見出し画像

共にあろうと努力すること

私はどうにも、相手を選ばず無作為に放り投げられる「馬鹿ポジティブ」な言説を
オンラインで、SNSで振り撒いている人というのが苦手です。

ライフコーチとかモチベーターとか、より良い人生クリエイターとか
なんでもいいんですけど笑、

まぁ名乗るのはタダだし
発信し続ける事で誰かの目に止まって
それをキッカケに新たなビジネスチャンスに繋げていきたいとか、願うのは
この経済基盤に常に不安が付き纏う時代に生きている、富豪以外の人で
少しコミュ力がある人なら考える事なのかもしれない。

でもそういう人が言っている事って大抵、
精神論の域を出ていないことが殆どで
薄っぺらであることが多いように見えます。

善い行い、人と共に在ることというのは
そういう押し付けがましい事ではない筈で
「色々な可能性に思い至ることが出来るかどうか」って、大事だと思うようになりました。

そのキッカケは
一時期ハマって毎日観ていた、YouTubeの
大愚和尚の一問一答というチャンネルで
釈迦尊の残した色々な教えを知ったことです。

そのひとつが「四摂法」というもの。

人との接し方に四つあり、四摂法(ししょうほう)という

第一に「布施(ふせ)」

経済的援助もあるが、相手の不安を取り除き安心・勇気を与える行為

第二  「愛語(あいご)」

おもいやり、優しい言葉で話しかけてやる

第三  「利行(りぎょう)」

どうすれば相手のためになるかを考えて行動する

第四に 「同事(どうじ)」

相手と一緒に行動する

出典:是永和夫のSITE

この、「同事」というのが難しく
冒頭に挙げたようなタイプの人が言う事が
"上から目線"のように響いてしまうのは
受け手の事情、心持ちに寄り添っているアドバイスに聞こえない事が要因なのかなと思うのです。

私のモノの言い方も「大概」なんです。自覚あります。
でも、自分の声や口調や
相手に伝わる印象というものが「強い」との自認があるからこそ

意識して、意図的に言葉を選んで
何か強い事を言ってしまったら、直後に別の言葉で意味を補ったりして
間違った伝わり方をしないように手を尽くすようには気を付けているつもりです。

その為に、今まで「ことば」というものを蓄えて来たのだと思っています。

自分が調子が良くて、高揚している時こそ
重く、自分に課していく。
難しいことなんですけど
それが出来るのがオトナなんじゃないかと

カッコいいオトナになりたいですなぁ〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?