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【エッセイ】陰翳にサヌカイトの音色を

朝起きて窓の外が曇天である事を、残念に思った最期は何時であったか?




2024年7月13日




本日から三連休と云うが、生憎お天気は世間に味方をしないようであるが、湿気のむさ苦しさと早朝の冷たい風、そして曇天という三味を逃す訳にはいかぬと私は早速風呂を炊いた。


風呂の温度は41度、灯りをつけずに風呂の窓を開ける。





未だ世が動く前の外は静かで、仄暗い風呂で緩い湯に浸かり陰翳に淀む水面を見ながら虫の音を聞くひと時は日常の疲れを根本から癒してくれる。





湯を沸かし茶を淹れ、アテに塩麹漬けの胡瓜と、天塩で漬け込んだ梅干しを用意する。



珈琲でも同じ事を言えるのだが、苦味、渋味があるものに対し甘いものを添えるのは聊か勿体ないと私は思う。勿論甘味でしか成し得ぬ幸福こそあれど、頻繁であるとそれは途端に下品である。塩っ辛く“発酵”を経た素朴なものこそ、茶や珈琲そのものの柔らかな甘味を引き出してくれる。




童が起きて騒がしくなるまでのほんのひと時は、これもまた部屋の灯りもつけず、冷房機もつけない。多少の暑さは扇子の風で凌ぎながら、前述の三味が在る今この瞬間を堪能する。




さて、こんな薄暗く静かでほんのり冷たい朝は、敢えて音楽なぞ鳴らさない方が良いだろうか?




勿論初めのうちは風呂でも聞こえていた虫の音があるので、それらで良い。




しかし段々と車の音などが聞こえだしたら、それらの無機音を適度に掻き消す音の飾りが欲しい。


土取利行氏の作品はそのような絶妙な音景を置きたい時にとても優れている。




古代縄文の鐘等を鳴らす音楽家だが、彼の作品の打響は有機性の何かを感じ取れる。





現代はただ喧しさばかりが増幅するばかりで、どうして一度落ち着こうとする流行が来ないものだろうかと疑問に思うばかりである。




これから始まる陽が燦々と全てを色付ける夏も勿論好きではあるが、近頃の夏は現代に伴ってか、はしたない。





いや、はしたない人間が夏をそうさせたなのだろう。





だから私は怪談を書き、奏でる。

失われた日本の精神は、妖怪や霊にこそ継がれている。


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