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白血病入院生活(寛解導入療法後半戦)2020/4/5〜4/25

〜冒頭のごあいさつ〜

前半戦の続きでございます。
初回の入院期間で35日間かかりました。
なかなかヤキモキする期間でした。
3週目〜退院までは薄っぺらい内容です。
最初の記事がお通じの話からスタートです。悪しからず。
お目に触れて頂ければと思います候。

〜入院3週目〜

4月5-6日
日々お通じとの格闘です。
便座に座れない空気椅子。
お尻が痔になったかのような痛み。
看護師さんに伝えると血球の値が低くなるとお尻も炎症値が上がり、
同様の症状を言う患者さんは少なくないということでした。
17:00
医師から抗HLAの検査を行うとのこと。血小板輸血後、数値の上昇は見られたものの、昨日までの数値回復が遅く、HLA抗体あるなしで輸血効果が得られない身体かどうかを確認するとのこと。とりあえず合致する輸血を探すための検査です。

4月7-8日
朝に妻から何か届いたよーと連絡。会社のメンバーからお見舞いやら一応異動したので送別品など。。嬉しいです!ちなみに送別品はカタログギフトでミカンに変身する予定です!そのみかん食べながらコタツで紅白みて、ワイワイするのを目標にしますぜ!!
14:00
看護師さん(以下、看)と私(以下、私)の世間話。
私「5歳と3歳の子供がいてー、女の子と男の子でー、、」
看「えー、羨ましいですねー、私さんのお子さんなら絶対可愛いし、かっこいい⤴」
私「えっ?なんでですかー?」
看「だって、私さんかっこいいじゃないですか⤴」
私「えっ、、いや、、そんなこと言われたことないっすよテレテレ」
40歳間際のおっさんが、20代看護師さんの手玉に取られた瞬間でした。。
16:00
医師回診にて一時退院のワードが出てきました。入院から18日目で退院というワードが初めて出てきました。数値が戻れば許可が出るとの事です。

翌8日、朝から採血やらレントゲンやら忙しい。
10:00
シャワーでの出来事。
髪の毛が相当抜ける!!
入院から19日目でした。
ここで看護師さんと相談。
子供と毎日テレビ電話をしているので抜けている姿は見せたくないのでいっそ坊主にしたいです。というと、病院内の理髪店の方が病室まで来てくれるとの事でしたので当日予約!
15:00
理髪店の方が来てくれました。リクエストで「坊主でいっちゃん短いやーつでお願い致します。」と
before-afterの写真がタイトル画像です!とりあえず需要なんてないでしょうが載せておきます。
坊主の感想として、美容師の友達から聞いていましたが寒いです。ちなみに日差し浴びると暑いらしいです。見た目は別に気にしないんですが、さすがに暑さ寒さを聞いて帽子を購入しました。
17:00
抗HLA抗体検査の結果、抗体はなし、通常の輸血で効果はしっかり出るとのことでした。
18:30
髪を切ってから初めての子供とのテレビ電話。
髪が抜けるのは想定していたので、1週間前に子どもたちに「坊主にしていい?」とやりとりをしていました。
そして本日テレビ電話の前に、妻のスマホから上のbefore-afterの写真を見せてからテレビ電話に望みました。
結果子供たちの第一声は「ぎゃはは!おとうさんおもしろーい!」
ナイス反応!それでこそ我が子だ!子供は本当は親の変化には敏感だと思うのですが、今の所純粋なリアクションだと信じています。

ここら辺のことも
記事「白血病を子供にどう伝えるか?」として纏めています。

4月9-10-11日
医師と話をしました。
急性骨髄性白血病にはいくつか分類があり、私はM1急性未分化型骨髄芽球性白血病です。
白血病細胞を調べると、再発の可能性が高いものらしく、骨髄移植が必要とのことでした。
今後、兄弟、骨髄バンク、臍帯血バンクの3面から骨髄移植の可能性を探っていきます。

これは
記事「白血病になってから移植と向き合う」として纏める予定です。

この日の夜は実兄と実姉に電話をしました。
骨髄移植で迷惑をかけてしまうかも知れないこと。
「迷惑と思うことはない、兄姉としてできることがあるなら喜んでやるよ」と言ってくれました。入院来3回目の大泣きです。
翌朝
この頃、再び熱が上がります。血球値は上がってきて免疫はついてきたにも関わらずです。
追加の抗生剤などで対応。
16時に妻が荷物を持って来てくれました。
面会は出来ないので妻は無菌病棟から見える2つ先の自動ドアにいます。
私は無菌病棟内ギリギリのドアまで近づきます。
荷物は事務員の方が受け取りに。
自動ドア2つ越しで「じゃあねー!」と手を振りました。
現代版ロミオとジュリエット。。少し良く言い過ぎましたw
妻とは中学校の同級生で出会って24年。高校生の時に少し付き合ったり、大学時代も一緒に遊んだり、社会人になって同級生の結婚式の幹事をきっかけに付き合いました。
ずいぶん長いこといますが、飽きる事はありません。何でしょうね。
付き合ってからも沢山のイベントを経たからでしょうか。
転勤経て、
週末同棲経て、
沢山旅行経て、
賃貸して、
家を買い、
犬を飼い、
妻のお腹に子供が2人宿り、
娘、息子スクスクサクサクと育ち、
子供と私で夜な夜な妻の隣のベットポジションを取り合う日々を過ごしておりました。
色々経て中学校から今まで嫌がらせばかりしてきたのに、よくもまぁハゲチャビンになった私を懲りずに愛してくれています、多分。

〜入院4週目〜

4月12-13-14日
朝4時から38.8℃の発熱、太腿裏の痛み。
この頃、世の中コロナ蔓延期で、一時帰宅はありがたいのですが、怖さもありました。
13日は雨でした。
無菌病棟は窓にも鍵がかかっており、一切開けられません。普段は曇り晴れは見るだけなのですが、雨粒が窓にかかると少し外の匂いを感じた気分になります。嬉しい雨もありますね。
この日も熱が下がらず、治療に専念していました。
医師からの説明ではカビの値が上がってしまっているとのこと。無菌病棟にもカビはいるのですね。抗真菌剤など処方されています。

4月15-16-17-18日
この日、人生一番の寝汗をかく。そして熱が下がる。身体が闘ってくれている証拠ですね。ありがとう自分よ。。褒めて使わす!
と思った16日昼から37.9℃の熱。
CTをとり原因を再度探る。CTの結果特に問題はなさそう。抗生剤などの投薬で薬に反応して熱が出ている可能性があり、抗生剤を減らして行き様子を見る。
土曜日に母親に電話。
遅めの誕生日おめでとうを伝える。(4月前半だったんですけどね。。)
母親から「あんたが治ってくれるのがプレゼントだからね」と言われ、入院生活4回目の大泣き。
親より先に逝く訳にゃいきません!

〜入院5週目〜

4月19-20-21日
入院1ヶ月が経過してしまいました。
この日はシャワーで失態をしてしまいました。
シャワーに入って、シャンプーして、シャワーかけたら、、
ぶほぉ!っと、
マスクを付けたままシャワーしてました。
自分ごとながらダサい。。
やーね。
病気の副作用としておきましょう。ケアレスミスさん。。
14:00
看護師さんからお部屋交換の案内がありました。
病棟では看護師さんが必要な患者さん程、ナースステーションの近くに陣取ります、多分。
ちなみに移動前はナースステーションの真ん前、移動後は一番端っこさんになりました。高低差ありすぎて耳キーンとなりました。
良化している証拠ですね。
翌日10:00から医師の説明を受ける。
改めて造血幹細胞移植(骨髄移植)の必要性と合併症の危険性を説明される。
また、太腿裏の蜂窩織炎についても説明があり、諸症状が完治されないことで退院が遅れている説明を受けました。
骨髄移植による合併症の危険性は何%の確率で、、、という説明のされかたでした。
何割の確率で生きる死ぬと言われても不安を感じますが、ある時こう考えました。
死ぬかも知れないけど、医療者や家族や親族、友人と共に生き抜く可能性を信じて治療に臨みます。それだけ。
死んだらそん時考えます。
どんな病気になっても必ず言えること。
今回気づいたこと。
身体より先に心が死なないようしてください。
絶対に。猪木ボンバイエ!!

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
清沢哲夫氏の詩「道」より

その後に妻は帰宅、検査のため、骨髄液、骨髄穿刺。
腰麻酔からのグリグリタイムです。おほほ痛いですわよ。

4月22-23-24日
朝に整形外科医の先生、皮膚科の先生の問診があり、太腿裏の蜂窩織炎について話し合いを行う。再度午後にCTスキャンを実施。今度は足を撮る。
4月22日に病院内にローソンが出来ました。
同時に移動販売がコロナの影響があり廃止されました。
無菌病棟内は買い物が出来ず、反乱が起きてしまいそうですw
その後、自販機にコカ・コーラゼロが陳列されてました。患者と病院との何かしらの格闘痕が感じられましたw
23日岡江久美子さんがお亡くなりになられました。がんによる放射線治療が起因となりコロナウイルス肺炎により亡くなられたとの報道でした。自分自身も今後の治療で放射線治療があるかも知れません。貴女の死を教訓とさせていただきます。
翌24日
CTの足の結果があまりよくない。自分的には痛みなどは緩和されているが、医師的にはゴーサインは出せない雰囲気。
太腿に針を入れ膿を抜いて顕微鏡にかけるとのことでした。
イタそうでしょ。ここで私は幼児化しました。
整形外科医にこねる。血液内科医にごねる。
説得される。診療を受ける合意をする。
ヤキモキヤキモキヤキモキヤキモキ。。。
帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい。。。
14:00
整形外科にて水抜き作業。太腿麻酔痛い。水抜きをしようとしたが、固まっていて採取出来ず、しかし、刺針の感じでは悪い様子ではなかったとのこと。時間経過で観察していくとのことで終了。よかった、よかった。
16:00
主治医より一時退院の許可が降りる。
25日から一時退院。わーい!
お部屋の片付けはじめます!
妻にお迎えお願い連絡をしました!

4月25日
入院から36日目。間に合いました。
妻の誕生日は4月28日。
家族で祝えます!
朝から帰りのお支度。看護師さんから退院時の注意事項を伝えられる。
生魚などはダメ、お庭いじりダメ(土にも細菌多いの)、コロナ注意で基本外出禁止、酒タバコ禁止、そんなもんでしたか。。
発熱、口内炎、下痢などの症状があれば病院に電話。
次回入院の予定は5月7日ですが、5月1日に病院にてベットコントロール会議があり、病床の空き状況を鑑みて、正式な入院日が決まるとのことでした。
そうこうしている内に妻が迎えにきました。
皆様にバイバイして36日ぶりのシャバの空気を吸いました〜!

〜末尾〜

ベットコントロールの結果、次入院は5月13日になりました。妻の誕生日に、子供の日、母の日と色々イベントが出来ました!退院生活はまた次回書かせて頂きます!読んでいただきありがとうございました!