・・と思っていたが、まもなく島原鉄道の発車時刻だから急いだ方が良いと言われ、あわてて帰りの切符を払い戻しし、駅まで走りました。
鉄道には疎い私としては、まさか最寄りの島原港駅が始発とは知らず。思いがけず乗りつぶすことに。
そこから諫早を経由して、予定よりも40分遅れで福岡に戻りました。
思いがけず鉄道旅ができたのも良い経験。島原1泊2日は最終的にはきちんと福岡に戻れたので良しとします。
福岡の夜は博多ラーメンでシメ。