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このままでは人生がカスになる!!!

 大学を出てからものを考えなくなった。

 労働をはじめたことで、生活というものが電車に乗って職場に行き、そこで8時間をなんとかやり過ごし、電車で家に帰って寝ることの無限の繰り返しとなった。
 不思議なことに以前より苦痛を感じることはなくなった。確かに労働にやりがいだのビジョンだのといったものはないし、座れない電車には腹が立つし、毎朝二度寝をしたいが、とはいえ心穏やかに生活をしていた。

 そんな生活の中で、"ものを考えると人生は途端に難しいものとなってしまうんだな"と考えたのを最後に、僕はものを考えなくなった。そうするといよいよ生活は安定した。ただひたすらに繰り返し。繰り返し。。繰り返し。。。 

 次第に僕は本も読まなくなった。これは劇的な変化だった。大学時代は隙あらば図書館に行き(決して友人がいなかったわけではない。決して。)、本屋で稼いだバイト代で本を買う永久機関を完成させていたが、ついには本を読むという選択肢が生活から失われた。そこからはとてもスムーズだった。僕は映画を観ることも、音楽を聴くことも、マンガを読むこともやめた。いよいよ生活が完璧な繰り返しとなった。

 かくして僕はかつて生活を構成していたすべてを手放したが、それでも生活は"充実"していた。終わった男性性と向き合ったり、あの窓がなぜこんなにも目を奪うのかを考えたり、読点の打ち方に一日中悩んだりすることはなくなり、ひたすらに見知った生活だけが続いた。

 完璧な繰り返しの中で、いつからか僕は新しいものを怖いと感じるようになった。新しいものは僕に新しい反応を要求するからで、それはつまり僕にものを考えることを要求するということであった。僕は身を守るために、あらゆる新しいものを拒絶した。いつも同じ曲(もはや歌詞もメロディも意味を持たない!)を聞いた。それからスーツを人類史で最も偉大な発明に認定した。

 そんな刺激を避けた、生暖かい、安全第一の、穏やかな生活の中で僕はふと後ろを振り返り、自分が何もしていないことに気がついた。
 繰り返し、反復、リピート、サイクル、ループ。僕は何も考えていなかったし、何も感じていなかった。これは果たして生活か?僕は叫んだ。

おい!助けてくれ!!このままでは人生がカスになる!!!

 僕は大慌てで本棚をひっくり返して頭に文章を流し込み、しまいには買ったばかりの加湿器の説明書を熟読した。
 すっかり習慣が失われていたがために、情報は次々に抜け落ち、まとまりのない思考が脳内を駆け巡った。その夜は眠れなかった。苦痛だが、何かを取り戻した気もした。

 それからは少しずつリハビリをはじめた。いまではかつての習慣をいくらか取り戻しつつある。おかげでまた生きていくことは少し難しくなったが、それでもまた考えることをやめる気にはなれない。きっとあの生活を続けた先には本当に何もないから。

 そんなリハビリの一環として、noteをはじめようと思う。読書メモだとか、思考の整理だとか、ただの日記だとか、そんな簡単なものではあるが、極力間隔を空けずに書いていきたい(ここで毎日と言わないのは僕の甘えだ。)。

 実際、これを書くにあたって僕は色々なことを考えた。
 特にタイトルを"カスになる"にするか"ゴミになる"にするかにはかなりの時間を割いた。結論として濁音の混じる"ゴミ"より、"カス"の方がタイトルとして表示された場合にポップでいい。それからkの鋭い音からsの空気の抜ける音へ繋がる惨めさもお似合いだと思った。カスになる前に!

 とにかくこんな具合の取り止めのないものを出力する場としてnoteをはじめる。ずいぶん陳腐な表現だが、書くことを通じて自分と向き合ってみようと思う。
 それから他者の考えに触れ、対話するのにもこここはうってつけの場であるように思う。ぜひあなたの考えも聞かせて欲しい。

 想定よりも随分長くなったが、このあたりで結びとしたい。これは自己紹介であり、選手宣誓であり、戦線布告である。

 どうぞよろしく。

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